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やる気の出し方
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コメントありがとうございます札雲
びっくりすることを吃驚(きっきょう)というが、そんな言葉はほとんど聞いたことがなかった。ところが最近の高校生はPCを使って書く文章にやたらと「吃驚」を使う。なぜかというと「びっくり」と入力して変換させると「吃驚」が出てくるからだ。それこそ「吃驚」! 広辞苑の第五版には「びっくり」で引くと(当て字で「吃驚」「喫驚」と書く)とある。一部の作家が、文章にあるニュアンスを持たせたいときに「吃驚」と書いたのだろう。しかし、その際にはルビがふられたと思う。先日読んだ開高健の「最後の晩餐」にも「吃驚」に「びっくり」とルビがふられて登場していた。そのようなことを知らない高校生や、ひょっとしたら小中学校生が、パソコンを使うことで、たくさんの普通には使わない漢字を、これが正しいとばかりに使うのは如何なものだろう? 奇しくも昨日、漢字検定の前理事長親子が逮捕されたが、文藝春秋の二、三ヶ月前の号に、漢字検定がいか
2009年11月1日(日)午後1時から『地球の未来への対話』を聞きに行った。以下に対話の内容を記す。ただし、会場には録音機材などを持ち込むことはできないとのことだったので、すべてメモ書きしたものをここに書き直す。そのためにかなり内容が抜けているし、メモが不完全な箇所はあとで補ったので、多少の間違いがあるかもしれない。ご容赦願いたい。 司会:尾中謙文: 日本の人たちは豊かさを指針に働いてきた。しかし、それが窮まり自殺者が年間3万人となり、無気力や貧困が蔓延している。コンピューターがたくんの情報を与えてくれるようになったが、忙しすぎて心が不安定な人が増えたように感じる。そろそろ心の内と外の両方を考えるべき時代に差しかかっていると思う。そしてそれは私たちが失った大切な物事を思い出し、気づくべき機会でもある。ぜひこれからおこなわれる対話を契機として、幸せをつかむチャンスとして欲しいと思います。 今
映画「福田村事件」が予想外のロングランになり公開劇場数を伸ばしている。この映画の何が面白いのか。きっとそれは誰に聞いてもうまく答えられないのではないか、と思う。なぜなら、森達也という監督が、「うまく答えられないこと」を撮ろうとしているから。言葉というレッテルでは表現しきれないこと。それを撮ろうとしているから。 そもそも森達也監督は監督デビューが「A」という映画だった。オウム真理教がテロを起こし、日本中が大騒ぎになっているその最中、オウム真理教の内側に入り、その日常を撮っていった。その映像に多くの人が驚いた。そして言葉を失った。 「あの凶悪集団が、、、」 「、、、」ではいろんなことが言えるかもしれないが、映画を見るとあの時代の雰囲気ではいいにくいことが見えてきた。そして、それに気づいた人は一人取り残される。 「言いたいが、言ったらどうなるのだろう?」 言い出すことに勇気が必要な何か。日本を覆
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