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パリ五輪
y-haruta.hatenadiary.jp
中学3年生を迎える年になり、進路を考え始める。さすがに、不登校が行ける高校は、かなり一部に縛られる。さらに出席日数や、成績が無に等しい僕は、不登校を受け入れてくれるような高校を、手当たり次第探しまくった。両親も必死に探してくれた。通信制の学校、定時制の学校などがあるが、僕は全日制で普通科の高校に行きたかった。そんな贅沢言えるような立場ではないが、そうじゃないと高校に行き続けられる見込みがなかった。 しかし、探した中で全日制の学校が見つかった。さらに、そこは寮がある学校であり、県外に位置する。寮がある学校は、3つほど候補があり、全ての学校に見学に出向いた。この先の人生を左右すると思い、慎重にしっかりと見学した。不登校の生徒が多いが、勉強に力を入れ、有名な大学の進学実績がある学校。その子のペースで頑張れる学校。普通の高校となんら遜色ない学校。時間をかけて真剣に考えた。 この時点で寮生活をするこ
音楽を始めたのは、あるお笑い芸人の息子であるベーシストの影響だ。それまでは音楽のことはなに一つ分からなかった。音符も読めないし、記号もわからない。わかるとしたら楽器の名前ぐらいだ。そんな中、エレキバースを弾いていたその息子の方に、憧れてエレキベースを始めた。エレキベースがかっこいいと思ったのは、その低い音とバンド全体を包んでるいるような音質にで、すごく重要な楽器だと気がつき、特に目立つわけでもないが、バンド全体を支えるという点に、憧れを持った。 最初は、ネットに載っている簡単な曲から練習し始めた。やはり独学だと、弾き方などのコツがわからない。最初はすごく苦戦した。僕が憧れているベーシストは、スラップという奏法を得意としており、僕はそれを真似し始めた。曲ではソロでスラップを使うことが多い。これがまたすごくかっこいいのだ。簡単に真似できるものではないが、指で弾く王道の弾き方より、自分のスタイル
転校してからは、学校にも行っていなかったからもちろん友達はいない。周りに遊ぶ友達もいなかったから、基本家に引きこもっていた。やることもないし、やらなきゃいけないこともない。もちろん学校にはいかなきゃいけない。基本毎日のようにゲームはやっていたが、お笑いが好きで動画を見るのにどっぷりハマっていた頃もあった。 好きなお笑い芸人を検索して、動画を漁っていたが、ある芸人のラジオが検索のトップにきた。僕が1番好きな芸人のラジオなので、もちろん聴いた。そこでは、珍しく親子でラジオをやっていた。しかも、そこで初めて親子だということを公表していた。僕はすごく驚いたが、すごく興味を持ち、その息子のことを調べまくった。その息子はバンドマンだった。 バンドとは無縁で、興味もあまり持っていなかった。ましてや音楽も、興味なかった。それが僕の人生を大きく変える、運命の出会いだった。音楽のことなんてなにも知らなかった僕
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