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前回、ヴィゴツキーの最近接発達領域(ZPD)について、Chaiklinが「客観的ZPD」と「主観的ZPD」の2種類に分けて考えるべきだしていることを説明した。その場合、「客観的ZPD」というのは、すべての年齢層の子どもたちが直面している、社会歴史的に構成され準備されている“次の段階”へ向けての橋渡し的状況にあり、そこでは、その年齢層の子どもの精神機能の発達が“次の段階”への備えとなるべく、社会歴史的に(否応なく)「方向付けられているという状況を指しているとした。この問題を、私は、LPP論における学習者の「アイデンティティ」が、そのコミュニティの社会歴史的に形作られてきている「成員性(membership)」への同一化へむけてのプレッシャーにさらされているという「客観的状況」の問題に対応していると述べた。 それでは、ZPDについて、個人の発達に焦点化した「主観的ZPD」とはどういうものだろう
昨年秋にカリフォルニアのサンディエゴで開催されたISCAR(International Society for Cultural and Activity)大会で、小生の発表に対してSeth Chaiklin がいろいろ有意義なコメントをくださったのだが、「ほんのついで」という感じで、「Sayeki のZPD (Zone of Proximal Development) 解釈は、“よくある誤解”にはまっているので、私が数年前に書いた論文を読むとよい。」と言われた。 帰国後、しばらくはほったらかしにしてあったが、最近、気になって読んでみた。読んだ論文は Chaiklin, S. 2003. The zone of proximal development in Vygotsky’s analysis of learning and instruction. In A. Kozulin, e
報道を見ていると本当に情けないというか,恐ろしいというか,なんとも言えない不快感がこみ上げる。先日も書いたがまた気になることがいくつか出たのでメモ代わりに書いておく。 新型インフルエンザ これもまた前回に書いたことがそのまま当てはまり,ひたすら恐怖をあおる。煽っておいて,パニックになるなとか,おかしなことを書いている。 それにもまして気になるのが,学校の休校だ。大阪,兵庫で中,高校が全面休校になっているとか。これで先生も生徒も,困っているとか,不平がなどという報道がよくなされている。修学旅行が中止されたとか,保育園が休園で働く親が困ったとか,哀れなケースもあるが,生徒のレベルに話を限れば,喜んでいる方がはるかに多いのではないだろうか。学校が休みというのはそんなにつらいものなのだろうか。 小学生の頃おたふく風邪がはやりクラスで10人以上も休んだことがあった(当時1学級45名)。無事に学校に来
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