今日はそんなチェルノブイリ事故当時の西ドイツ(ベルリンの壁崩壊前だったのですね)での様子についてを紹介したいと思います。気にした人、気にしない人、気にした行政、気にしない行政、26年前も今と変わらない様子が見えてきます。 なぜか動きのにぶい行政 西ドイツ国内で最も強い汚染地帯となったのは、南部のバイエルン州。しかし、バイエルン州政府が初めて動きをみせたのは事故から三週間もたってからで、パンフレットで地表の汚染や牛乳中のヨウ素131の汚染地を公表しただけだった。バイエルン州は西ドイツの農産物の80%を生産する農業地帯であるため、食品の規制を厳しくすると、経済的に大打撃を受けてしまうことへの配慮だった。また西ドイツ保守政界のボスシュトラウス州首相(当時)が君臨し、原発推進のキリスト教社会同盟(CSU)とキリスト教民主同盟(CDU)の地盤ということも強く影響していたのだろう。 遠い西ドイツで起き