タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

石川三四郎に関するPledgeCrewのブックマーク (2)

  • 「敗北」の協同主義(2)  今田剛士

    目次 序 1.「帰農思想」の特質 2.アナーキズムと「農主義」 3.「革命」の「敗北」 4.協同主義と「共同体」 5.石川三四郎の「転向」 3.「革命」の「敗北」 アナーキズムの衰退――それは、世界的潮流に鑑みるならば、すでに一九一七年のロシア十月革命のインパクトによって決定づけられていた。 それ以前、フランスをはじめとした各国の社会主義にあっても、その思潮の中心を占めていたのは、過激なゼネ・ストを武器とするアナルコ・サンディカリストであった。だが、第一次大戦の勃発に際して無力さを露わにしたこの思想は、突如ロシアから聞こえてきた「革命」の歓喜の声によって、その首座から追い払われてしまう(27)。ロシア十月革命以降、「革命」を導いたボルシェヴィストが掲げるマルクス=レーニン主義は、唯一可能な「革命」の思想として世界に受容されていくことになるのである。 日の社会主義におい

  • 「敗北」の協同主義(1)  今田剛士

    目次 序 1.「帰農思想」の特質 2.アナーキズムと「農主義」 3.「革命」の「敗北」 4.協同主義と「共同体」 5.石川三四郎の「転向」 序 思想史と呼ばれる著述の功罪は、幾多の思想を一個の歴史的構築物として扱うことを可能にさせる反面、通時的叙述の中心から外れた末端的思想を恣意的に切り捨ててしまうところにある。むろん、いかなる著述も一定の目的を設定しないままに書かれることはない。たとえ、それが歴史的諸相の具体的な一面を記述する場合においても、焦点を曖昧化する他の諸相が意識的、無意識的に忘れられてしまうことはあるだろう。しかし、思想史が書かれる際にもっとも問題となる所作とは、ときにその忘却が、末端的思想の一個に短絡的な「異端」の刻印を押してしまうことである。外貌の異様さのみに眼を奪われ、思想の共時的な内容に手を触れぬまま処理してしまうことである。 第二次世界大戦にいたる一

  • 1