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デリダに関するPledgeCrewのブックマーク (6)

  • ベンヤミン『暴力批判論』12神的な暴力 - 恐妻家の献立表blog

    論理に飛躍があったら、それは鼻づまりのせいです。 ついに神話的暴力を「滅ぼすことが課題」であることが明らかになった。もっともこれはベンヤミンにとっての課題であり、私自身は同意を留保する。神話や伝説がどう扱われるべきかは、亡霊の両義性にも似たやっかいな問題を含んでおり、ベンヤミンにはその厄介さに対する視点が欠けているように思われる。 それはさておき、ベンヤミンが神話的暴力に対して持ち出してくるのは神的暴力である。 まさにこの課題こそ、究極において、神話的暴力に停止を命じうる純粋な直接的暴力についての問いを、もういちど提起するものだ。いっさいの領域で神話に神が対立するように、神話的な暴力には神的な暴力が対立する。しかもあらゆる点で対立する。(ベンヤミン『暴力批判論 他十篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)』p59) 神話的暴力(法を措定、境界を設定、罪をつくり贖わせる、脅迫的、血の匂いがする、ニ

    ベンヤミン『暴力批判論』12神的な暴力 - 恐妻家の献立表blog
  • 高橋哲哉『デリダ』第4章 - 恐妻家の献立表blog

    何かヒントが得られるのではないかとデリダがベンヤミン『暴力批判論』を論じた『法の力 (叢書・ウニベルシタス)』を開いてみたが、参考書にするには(無理?)難しすぎて歯が立たなかったので(当たり前)、高橋哲哉による解説『デリダ (「現代思想の冒険者たち」Select)』を読む。 私はデリダを学生時代に何冊かを読んで、あまりの難解さに投げ出してしまった。 その難解なデリダも高橋の手にかかると、理路整然と説かれるところが驚異だが、その説くところはやはり矛盾そのものである。いや、高橋が、あるいはデリダが論理矛盾であるなどということではなくて、整然たる理路が問い詰めていくものが矛盾だということだ。 「あらゆる法の「起原」には無根拠な暴力がある」(高橋、p192)というのは、ベンヤミンの法措定的暴力のことだろう。 法の創設、「立法」の行為は、質的、構造的に無根拠な「力の一撃」であり、実力行使である。議

    高橋哲哉『デリダ』第4章 - 恐妻家の献立表blog
  • アーレントとデリダ :: ex-signe ::

    歴史家であるハンナ・アーレントの概念に、「忘却の穴」がある。ユダヤ人を焼き尽くしただけでなく、焼け残った髪や骨までも消し去ろうとしたナチスの行為は、民族そのものの存在の記憶――痕跡――すら抹消しようとしたのであり、これをアーレントは「忘却の穴」と呼んだのである。こうした概念の批判対象は、もちろん、ホロコーストの歴史を抹消しようとする西欧の歴史修正主義者の議論である。ホロコーストを連合軍の捏造に仕立て上げ、その記憶を忘却の穴に投げ捨てようとする歴史修正主義者の行為は、その点で、ナチスが行なったホロコーストと同断の非道なのである。 存在のみならず、その《記憶痕跡》をも抹消する「忘却の穴」を、アーレントは恐れ、そして批判したが、わたしは、この概念について、彼女とは違った印象をもっている。というのも、おそらく、彼女の「忘却の穴」への恐怖には、歴史家の傲慢、あるいは歴史的に思考しがちなアカデミシャン

  • 2009-01-03

    収納箱をほじくりかえしてたら出てきましたよ、奥さん。デリダ&ハーバマス共同声明全文。id:hizzz:20081210の補講id:hizzz:20081227の補講。 …整理のつもりが逆に散らかす、お約束な正月展開。はぅう。 ジャック・デリダとユルゲン・ハーバマスによるこのエッセイは、ヨーロッパ知識人たちの共同行動の一環をなすものである。イラク戦争に対する拒否によって、ヨーロッパのアイデンティティとは何か、という問いがあらためて提起された。この問いに答えるべく、ヨーロッパのジャーナリズムには現在まで、エッセイのほかに次のものが発表されている。「ラ・レププリカ」のウンベルト・エーコ、「新チューリッヒ新聞」のアードルフ・ムシュク、「南ドイツ新聞」のリチャード・ローティ、「エル・パイス」のフェルナンド・サバテル、「ラ・スタムパ」のジアンニ・バァッティーモ。 独 Frankfurter Allg

    2009-01-03
  • ハーバーマスとデリダのヨーロッパ/72448_362.pdf (application/pdf オブジェクト)

    <特集・論文> ハーバーマスとデリダのヨーロッパ 三 島 憲 一 「しばしば,この脱構築の時代と啓蒙とが対置されること がありますが,それは違うのです。私は啓蒙の味方,進歩 の味方であり, 進歩主義者> です」。デリダ 「差異に敏感な普遍主義」ハーバーマス 1. はじめに 神々のパッチワーク 哲学や社会学のみならず,文科系や社会科学系 の 野一般で,学問の精神とまったく相反する神 様選びと偶像崇拝がわが国に横行して久しい。西 欧の偉大な思想家や理論家を自 が世界をみる枠 組みにしてそれで「事足れり」としている気配が 濃厚である。それはヘーゲル,ルソー,フッサー ル,ニーチェといった古典であったりする場合も あるし,マックス・ヴェーバー,ハイデガー,バ ーリン,シュトラウス,あるいはハンナ・アーレ ント,ハーバーマス,フレーザー,バトラーとい った比較的新しい名前であったりする場合もある。

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/01/06
    ハーバーマスは2,3冊ほどあったけど貧乏時代に売ってしまった。
  • 決定(決断)不能性と決断(決定) - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/toremoko/20081219/1229682735(Via http://d.hatena.ne.jp/noharra/20081219#p2 ) この余白にデリダ『法の力』からの引用を書きつける。 ある決断が正義にかなうものでありかつ責任ある/応答可能なものであるためには、その決断はそれに固有な瞬間において――このような瞬間があるとして――、規制されながらも同時に規則なしにあるのでなければならないし、掟を維持するけれども同時にそれを破壊したり宙吊りにするのでなければならない。すなわち、それぞれのケースにおいて掟を再発明しなければならないほどに、それを正義にかなうようにし直さねばならないほどに、掟を破壊したり宙吊りにする必要がある。あるいは少なくとも、自由にそれにまったく新しい確証を与える、というかたちで掟を再発明せねばならなくなるほどに、

    決定(決断)不能性と決断(決定) - Living, Loving, Thinking, Again
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2008/12/23
    法の力
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