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歴史認識に関するPledgeCrewのブックマーク (16)

  • 歴史の物語り論−「開かれた未来」からの歴史認識の可能性について - tukinohaのアニメじゃない日記

    1980年代のドイツで起こった「歴史家論争」の渦中、感傷的な筆致によって第二次大戦中のドイツ軍との心情的同一化、ひいては彼らの行った歴史的事実の正当化を試みたアンドレス・ヒルグルーバーに対し、ユルゲン・ハーバーマスは以下のような批判を加えた。 「人は、当惑して次のような疑問を抱くであろう。ヒルグルーバーは、何ゆえに1986年の歴史家に、40年の歳月を経た時点から振り返ることを試みさせないのか、すなわち、どのみち自らをそこから引き離すことはできない自分自身のパースペクティブを引き受けさせないのか、と。さらに言えば、現在から振り返るパースペクティブには、直接その場、その時に居合わせた当事者たちとの選択的な認識を関係づけ、互いに比較考量し、あとから生まれた者の知識でもって補足することができるという解釈学的な利点がある。しかしながら、ヒルグルーバーは、このようなほとんど「正常な」と言いたくなるよう

    歴史の物語り論−「開かれた未来」からの歴史認識の可能性について - tukinohaのアニメじゃない日記
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/07/05
    歴史の物語性は、歴史を恣意的かつ功利主義的に構成することを正当化するものではない
  • チャンネル桜 | ◆ NHK 一万人・集団訴訟 - 最高裁判決にて全面敗訴

    日1月21日、最高裁判所において、NHK「JAPANデビュー」一万人集団訴訟の原告側 全面敗訴 が言い渡されました。 主文は、下記のとおりです。 主文 原判決中上告人敗訴部分を破棄する。 前項の部分につき、被上告人の控訴を棄却する。 控訴費用および上告費用は被上告人の負担とする。 日台湾双方の真の歴史と人々の思いを踏みにじった当該番組が、恣意的な取材と編集で高許月妹さんの誇りを傷つけた不当性を認めた高裁判決は破棄されました。 そして、原告団の請求が全て棄却された一審判決を是とする結果が下されました。 私達は、これは全く道理の通らない 不当判決 であると考えます。 今回の判決は、5名の裁判官(裁判長裁判官・大谷直人、裁判官・櫻井龍子、同・山浦善樹、同・池上政幸、同・小池裕)が全員一致で下したとのことですが、判決理由が法廷では一切読み上げられなかったことが、義から逸脱した論理から成る不

  • 『・NHKの偏向番組へ8000人が集団提訴 ~既存メディアの大罪を止めるきっかけとなるか~』

    【NHK提訴】責任見失う公共放送:産経 批判が相次いでいたNHKスペシャル「JAPANデビュー アジアの“一等国”」はついに法廷で争われることとなった。番組の取材方法や編集の在り方に、これほど注目が集まったのは極めて異例だ。 「南京大虐殺」「従軍慰安婦」「強制連行」など、これまで俎上にのぼった近現代史の代表的論点をたどると、もともとの発端は今回の放送に使われた「日台戦争」という言葉同様、後に一部学者や出版物から編み出された造語に始まったものが多い。 日のメディアが盛んにこれを取り上げ、定着した後に、計り知れない禍根をもたらす。同盟国の米国で可決された「従軍慰安婦」をめぐる対日非難決議のように、外交の足かせとなったり、日の国が不当におとしめられていく。 そうした悪循環の構図やメディアの悪意にすでに多くの国民が気づき、真剣に憂慮している。公共放送の番組作りに厳しい目が向けられる理由だ。 平

    『・NHKの偏向番組へ8000人が集団提訴 ~既存メディアの大罪を止めるきっかけとなるか~』
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/07/05
    産経の報道
  • ある植民地エリートの記憶 - abduluzzaの日記

    雑記, 歴史認識, 差別, ウヨ 少し前の話になってしまったが、NHKが、日帝国主義の植民地統治下の台湾で、日の植民地支配を受けた世代の老人の対日観を通じて、台湾植民地統治が、当時の日にとってどのようなものであったか、台湾を当時の日がどのようにみなしていたかを取り上げた番組を製作し、否認主義者、『美しく無垢な僕たち日人』という物語に浸りたい人たちから、非常な反発と憎悪を向けられた。 インタヴューを受けた柯徳三氏は、日植民地支配に対して『良いところ悪いところ半々』という感想を吐露しており、またNHKの番組は『日人なのに日統治の悪いところだけ流した』『NHK中国共産党の手先か?』ということもいっている。無論、彼の証言は貴重なものだが、われわれは彼の何の根拠もない陰謀論や、『日人なら日統治のよい面もたくさん流すはず』というような俗論に惑わされる必要はない。そして、彼の証言の

  • 「日本は加害者」史観 - 思いて学ばざれば

    おやおや、どうしたことだろう。松永英明さんが「日は加害者」史観をくさしておられる。 【絵文録ことのは】長野の戦争遺跡訪問【1】松代大営象山地下壕 【絵文録ことのは】長野の戦争遺跡訪問【2】「信州松代 れきみちの家」 【絵文録ことのは】長野の戦争遺跡訪問【3】松代大営・舞鶴山地下壕(1) 【絵文録ことのは】長野の戦争遺跡訪問【4】松代大営・舞鶴山地下壕(2) 逆に一億総懺悔だのといった「日はすべて加害者、中国朝鮮はみな被害者」というのも受け付けない おそらく、単純な「日は加害者、朝鮮・中国は被害者」という史観では現代に対応できまい。逆に、「日は何も悪くない」「日が過去過ちをおかしたかのような記述が少しでもあれば、日を貶めるものだ」というのも行きすぎだ。数々の史実は、そのような単純なものではないことでないことを伝えている。 どうも『「日はすべて加害者、中国朝鮮はみな被害者」

    「日本は加害者」史観 - 思いて学ばざれば
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/04/22
    松永という人は祖父がシベリア抑留にあったと言っている。それにしても「一億総懺悔」の意味も知らないというのは/id:mujinさん、どうも、うちの親父はビルマ帰りなもんで抑留経験者の孫ならも少し下かと思ってました
  • 不可解な反論をするひと - apesnotmonkeysの日記

    備忘録ことのはインフォーマル 「非常に横槍で申し訳ないのだが」 「横槍」とかはべつにどうでもいいんですよ。ネットで自説を主張した以上、いつ誰からそれについて批判されたって文句は言えないんだから。しかし、ですな・・・・・・。問題とされている私の認識は次の通り。 「カルデロン一家は出て行け」と主張する(ないしそうした主張にシンパシーを感じる)グループと「カルデロン一家に在留特別許可を」と主張する(ないしそうした主張にシンパシーを感じる)グループとを対照した場合、前者の方に満州事変以降の日の歩みを肯定・免罪・相対化する傾向が強くあることはことさら実証してみせる必要もないことでしょう。 保守派や右派に分類される人びとの中にも「満州事変は侵略戦争だった」と考える人がいること、「カルデロンさん一家全員に在留特別許可を与えるべきだった」と考える人がいることは、もちろん承知してますよ。私はここで保守派、

    不可解な反論をするひと - apesnotmonkeysの日記
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/04/21
    石原は戦前も戦後も「万邦無比の皇室」を戴く大和国家の世界史的使命を任じていた点では一貫している。彼が傑物であったことは確かだとしても、「五族協和」なる理念は結局は他民族の皇民化を意味するものでしかない
  • ■ - 過ぎ去ろうとしない過去

    メモ 「新しい歴史運動」(メディアの用語を用いるなら)のなかには種々雑多な潮流が存在するとはいえ、「歴史工房」の「日常史派」はこのような我々のイメージとの修正と原則的には何の関係も無い。 … 彼らはむしろ国民史的な伝統に批判的であり、多くの点で左派的なのである。 … にもかかわらず、彼らもまたしばしばアイデンティティを得る目的のために歴史をやっている。きみらの足元を掘りたまえ(何のためにだろうか?――自分自身の根っこを発見するために)。 … ここでは、この形態のミクロな歴史学がたいてい支払わなければならないひとつの代価だけを指摘しておこう。すなわち、さまざまな連関の認識の放棄、言い換えれば「大きな問い」、たとえば国家形成と階級形成、宗教と教会、産業化と資主義、国民と革命、ナチズムの根的な原因と結果、国際的な比較におけるドイツの特殊性、といった、「大きな問い」の黙殺である。 このような問

    ■ - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 過ぎ去ろうとしない過去 - 「歴史家論争」について

    ずいぶん昔に長文を書いたのだが、アップするのを忘れていた。 「歴史家論争」は、ドイツ人の「国民の物語」を巡る問題と直結している。その発端は、1986年にフランクフルトで行われる予定になっていたエルンスト・ノルテの公演内容の講演と、同年に発表されたアンドレアス・ヒルグルーバーの著書『ふたつの没落』に対する、ユルゲン・ハーバーマスの批判であった。 ノルテは、ユダヤ人の大量虐殺という「過去」は、ドイツ人にとって永遠に消えないスティグマとして刻印付けられており、そのことが過去の歴史に対する冷静な検証をかえって行うことを妨げていると述べる。ドイツ人が、「最終的解決」の問題にあまりにも注意を向け続けているあまり、ナチ時代に行われた他の諸問題、あるいは現代なお行われている他の虐殺の問題が、なおざりにされている、と。 このような動きに対して、ハーバーマスは「国民意識の再生」に対するドイツ国民のコンセンサス

    過ぎ去ろうとしない過去 - 「歴史家論争」について
  • 「羊」をめぐる冒険 - 地を這う難破船

    ⇒negative_dialektik はてな村出張所 ⇒negative_dialektik はてな村出張所 最近、千数百年の長きにわたって、日史の記述の中で、悪者扱い逆臣扱いされてきた、蘇我氏の名誉回復につながる様な研究が進んでいます。 進歩的な外交をしようとした蘇我入鹿らに反対する、中大兄皇子と中臣鎌足らが共謀して、クーデターによって入鹿らを殺害して、それを正当化するために、『日書紀』の記述を改竄し、名前までも蝦夷のような印象の悪い名に変えて、蘇我氏は逆臣だった、という「正史」を残した、という学説が出てきています。 私はこれを大変興味深い学問的研究だと思いますが、これをしも、「おぞましい歴史修正主義」と人は呼ぶのでしょうか。 この事例からも想像できるように、「正史」というものは、強者・権力者が書き残すものです。しばしば自分の都合のいいように歪曲しながら。そこに書き記されている歪み

    「羊」をめぐる冒険 - 地を這う難破船
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    PledgeCrew 2009/03/20
    死者の鎮魂は肯定されるべき。靖国はそれを国家に命を捧げた「英霊」として祀る装置。それが「共同体の集合的記憶を国家に捧げ返す」ということ、言い換えれば共同体の集合的記憶を国家が簒奪し統合するということ
  • テンプレを踏んでいることに気づかないテンプレ通りの人たち - Close To The Wall

    東浩紀の発言から始まった年末南京事件騒ぎだけれども、このパターンほとんど年始のフロムダ氏の南京論争とそっくりで、わたしとしては以下の一年前の記事を再掲するだけで終わらせても良いくらいだ(この騒ぎでにわかにリバイバルしてアクセス数が増えている)。 「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close to the Wall 続・「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close to the Wall 南京事件否定論は基的にトンデモ - Close to the Wall 論争傍観者を自称する人間についての二つの問題 - Close to the Wall ただ、東のいっていることは単純に歴史修正主義容認論とみなしていいのかどうかはやや判断に迷うところなのでさておくが、ゼロアカ門下生藤田直哉id:naoya_fujitaの発言はひどいのを通り越してもはや犯罪的だと

    テンプレを踏んでいることに気づかないテンプレ通りの人たち - Close To The Wall
  • パレスチナ解放とホロコースト否認の結びつきについて - 過ぎ去ろうとしない過去

    先日、とある人とパレスチナ問題について話していて、その人は日における反イスラエルの言説が反ユダヤ主義に結びつくことを危惧していたのですが、ぼくはさすがにそんなバカな話はないだろうと、たかをくくっておりました。 でも、あるんですねこういうのって。 ■歴史問題と政治問題の憂な関係、あるいは、歴史的修正主義について http://d.hatena.ne.jp/negative_dialektik/20090317/1237279039 確かにドイツでは1970年代後半のレバノン侵攻以降高まったイスラエルへの批判の一部が、ホロコースト否認論と結びついて問題になったことがあります。日でも、チベット解放と南京大虐殺否定論が反中という点において結びついているネットウヨクがいるように、それ自体正当なものである批判的言説が歴史修正主義の侵入を許してしまうのは、ありえないことではなかったのでした。 歴史

    パレスチナ解放とホロコースト否認の結びつきについて - 過ぎ去ろうとしない過去
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/03/19
    「自分は特別だ」みたいな自惚れを持ち、生分かりで権力者が作った「正史」がどうのとか言い出す者ほど、妙な「陰謀論」や安っぽい「歴史の真実」とやらにはまりやすい。これはまず間違いのない「経験則」
  • 立場を超えた客観的真理? - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2007.03.19 立場を超えた客観的真理? (8) カテゴリ:雑感 虐殺された人の数をめぐる議論では、たいていの場合、加害者の主張のほうが被害者の主張よりも少ない。これは、死者の数を一つ一つ数えることのできないような場合には、よくあることだ。 かりに死亡者の数がある程度推測できる場合であっても、加害者のほうは「虐殺」の定義を問題にし、「戦闘中だった」とか「逃亡しようとしていたからだ」とかいろんな理由をを持ち出してきて、その数をなるだけ小さくしようとする。 それはたぶん「罪の意識」の裏返しに過ぎないと思うのだが、ここで「加害者と被害者の立場を超えた『客観的真理』」などと称するものは何を意味するのだろうか。 たとえば、加害者(殺す側)と被害者(殺される側)といった特定の立場を超えて通用する、「主観性を超えた社会的な意味での『客観性』」といった基準が、かりに加害者のほうですら認めざるを得ない

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  • うーん、でもやっぱりね - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2007.03.28 うーん、でもやっぱりね (5) カテゴリ:雑感 コメント反映と回答ありましたので、書き換えます。 とりあえず、回答していただいたことには感謝します。 いささか、こちらも性急なことを言っちゃったかなというのは、反省 でも、軍人の論理で言えば、一人のゲリラを殺すために100人の村人を殺しても「虐殺」ではないと判断できる。 これだけは、少なくとも撤回して欲しかったと思います。 この理屈でいけば、ソンミ村の虐殺だって「客観的には虐殺だとは言えない」って話になるんじゃないかと思います。 戦争というものは、一連の戦闘行為の連鎖で成り立っているわけで、どちらかが完全に武装解除されるか撤退でもしない限り、1つの戦闘が終わって一定の地域を平定したからといって、兵士にとっての「命の危険」が消滅するわけではありません。 それは今のイラクを見れば分かることです。 日中戦争のときも、侵略者であ

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  • 歴史について - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2007.03.23 歴史について (2) カテゴリ:歴史その他 20世紀は 「戦争と革命の時代」 であるということが言われたことがある。これは、言い換えると 「大量死の時代」 であると言ってもいいと思う。 第一次大戦、ロシア革命とその後の内戦、さらにスターリンの粛清、辛亥革命後の軍閥の抗争と日中戦争、そしてその前後を挟んだ国共内戦、第二次大戦とナチスによるユダヤ人虐殺、民間人を狙った都市への絨毯爆撃と広島・長崎への原爆投下。 また、中国革命後の毛沢東政権下での大躍進政策の失敗とその後の 「文化大革命」、さらには朝鮮戦争とベトナム戦争、カンボジアでのポルポトによる虐殺、アフリカ各国での内戦、最近では旧ユーゴの解体に伴った内戦など、20世紀に起きた 「大量死」 という事実は、それこそ両手両足の指を使っても足りないぐらいにあげられる。 こういった 「大量死」 は、多くの場合きちんとした記録など

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  • ホロコーストを否定した司教が破門を解かれた事件に関して - あんとに庵◆備忘録

    先週、おフランスのネト友人から教えてもらった、ピオ10世会に関する問題ニュースがやっと地球の反対側に届いたんだが、こんなニュースになって伝わってきた↓ ▼ローマ法王、ホロコースト否定の司教破門を撤回 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090127-00000005-cnn-int エルサレム(CNN) ローマ法王ベネディクト16世は24日、ナチスドイツ時代のユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)を否定する発言をした英国人のリチャード・ウィリアムソン司教らの破門を撤回すると発表した。イスラエルのユダヤ人当局者は、これに強い不快感を示している。 破門を撤回されたのは、聖ピオ十世会所属のウィリアムソン司教ら4人。同司教は先日スウェーデンのテレビ局に対し、ナチスドイツの収容所で死亡したユダヤ人は20─30万人にのぼるものの、ガス室で死んだ者はいないなどと主張した。

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  • 東浩紀の渦状言論: 歴史認識問題についていくつか

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2008/12/09
    「現地」を訪れることが無意味とは言わない。しかし、一定の留保つきとはいえ記念館を訪れた程度で「実感」がないというのは、逆に安易であり素朴に過ぎると言われても仕方がないのでは。
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