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山形浩生に関するPledgeCrewのブックマーク (3)

  • 「かわいそう」を超えて? - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 「かわいそう」というのは、山形氏が述べているような、或る個人が社会福祉とかにコミットする動機としては成り立つかも知れないが、社会福祉や社会保障という制度は基礎付けられないし、〈制度〉的な振る舞いとしての社会福祉や社会保障の実践の動機付きとしても成り立たないだろう*2。社会福祉や社会保障というのは、相手を「かわいそう」と思うかどうかということではなく、その対象がwell-beingを欠如している状態にある、或いは〈困っている〉状態にあるということにおいて発動される実践だからだ。実際の話、「かわいそう」どころか〈憎たらしい〉と思う、或いは〈ぶっ殺してやりたい〉と思うような障碍者や老人は掃いて捨てるほどいるだろう。だからといって、そういう人たちを放置していいというわけにはいかない。多分、こんなことが問題になるのは、端的に言って、世俗化の帰結だろう。村上陽一郎氏が述べているように、そもそ

    「かわいそう」を超えて? - Living, Loving, Thinking, Again
  • 研究メモ 『所有と国家のゆくえ』+ちょっとだけ本田ブログ閉鎖事件(追記あり)

    今日は泊り込みの介助(介護)の仕事の日。寝付けないのでパソコンを借りて書くことにした。時期的には、『所有と国家のゆくえ』で扱われているネタについて時間をかけて書きたくないし、田ブログ閉鎖事件についてはもっとそうだ。最近はそういうことについてあまり考えていない。だけど、せっかくだし、なるべく単純に、書くことにしよう。あまりの内容には触れずに、立岩氏と稲葉氏の立ち位置について書く。 所有と国家のゆくえ (NHKブックス) 作者: 稲葉振一郎,立岩真也出版社/メーカー: 日放送出版協会発売日: 2006/08/01メディア: 単行購入: 2人 クリック: 11回この商品を含むブログ (57件) を見る 『所有と国家のゆくえ』についてはブログ上では 『所有と国家のゆくえ』反響 http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060903/p2 『所有について

    研究メモ 『所有と国家のゆくえ』+ちょっとだけ本田ブログ閉鎖事件(追記あり)
  • 歴史家としてのフーコー キース・ウィンドシャトル (Keith Windschuttle)

    Foucault as Historian キース・ウィンドシャトル (Keith Windschuttle) (Critical Review of International Social and Political Philosophy Vol 1, No 2, Summer 1998, pp 5-35, Robert Nola (ed.) Foucault, Frank Cass Publishers, London, 1998 にも再録) 要約: フーコーの「歴史」と称するものはいい加減であり、実際の歴史とは全然対応していない。実際の歴史と並べてみると、フーコー流の「知」の考古学や系譜学はでたらめ。かつて中世にキチガイがうろついていたのは、連中が人間として権利を認められていたからではなく、人間以下の動物としか思われていなかっただけのこと。精神病院に入れたのは、別に人間以下のも

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