私は吉本氏の良き読者とは言えない。何度か読もうとしたことはあったが、理解できたと思えるまでには至らなかった。友人知人たちの中には、吉本氏を称賛する者たちも少なくなかったが、彼らから説得的と思える吉本弁護論を聞くことはできなかった。おそらく吉本氏のような在野の独創的思索者の場合、その理解には固有の難しさがある。その諸説を何らかの普遍的枠組みに位置づけるには、独自の翻訳が必要になるからである。ここで「在野」というのは、既成のアカデミックな組織に身を置かないという意味ではなく、通常のアカデミックなディシプリンを身に着けずに思索を続けるという意味である。この意味では、例えば長谷川宏氏などは「在野」ではない。大物では、スピノザなどは在野の典型かもしれない。 また、吉本氏の思想を紹介することが難しいのは、それが読者自身の思索的拠点を問い返すことを要求するために、各個人ごとに吉本氏との出合い方が個人的な