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Q:同性愛を認めるならペドフィリアも認めるべきでは? メディアワークス「コミック電撃大王」誌上において、 2005年5月号から 『百合星人ナオコサン』という奇妙な漫画が連載されている。 作者はkashmir。 主人公の女子中学生【みすず】の家に、 ある日突然、 「百合星」からやってきた宇宙人 【ナオコサン】が居候を始め、 「百合星」の科学を駆使して 珍騒動を繰り広げるという設定のギャグ漫画である。 「百合星人」というタイトルを見れば、 【みすず】と【ナオコサン】が 「百合関係」を形成する作品なのかと推察される。 しかし、 「百合星」における「百合」の概念は、 この地球におけるそれとニュアンスが異なるようで、 【ナオコサン】が性的な関心を見い出すのは 専ら“幼女”だ。 加えて【ナオコサン】は、 しばしば【みすず】にも自身のペドフィリア嗜好をお仕着せすることから、 そうした「カルチャー・ギャ
『まりあほりっく』ブームと「百合ブーム」のヘテロセクシズム的共栄 2008年の12月中ごろ、 仕事帰りに書店をぶらついていると、 「月刊声優グランプリ」というアニメ情報誌の表紙に 井上麻里奈の名前があった。 (2009年1月号 刊:主婦の友社) それほどアニメを観るほうではないので、 基本的に声優にはあまり興味がないのだが、 井上麻里奈はデビュー作『コゼットの肖像』を観て、 その演技力と歌唱力に感心して以来、 密かに注目していたのである。 何げなく手に取って読んでみると、 翌年tvk系列で放映されるTVアニメ 『まりあほりっく』に井上が出演するとのことで、 共演者の小林ゆうとインタビューに答えていた。 ちなみに、 監督は『コゼットの肖像』を手がけた新房昭之が担当するのだという。 (P25-27) ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ アニメの原作は、 現在「コミック・
同性愛はなぜ“「ヘンタイ」ではない”のか? アメリカ精神医学会が定める 「DSM(精神障害の診断と統計の手引き)」から 「同性愛」に関する記述が削除されたのは、 1973年のことだった。 そして1990年には、 WHOが定める「ICD(国際疾病分類)」からも削除され、 さらに93年には駄目押しをするかのごとく、 同指針の改訂版において 「いかなる意味においても治療の対象にはならない」 という宣言がなされる。 これによって現在、 少なくとも精神医学の上では、 同性愛を「異常」と見做す根拠は失われた。 それに対し、 DSMおよびICDにおいて 未だなお「性嗜好障害」と規定されている フェティシズム、露出症、窃視症、 小児性愛(ペドフィリア)、 サディズム・マゾヒズムなどに較べて、 同性愛だけが“優遇”されているのではないか? という批判も耳にする。 Ossie註: 『ICD-10』と『DSM-
女性同士の恋愛をテーマにした「百合作品」は、<セクシュアル・マジョリティ=非同性愛者>にとって、現実社会における同性愛者差別の問題に関心を抱くきっかけになるはず――かつて私は真剣にそう考えていました。 もちろん、そうした百合ファンのあり方は素晴らしいと思います。ところが現実には、「百合」という言葉の曖昧さをいいことに、レズビアニズムを<異性愛者=セクシュアル・マジョリティ>にとって都合の良い形に加工した作品、そしてそれをもてはやす人々がむしろ多数派のようです。 本来はレズビアンを示す隠語であったはずの「百合」が、今やレズビアンに対する差別構造の強化に利用されるという、皮肉な状況となっているのです。 「百合」――その可憐な響きをもつ言葉の下に覆い隠された、レズビアン差別の実態を検証します。 「百合」は“擬似恋愛”なのか?(1) 「百合」は“擬似恋愛”なのか?(2) Q:同性愛自体は「健全」だ
「百合」評論における“当事者性”を考える 百合好きのネット・ユーザーの間で、 「みやきち日記」というブログが注目を集めている。 「レズビアン(ガチ)」を自称する 「みやきち」というブロガーが “当事者”の観点に基づいて 百合作品を批評するという内容である。 レズビアン当事者の中には 「しょせんはノンケ向けのファンタジー」として 百合物を毛嫌いする向きが少なくない中、 「みやきち日記」は非当事者にとって 当事者側の見解を知る数少ないメディアと言える。 そんな「みやきち日記」の中で、 森永みるくの『くちびる ためいき さくらいろ』 (刊:一迅社 以下『くちため』)が取り上げられている。 『くちため』は日本唯一の百合漫画専門誌 「コミック百合姫」(刊:一迅社) およびその前身の 「百合姉妹」(刊:マガジン・マガジン)に 連載されていた作品を収録したもので、 両誌の掲載作品を単行本化する一迅社のサ
「男なのに、なんで『百合』が好きなの?」 ――こんな質問をされることがあります。 しかし、これは「質問」ではありません。「男なのに」「『百合』が好き」な僕を、暗になじっているのです。 本来であれば、小説や漫画の趣味に理由など必要ないはず。とはいえ、その趣味が「百合」となると、どうやら“たかが趣味”だけに留まる問題ではなくなってしまうようです。 では、その理由について考えてみよう……というのが、このページの趣旨です。それにあたって、ただダラダラと文章を綴られても読者の皆さんは退屈するでしょうから、異性愛者の男性が「百合」にハマるという現象に対して寄せられる批判、または「百合」というジャンルそのものに対する批判を一つ一つ挙げていき、それらに解答するという形式をとっていきます。 ちなみに、同じレズビアンをテーマにした作品でも、いわゆる「百合物」と「レズビアン物」はニュアンスが異なるという意見もあ
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