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セキュリティ
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帰宅してみると、リビングから「うっせぇ」という言葉と、床を踏みならすような物音がする。 娘(小焼け)は中学の卒業式が済んだ後、高校の入学式までは自由を満喫している。入学後に始まる電車通学に備えて、自宅から駅までの距離や乗っている時間・降りてから学校までの時間を計ったり、電車の混み具合などを体験する為に、今日は友達と一緒に実際に高校まで行ってみると言っていたはず。その後は ちょっと遊んで、帰宅してからはいつものように花壇の手入れをし、夕食を作るとも言っていた。 それなのに、この怒鳴り声と物音は? 小焼けは 元々のんびり屋で、声を荒げて物を言ったり、荒々しい態度をとるということもなかったのに、今日は何か気に入らないことでもあったの? それとも、普段は我慢をしていて、一人でいる時に、こうして発散してバランスをとっているのかしら? もしそうだとすると青天の霹靂。そんなこと想像したこともなかった・・
車を運転中、サイドミラーとルームミラーに、後続車の赤色灯がせわしなく点滅 (回転) しているのが映った。「あっ、 パトカー! いつの間に?」と思い、自分の車の速度計とシートベルトを確認する。大丈夫よね? その他に私 悪いことした? 一瞬 焦る。 赤色灯の点滅 (回転) に加え、サイレンも鳴っていれば緊急事態で急がれているのだろうから、こちらもすぐに道を譲らなければ・・・と思って窓を少し開けてみたけれど、サイレンは聞こえなかった。防犯パトロール中なのかな? それとも、私に何かご用でも? 車間距離はあるものの、背後にぴたりと付いて来られると、やたら法定速度を意識して肩が凝る(って、普段はどうなのよ?とツッコまないで・・・)。 TV番組『警察24時』を思い出す。防犯パトロール中に、不審な動き (蛇行など) をしている車を発見すると、「あの車 怪しいですね。止めますか?」とパトカー内の警察官二人が
桜便りが届き始め 心和らぐこの時期が 私は一番好きなのですが、はぁ~、今年は特に待ち遠しかった・・・。我が家の『受験生のいる生活』が ようやく幕を閉じました。 コロナ禍に振り回された 1 年で、ある時は「わっ、コロナ感染?」と慌てふためいたりもしました。それでも、体調も崩さずに受験できたことに感謝しつつ、合格発表に至るまでの あれこれを書き留めておこうと思います。( 将来「あんな日々もあったなぁ・・・」と笑いながら思い出せるよう、備忘録です) ★ 第一志望校の受験票を貰ってすぐ、「おじいちゃんと おばあちゃんに見せよう」と娘 ( 小焼け ) が言って、ビデオ通話を開始する。画面の向こう側でおばあちゃん (私の母 )が「あらぁ、縁起の良い番号ねぇ。答案用紙に間違って書かないように、語呂合わせで覚える?」と言い、「こういうのはどう?」と提案を始める。その横でおじいちゃん(私の父)が「その語呂合
柔らかな風や花々・木々の芽吹きに 春の気配を感じては 心弾む今日この頃。春本番が待ち遠しい。 と同時に、この時期は 卒業、転勤、転職、転校、引越し・・・等で、慣れ親しんだ場所や人との別れが、全国のあちらこちらで展開される。 私にも、父の仕事の関係で 転校した子ども時代があった。移り住んだ幾つかの家のひとつは高台にあった。 お稽古事に出かけたり 友達と遊んだ後に 家に帰る道すがら、坂の途中で 夕焼け空や 辺りの風景を眺めるのが好きだった。家の近くまで来ると、夕餉の支度をする美味しそうな匂いが漂っていた。 あの家には 今 どんな家族が暮らしているのだろう? 夕暮れ時には 同じように美味しそうな匂いが立ちこめているだろうか? さて、時は現在に戻って・・・。先日 帰宅途中の見慣れた景色の中、遥か前方にふっと違和感を覚える場所があった。「何か違う感じがする」と思い、車が近付くに連れ 注意して見てみる
★ 今月始めの新聞に 心に残る記事があった。北海道の中学生が コロナを心配して、宮城県の祖母に電話をかけると「津波に比べたら屁でもないよ。濡れでないし、寒ぐないもの。どうなっかわがんないごとに人はビビるんだっちゃ。起きで食って寝る。あどはなんもいらんべし」と祖母の元気な声がした、という内容だった。2011 年の東日本大震災で辛い体験をされた方なればこその言葉だと思った。切なくもあり、逞しくもあり、心に染みた。 ところが、記事からわずか一週間後に、10 年前の余震とされる大きな地震が 東北地方を再び襲った。落下物が散乱して足の踏み場もない中で、TV のインタビューに応じて「災害対策もして、店も新しくして、やっと歩き出せたと思っていたのに・・・」と力なく話される男性の姿があった。心中察するに余りある。あの新聞記事のおばあさんは どうされているだろう。 ★ 先日までの流れ 職場の B さんがコロ
北海道の銘菓「白い恋人」がアイスクリームになり、コンビニで 2月 1日より期間限定 販売されていると聞いて 探してみたけれど、どこのコンビニでも見つからなかった。無いとなると余計に欲しくなるのは私だけ? 職場と自宅の中間辺りにあるコンビニは、高齢のご夫婦が経営されていて、旦那様はレジを打ちながら世間話など楽しげにされる方だった。奥様はおとなしい感じの方で、アルバイトの人がお休みの場合、代わりに入られているように思えた。 ところが、ある日から 旦那様の姿が見えなくなった。最初の内は『今日はお休みの日なのかなぁ?』と思っていたけれど、会えない期間が長くなると『体調を崩されて入院されたのではないかしら?』などと心配にもなった。 その内、奥様の姿も目にすることがなくなり、入れ替わりのように、息子さんらしい人の姿を見るようになった。その息子さんは ちょっと風変わりな言動をする人で、男性客が大声で「
実家の父から、孫娘の小焼け宛に LINE が届いた。「刀のカレンダーを貰ったけど、小焼けちゃん、いるかな?」 「刀」といえば、『鬼滅の刃』。 小焼けは大喜びして「おじいちゃん、欲しい! ちょうだい!」と返信をした。でも届くのが待ちきれないらしく「どんなデザインなの? 早く見たいよ。先にカレンダーの写真を LINE で送って~」と頼んだ。 送られてきた 1 枚目の写真を皆で覗き込む。おお! 1 月はさすが新しい年の始まりにふさわしく、刀のアップで始まっている。見事だ。 次に送られてくる 2 月は、炭治郎や禰豆子ちゃん? それとも・・・?と話しながら待っていると、あら? 次も刀だけのアップ。有名な名刀らしく説明もついている。ほぉ~。 ということは・・・。3 月は? ちょっと胸騒ぎ。 小焼けが急いで電話をかける。「おじいちゃん、写真を撮る前に、カレンダーを 12 月までめくってみて。『鬼滅の刃』
YouTubeで見つけたこの映像、いいなぁ。カロリーナちゃん ( 撮影時 11歳。ウクライナ出身 ) のバイオリン演奏の技量に感嘆すると共に、聴いている幼い子達が 路上で踊り出し、全身で楽しさを表現している様子に引き込まれる。可愛いなぁ。音楽っていいなぁ。 見ている私も、周囲のおとな達と同じように画面の中に入り込んで 笑顔になる。 ↓ 子ども達といえば・・・、遥か昔、娘の小焼けをベビーカーに乗せて 夫と3人で出かけた公園の情景を思い出す。 その日は屋外ライブが催されており、世界各地の人々が民族音楽を奏で ダンスをしていた。観客は三々五々 思い思いの場所に座り、たまたま通りかかった人は足を止めて眺めたりという自由さだった。ステージ下の子ども達がリズムに合わせて踊っている。踊るというよりは身体が自然と動いている感じ。まだ幼い子達は、頭を上下左右に振り、膝を曲げ伸ばし、両腕を振リ回して楽しげだ。
先日、喪中はがきを作りながら、大好きな友の弾き語り(録音)を聴いていた。『 ♪ だけど今は ♪ あなたへの愛こそが ♪ 私のプライド ♪ 』・・・伸びやかで優しい歌声が心地良い。 ん? プライド? この言葉は 何かをきっかけにして 時折 私の心にふっと浮かび上がってくる。 時をさかのぼること、およそ 20 年前の学生時代のこと。サークル仲間の のぶちゃんが深夜に突然電話をかけてきた。「夕暮れちゃん、プライドってなに? なによお~。プライドって・・・」。そう言って、電話口の向こうで のぶちゃんは泣いた。 当時、のぶちゃんには大学 1 年の時からずっと付き合っている彼がいた。交際を始めて3 年目に入った頃で、たまには喧嘩もしていたけれど、ほどなく仲直りするのが常であった。傍から見ても相性の良さげな、お似合いの二人だった。 でも、その晩は今までになく深刻そうに思えた。 『彼との間に何があったのだ
『はがきの名文コンクール』の受賞者発表日が迫っている。インターネットや新聞紙上では 今月21日らしいけれど、その前に受賞者には連絡があるはず。 母は今年も応募したのだろうか?人を驚かせることが大好きな母が まだ何も言って来ないところを見ると、応募しなかったのかしら? それとも、未だに通知を待っているのかしら?(こちらの可能性の方が遥かに高い)・・・・・・ふむ。 せめて応募した気配があるかだけでも、父にそっと聞いてみることにする。 私:「熱中症にかかりそうな真夏日にもかかわらず、お母さんは秋冬物を引っ張り出して眺めてた?」(秋の授賞式に着て行く洋服の品定め) 父:「いや、そういうことは、してなかったよ」 (私の心の声:応募しなかったのかなぁ) 私:「郵便受けを何度も覗きに行ってた?」 父:「そういえば、行ってたなぁ」 (私の心の声:やっぱ、応募した?) 私:「電卓で 桁数の多い計算をしてた?
アメリカ大統領選の報道を見ると、なんともいえない感情がこみあげてくる。 苛立ち・怒り・空しさ・情けなさ・寂しさ・悲しみ・やりきれなさ・・・。 こんな感情をおぼえたことが、過去にもあったと思い出す。思い出そうとした訳でもないのに、勝手に浮かんでくる。 私には『 Y おばちゃん』がいる。かなりの遠縁になるけれど、実家の母とは子ども時代から仲良しとのことで、私も生まれてから今日に至るまで、随分可愛がってもらったりお世話になっている。 『 Y おばちゃん』には息子がひとりいて、私は『 T お兄ちゃん』と呼んでいる。『 T お兄ちゃん』には先天性の病気があり、身体には大きな傷跡が何カ所もあるらしい。医学が進歩した現代でもまだ治療法が確立しておらず、完治することは難しいとのこと。 身体のことは自分の努力ではどうしようもできないけれど、T お兄ちゃんは勉強が好きだ。高校は名の知れた進学校に進んだ。小学校
GO TOトラベルキャンペーンで、旅行を楽しまれる方が増えているようです。私も機会があれば (条件が整えば) 出かけてみたい気もしますが、残念ながら 今のところ予定が立ちません。 『いちばん遠くまで行ける乗り物は、想像力かもしれない』という言葉が浮かびます。「そうね、想像力を駆使して楽しもうかな」 と思ったりもします。 「想像力」といえば・・・、過去記事に マっ (id:patorearobot)さんがコメントをくださいました。とても温かいコメントでしたので、ご本人のお許しを得て ここに ご紹介させていただきます。 マっ (id:patorearobot)さんのコメントより ↓ ★【僕は、出会った人の向こう側を想像します! どんな道を歩いてきて、どこへ向かっているんだろう?って。 一生懸命な人に出会うと、思わず応援したくなっちゃいます。声を掛けることができなくても、心の中でエールを送っ
先日 美容院に行った時に、生蜂蜜を勧められた。ハンガリー産で非加熱・無添加とのこと。加熱されたものと比べて栄養面や効能などの違いがどれほどあるかを、新人の美容師さんが 熱心に説明され、「試食もどうぞ」とスプーン一杯分 差し出される。想像していたよりも さらっとしていて 甘過ぎず 美味しい。 「ん? 美容室でどうして生蜂蜜?」と思いもしたけれど、『食事も摂れなくなっている祖母も、この生蜂蜜なら口にできるかもしれない』と脳裏に浮かぶ。そして次の瞬間に気付く。『ああ、もうおばあちゃんはいない・・・』 毎年 9 月の声を聞くと、『敬老の日に何を贈ろうかな』と思う。寄せ書きをする素敵なカードを探したり、喜んでくれそうなプレゼントを、あれこれと皆で探すのが楽しみ。もういろんなことがわからなくなっていた祖母だったけれど、綺麗にラッピングされたプレゼントを受け取ると、目をくりくりとする ( ← 驚いた時や
★特別警報が出るほどの大型台風が近づいています。進路にあたる地域の皆様はさぞ不安で ご心配でしょう。くれぐれもお気をつけくださいね。大変な事態にならないようにと祈っております。 ( さて、ここからはいつものタメ口 ブログ に戻ります。『こんな口調で書いていいのかしら? 読んでくださる方に失礼ではないかしら?』と気にはなっているのですが、どうも丁寧に書けなくて・・・。すみません) 今回来る かつてない威力の台風に対して、我が家でも万一に備えておこうということになり、準備しておかねばならないことや、必要な物のチェックリストを作り、昨日 買い物に出かけた。ここは台風の進路からは かなり離れている地域なのに、養生テープは売り切れ、パン売り場も空っぽでびっくり。あっ、非常食になりそうなクラッカーが商品棚に残っていた! 停電してもこれでカナッペが作れる。 クリームチーズ・生ハム・アボカド・ミニトマト・
新聞のチラシに、クリーニングの割引きのお知らせがあった。今までお願いしたことのないお店だったけれど、30%オフは嬉しい。LINE 会員になると更にクーポン券が使え、お店のポイントも付き、PayPayキャンペーンもあるそうな・・・。 行かねば! これを見過ごしてはならぬ! と 心の内から叫び声が聞こえる(誰やねん?) 地域名でおおよその場所はわかるけれど、そちら方面には疎く、何度か車で通り過ぎたことがある程度。でも、お店の人に教えてもらえればすぐに分かるだろうと 軽い気持ちで電話をかける。(スマホや車のナビを使えば 行けるかもしれないということに、その時は頭が回っていなかった。相変わらずネジがゆるんだ頭だ) 優しい声の女性が電話に出られた。 ★お店の方:「はいはい、ウチの店(取次店)の場所ですね? えっと、どのようにお伝えしたらいいかしら? 大通りから外れた、ちょっと見つけづらい所にあるんで
休日に、庭の入れをしようと外へ出た。植物好きの娘 (小焼け) が花殻を摘んだり、水遣りをしたりして丹精込めた花々が、梅雨明けの照りつける太陽を浴びて 綺麗に咲いている。 すると、どこからともなく一羽の蝶がすぅ~と現われた。白い模様がある黄色い可愛い蝶だ。小焼けの花々の上を 弧を描くように優雅に飛んで、暫くするとまたどこかへと消えた。 「わぁ! ひいおばあちゃんが 蝶になって 私達に会いに来たのよ。きっと」と小焼けが嬉しそうに言う。そっか・・。そうよね、この時期に我が家の庭で蝶を見たのは初めてだった。ひいおばあちゃんだったのかもねぇ。 そして翌日。仕事が終わって同僚達と帰宅しようとドアを開けると、突然、黒いものが勢いよく中へ飛び込んで来た。「クロアゲハだ!」と後輩が叫ぶ。昨日の蝶に引き続いてのことなので、『亡くなった祖母が、私の職場にも来てみたかったのかしら?』と咄嗟に思った。 「蝶のクロア
豪雨に苦しめられたけれど、ようやく梅雨明けのニュースが届き始めた。今度は猛暑が辛い。それでも、夕焼けが一番美しいといわれる真夏。 私は燃えるような真夏の夕焼けが好き。清少納言に「情緒がない」と叱られるかもしれないけれど・・・。( 彼女に ばったり出会うこともないから、ま、いっか )。 「太古の昔から今日に至るまで、ふと作業の手を止めて、こうして綺麗な夕焼けを眺めた人達もいたかしら?」などと思いを馳せる。現在はコロナが悩みの種だけれど、なかなか太刀打ちできないような 天変地異や疫病などの苦悩を抱えながらも、それぞれの時代の人達も頑張ってきたのだろう。 谷川俊太郎さんの言葉が浮かぶ。 【 山川草木が自然なら、ブラックホールも自然です 鯨が自然で、ウィールスも自然 ホモサピエンスの私も自然 老いたおかげで死ぬのも自然 未来はどうやら底が抜けている 】 谷川さんの言葉は続く。 【 88歳の私にとっ
「(ひい) おばあちゃんは、最期まで (ひい) おばあちゃんらしかったね」と私達は話している。 ★「今夜が峠かもしれません」と言われる危篤状態が何日も続いたので、遠方から駆けつける者達も 間に合い、「おばあちゃんには可愛がってもらったなぁ」等と言いながら、傍に寄り添って数日を過ごすことができた。(待っててくれたのよね? おばあちゃん) その日も、ベッドの周りに集まり、それぞれが祖母の腕や背中をさすり、手を握ったりして思い出話などしていると、誰かが「あら? おばあちゃん?」と言った。えっ!と驚きつつ、呼吸を確かめると止まっていた…。まさに「眠るように」という言葉通りの安らかな最期だった。 祖母がまだ元気だった頃、私に言ったことがある。「人はね、樹と一緒よ。『生木を裂く』って言葉があるように、まだ若い樹が災害などで倒された時の切り口の痛々しいこと…。人も若くして事故や病で亡くなるって、逝く人も
施設にお世話になっている祖母には まだ面会できないけれど、職員さんの計らいのお陰で、窓越しに会わせてもらえることになった。 電話で 「 6 月に入ってから 体調がすぐれない」と聞いて案じていた。最近は食事がとれないこともあり、うとうと眠っている日が増えているとのこと。 窓越しに会う祖母は、ひとまわり小さくなり 表情もはっきりしない状態に思えた。 窓の向こう側で 祖母に付き添ってくださっている職員さんが、「ご家族が来られましたよ」と伝えるかのように、祖母の肩をそっと撫でられると、わずかに目を開けて微笑んだ(ように思えた)。 娘の 小焼けは「窓ガラス越しだと、ひいおばあちゃんは小さい文字は読めないよね」と言い、大きくカラフルな絵を描いて持参した。 こちら側の窓ガラスにピタリと貼ると、祖母は 一瞬 目をくりくりとした (ように見えた)。その仕草は「すごいね!」と感心して褒める時の祖母の癖だ。祖
★ 在宅ワークが終了し、早起きして職場に向かう。 仕事は好きだけれど、在宅に慣れた身には 通勤時間がしんどい。今から出勤するというのに、もう家に帰りたい (おい)。 5月24日のお地蔵様、私のこの怠惰な心根に お慈悲を。なむ~。 ★ 娘 (小焼け)の毎日登校と部活が再開した。嬉しそうに話す顔を見ながら「こうして、毎日一緒に夕食をとりながら、1 日のできごとを話す日はあと どのくらい?」とふと思う。 遠くの大学に行き、その地で就職・結婚するかもしれない。私がそうであったように…。 高校卒業までの 残りの年月を 指折り数えてみると 3 年 9 か月! 子どもと一緒に過ごす期間のなんと短いこと…。 ★ 我が家に届いたアベノマスクは、チェック・試着した限りでは問題はなかった。『洗濯により、縮みます』と書いてあったのを思い出して、洗濯してみようと思った。縮みを少なくするには・・・と、マスクに添えられ
昨夜は珍しく眠りが浅かった。目が覚めて「何時だろう?」と 壁掛けの電波時計を見る。寝る前と ほぼ同じ時刻を指して 止まっている。電波時計は 電池の寿命が長い。前回はいつ交換したのか思い出せないほど。「遂に力尽きましたか」と言いながら ( 最近 独り言が多い。危ない ) 壁から時計をはずして リビングまで持って行く。 新しい電池を入れてはみたものの、動き出さない。 あれ? 電池を入れると自動で電波をキャッチするのではなかったかしら? 受信方法を忘れてしまった。小さな突起を見つけて 適当に押してみる。 突然、長針と短針が ぐぃ~んと回り始めた。 速っ! けれども、12 時を指してピタリと止まった。 ん? 時刻が違うよ~。ちゃんと受信できないの? 電池を取り出し もう一度入れ直して、最初から試みる。再び 長針と短針が ぐぃ~んと凄いスピードで回り始めるものの、また 12 時でピタリと止まり動か
今まで経験したことのないゴールデンウィークになった。街も 新幹線も 飛行機もガラガラだ と報道される。 ツイッターやブログからは、ステイホームという状況に 息苦しさを感じながらも、皆様それぞれに工夫をし 過ごされていることが伝わってくる。 学校や塾ではオンライン学習になった、と耳にすることが増えた。病院のオンライン診療は ありがたい。それから、理容室・美容室もオンラインで セルフカットの指導されるとか。カメラ (モニター) に映った お互いの姿を見ながら、プロの方が「そうそう、そこの箇所の髪をつまんで、ハサミをこうあてて」と指導されていた。「遂に ここまで?!」と驚く。 試してみたくなるが、自分の髪を切る勇気が出ない。ちらっと娘の顔を見る。小焼けは 察したらしく「カットモデルにされるは嫌よぉ、お母さんは 自分で自分の髪を切って。セルフカットなんだから」と先回りして断られてしまった。 残念だ
『禍福は糾える縄の如し』という言葉は、人生の長い期間での例えだと思うけれど、私の場合は ほんの4日間でくるくると交互にやってきた。(『災禍』『幸福』というほど大袈裟なものでもないけど)。 発端は、前回 (3月24日) の記事を投稿した後だった。もう寝る時間ではあったが、他の方のブログをちょっとだけ訪問していたら、「○○さんが★をつけました」というお知らせが届いた。それで自分のブログに戻ると・・・ない! 私のブログの★欄やコメント欄などが消えている。非表示にした記憶もないのに、なぜ? 暫く待っていると、ぴょこんと現われた。 ★福 早速、「はてなブログ、重い」と入れて検索。たくさんの方々が対処方法を書かれていた。ありがたいです。 その中に「ブログの表示にかかるスピードを測ってみよう」というのがあり、URLが貼られていたので早速実行。へぇ~、こんなものがあるのねぇ。知らなんだ。 あらら・・・。私
私は 1 か月に数回しか投稿しない (できない) けれど、皆様のブログを読むのは好き。 『インターネットに繋ぐ時間は 1日 合計 1時間半まで』と決めている。 (初めてスマホを買ってもらった中学生か!?) しかし、そう決めていないと ついつい時が経ってしまう。セルフ コントロールって難しいね、と思うのは私だけ? 一方通行で読むだけではなく、皆様の記事にコメントしたくなる時もあるのに、なかなか勇気が出ない。それでも時々は、そぉ~っとコメントさせていただく(おずおずと書く割には、長すぎる)。お返事いただいたら、おお!と嬉しい。先日の北野トマレ (id:kitano-stop) さんの記事には、小学生だった我が子 (小焼け) とそっくりのコケシちゃんが登場していて、大笑いした。算数がんばろうねぇ。 ※小焼けの場合は割り算で「舟に乗れる人の数は5.8人」とか答えていた。(お~い、5人+0.8人っ
法事があって親戚の家に行った。そこには従姉妹のMちゃんが帰省していた。彼女の第二子 (生後 6 ヵ月) は ニコニコとよく笑う可愛い男の子だ。 Mちゃんは「夕暮れちゃんに抱っこしてもらおうね」と、赤ちゃんに話しかけながら、抱っこさせてくれた。赤ちゃん特有の柔らかな感触が幸せを運んでくる。「はい、パチリ(Mちゃんのスマホで撮影)」。 「○○叔母ちゃんにも抱っこしてもらおうね」。「はい、パチリ」。 それから その場にいる全員が次々と抱っこして写真を撮った。久しぶりに会う親戚ならよくある光景なのに、私はなんだか とても嬉しかった。 というのも、新聞の投稿欄に先月載った記事のことが 心の片隅にあり「赤ちゃんに接する時には、お母さんの気持ちを尊重しなくては・・・」という思いになっていたのだ。それで、Mちゃんが何の くったくもなく「皆さ~ん、私の赤ちゃんを抱っこして 1 枚ずつ写真を撮らせて~」と言っ
阪神・淡路大震災発生から 昨日 (1月17日) で 25 年となった。 新聞には被災された方達の当時のことや、現在の状況などが特集されている。 いつもの自分のペースで記事を読んでは申し訳ない思いがして、丹念に読む。 お一人ずつの体験談は、読めば読むほど 言葉にできない思いがこみあげてくる。 「やまゆり園」事件初公判に関する記事と、被害者家族の思いも載っている。「なぜ、息子 (娘) が死ななければならなかったのか知りたい」「裁判では甲Aと呼ばずに名前を呼んで。 美帆という存在を知ってほしい」「被告の表情と言葉を見届けたい」・・・等々、ご家族の 憤り・無念さ・辛さ・・・察してあまりある。 無謀運転・事故・理不尽な事件などに巻き込まれて命を失った方達のことも 記憶が蘇る。 どの記事も切なすぎる。「年月が解決してくれる」という言葉があるが「そんなことはないのだ」と 悲しみの深さに改めて想いを馳せる
義姉が帰省している間は、義父に付き添ってくれるとのことなので、私は安心して実家の両親達と祖母に会いに出かけた。 祖母の部屋に着いて 持参したおせちを広げると、祖母は目をくりくりして喜んだ。食事は小さく切れば大丈夫のようだが、飲み物はストローでは飲めなくなっていた。小焼けが「ひいおばあちゃん、ストローをそんなに噛まずに、チューと吸ってみて。ほら、こうやってね」と口元と頬を すぼめ、ストローで吸うような動作をしてみせるのだが、祖母はうまくできないようだった。それでも、私達が手を添えると コップから少しずつ飲めることに安心する。 食事が一段落すると、母は「さて、新年会の第二部と参りましょう ♪」と言いながら、パソコンやブルーレイ ディスク を用意し始める。昨年末のレコード大賞と、紅白歌合戦の一部が録画してあるらしい。 ん? 何を始めるの? PC画面には Foorin の「パプリカ」が現われた。
母から、我が家の年末年始の予定を尋ねる電話があった。用事が済んだ後、母がぼそっと言った。「私ねぇ、お父さんと別れるわ。お父さんには悪いけどね・・・」。 えええ! 何をまた唐突に!? 私の父は穏やかな人で、家族にも声を荒げて物を言うようなことはない。 母がこんなに伸びやかに楽しげに暮らしているのも、父あってのことだ・・・と母も私達家族もそう思っている。 私が物心ついてからの記憶を辿っても、父は いつでも私達の一番の味方だった。 例えば・・・私が小学生の頃、当時の母は 今以上に仕事が忙しく 私の参観日にも来られないほどであった。「娘の学校行事があるから」という理由で仕事を休むなんてことは まだ難しかった30年前の話である。 ある日、母はクラスのお母さんに言われたそうだ。「そんなにお忙しくていらして、ご家庭は大丈夫ですか?」。 母はその言葉を聞いてしょんぼりした。 すると父が言った。「君が仕事を
先日、朝ドラを録画で見ていたら、心に残るシーンがあった。 【長女(喜美子) を真ん中にして、両隣に次女(直子)と三女(百合子)。 三姉妹が川の字になって布団に入っている。 長女は考えごとがあって眠れない。 ふと横を見ると次女が目を開けている。 「起きてたん?」と尋ねると、次女は「怖い夢を見た」と言う。空襲でみな逃げて行くのに自分だけ置いて行かれた(手を繋いでいた姉と はぐれた)幼い頃の怖くて心細かった記憶がトラウマになり、夢になって時々現われるようだ。 長女は言う。「こっち、おいで」。 今はもう女学生になった次女は照れて断わるが、長女は続ける。 「ええから、おいで。手ぇ繋いで寝よ~」】 「おいで」って いい言葉だなぁ。その言葉の先には「何か温かいもの」が待っている予感がする。 幼い子なら、「抱っこしてもらう」とか「膝に座って絵本を読んでもらう」など。 もう少し年齢があがると、「一緒に遊ぼ~
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