ファシズムを勉強ればするほどに、この手法が単純に悪いものといえるのか?って実はずっと思っていた。「悪」と決めつけて、単純に思考停止しているだけじゃないかって。宮沢賢治もそうだし、ニューディール政策をやってルーズベルトもそうだし、ある価値を社会に埋め込んで人を動員するというのは、この資本主義がいきついた社会では不可避の方法なんじゃないだろうかって思っていたんだけど、そのことが非常にシンプルに説明されていて、なるほどと思った。ちなみに、人々が「悪」だと断罪しやすいのは、人種主義になっていったナチズムと混同しているからなんだ、というのは、考えてみれば単純な話だ、と思った。ナチズムとファシズムを丁寧に分けて評価しないと、すぐに善悪二元論的な思考停止ワードに変質してしまう。これからの社会は、二元論的な峻別を丁寧に回避していくような、非常に難しい綱渡りのような作業が常に必要なんだと思う。それくらいに我
第一次世界大戦の末期、「提督たちの反乱」と呼ばれた無謀な出撃作戦に反対した水兵たちが蜂起、アホな上官の妄動を阻止した水兵たちの「兵士の革命」に講和を願う労働者たちが合流、事実上の無血革命が起き、当時最も民主的と評される憲法の下ワイマール共和国が誕生する。しかし、政治面では安定せず、議会政治は麻痺しかかっていく。既成政党に不満を持つ人たちの中からナチ党に期待する人たちが増え始める。その背景に「社会主義」のインフレという現象があった。引用部の "あのシュペングラー" というのは『西洋の没落』を書いたシュペングラーのこと。 「社会主義」のインフレ 大戦後、左翼陣営では、社会主義理念のインパクトが共産主義という新理念の出現で薄れたが、逆に右翼勢力の一部に「社会主義」がはやるようになった。あのシュペングラーも1919年に『プロイセン主義と社会主義』を出版した。シュペングラーはもちろん、マルクス主義的
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