承前*1 「かわいそう」というのは、山形氏が述べているような、或る個人が社会福祉とかにコミットする動機としては成り立つかも知れないが、社会福祉や社会保障という制度は基礎付けられないし、〈制度〉的な振る舞いとしての社会福祉や社会保障の実践の動機付きとしても成り立たないだろう*2。社会福祉や社会保障というのは、相手を「かわいそう」と思うかどうかということではなく、その対象がwell-beingを欠如している状態にある、或いは〈困っている〉状態にあるということにおいて発動される実践だからだ。実際の話、「かわいそう」どころか〈憎たらしい〉と思う、或いは〈ぶっ殺してやりたい〉と思うような障碍者や老人は掃いて捨てるほどいるだろう。だからといって、そういう人たちを放置していいというわけにはいかない。多分、こんなことが問題になるのは、端的に言って、世俗化の帰結だろう。村上陽一郎氏が述べているように、そもそ