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靖国に関するPledgeCrewのブックマーク (5)

  • 松平保定(または靖国と会津) - Living, Loving, Thinking, Again

    http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY200909150192.html (Via http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090916/p1) 会津松平家13代当主松平保定氏について; 2年前、磐梯山と猪苗代湖に臨むマンションに、と2人で移り住んだ。近くに藩祖の墓がある。 東京で生まれ育ち、大学を卒業して、農林中央金庫に29年、勤めた。 あまり知られていない話がある。 保定は定年退職後、人柄を見込まれ、「靖国神社の宮司に」と打診があった。辞退したが、「どうしても」と要請された。 靖国神社は、戊辰戦争での新政府軍側の戦没者を慰霊したのが、その始まりである。 3カ月、悩んだ。他の神社ならともかく、最終的に断った。 「薩長がまつられ、賊軍とされた会津の戦死者がまつられていないのに、会津人としてお受けするわけにはまいりません」 Apeman

    松平保定(または靖国と会津) - Living, Loving, Thinking, Again
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/09/17
    同じ「賊軍」でも、西郷のほうは会津と違って名誉回復されたうえに銅像まで建ってますけどね
  • 不思議の国 「日本」 - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2007.09.24 不思議の国 「日」 (6) カテゴリ:雑感 フロイトの 『トーテムとタブー』 を読んでいたら、たまたまフレーザーの 『金枝篇』 の 「タブー」 についての章からの、次のような引用を見つけた。 太古の王国は専制主義であり、したがってその人民は、ただその支配者のためにのみ存在するという概念は、ここでわれわれが見ている君主国にはまったく適用できないのである。それどころか君主国では、支配者は自分の臣下のためにあるにすぎない。 王が自分の地位に基づく義務を果たして、自然の運行を彼の人民の利益のために調整するかぎりにおいて、王の生活は価値をもつにすぎない。王がこの義務を怠ったり放りだしたりすると、彼はそれまでしばしばその対象にされていたのに、その配慮や献身や宗教的尊敬などが、憎悪や軽蔑に変わってしまうのである。 王は惨めにもその地位から追われ、命だけでも助かれば喜んでよいのだ。

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    PledgeCrew 2009/09/16
    "万世一系の鉄槌に頭蓋骨を打撲せられて武士道とともに天皇陛下万歳を叫びつつあり。土人部落なるかな"「国体論および純正社会主義」
  • 死者を冒涜するいくつかの方法3 - 恐妻家の献立表blog

    非業の死を遂げた死霊を御霊と呼び、御霊を祀りその祟りを鎮めようとする信仰を御霊信仰と呼ぶ。 慰霊の対象となっているのは、非業の死を遂げた人たちである。その人たちへの「ある種の思い」が「霊を慰める」という行為に駆り立てる。この「ある種の思い」とは「後ろめたさ」といってもいいだろう。この語は『大言海』によれば、「うしろべたし」(後方痛し)の転じたもので、「背後に気配を感じること」であるという。 何を感じるというのだろうか。ここではいうまでもなく、亡くなった人の気配あるいは眼差しである。(小松和彦『神なき時代の民俗学』、p111) 神なき時代の民俗学 作者: 小松和彦出版社/メーカー: せりか書房発売日: 2002/07メディア: 単行購入: 2人 クリック: 2回この商品を含むブログ (3件) を見るかつて夭折した在野の民俗学者、田中丸勝彦はこの御霊信仰を戦死者祭祀に当てはめ、国家による英霊

    死者を冒涜するいくつかの方法3 - 恐妻家の献立表blog
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/08/20
    「御霊(怨霊=祟り神)を英霊と呼び替えることで何が行われてきたのか。」小松和彦/岸らがA級戦犯を合祀したのはやはり「後ろめたさ」からでしょう。http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200709240000/
  • 小島毅『靖国史観』 - Living, Loving, Thinking, Again

    靖国史観―幕末維新という深淵 (ちくま新書) 作者: 小島毅出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2007/04メディア: 新書購入: 3人 クリック: 51回この商品を含むブログ (37件) を見る 小島毅氏の『靖国史観』を読了したのは既に1か月くらい前。 はじめに 第一章 国体 第二章 英霊 第三章 維新 おわりに あとがき 参考文献一覧 書の主張は「はじめに」で述べられた 「靖国神社の思想的根拠は(神道というよりは)儒教にある」。これが私の学説である。そして、靖国神社が国際問題として扱われることを憂慮し、そもそもの起源においてそれが国内問題であったことを、いまあらためて声を大にして訴えていくこと。それが現代日に生きる儒教思想研究者としての使命であると、近年強く感じるようになった。(p.9)ということに要約されるのであろう。また、高橋哲哉氏の『靖国問題』に言及して、 高橋氏の議論は

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  • 彎曲していく日常 死霊が降りてくる

    ラインラボさんが、最近の読書録で 8月2日 『現代思想』2005年8月号が “靖国問題”を特集。奈倉哲三「招魂 戊辰戦争から靖国を考える」。を取り上げている。 http://www.linelabo.com/books.htm 最近の読書録 靖国神社の前身は東京招魂社。明治2年(1869)6月に招魂祭をすることにより始まった。1868年1月の鳥羽伏見の戦いから翌年5月の五稜郭の戦闘終結までの戊辰戦争で斃(たお)れた者たちの「魂」を招き、神として祀るための儀式だった。維新政府は内戦に倒れた者を祀ることにより自らの権力を確立していこうとしたのだ。 その日招かれた魂の数は3558。すべて新政府側で戦って斃れた者である。それに対し、旧幕府側で戦って斃れた者たちは、8625名余り。新政府側で招かれなかった「魂」も千人以上いる。これらの「招かれなかった魂」たちがどういった状況、戦いで死んでいったかを、

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