女性週刊誌記者を九年勤めた後、梨元勝がテレビの芸能リポーターに転身したのは昭和五十一年。いまから十年前のことである。まもなく二十年になるその取材活動の中で、彼が自殺事件を取材するのは三度目だった。 一度目は昭和五十三年十二月二十八日に起きた俳優・田宮二郎の「猟銃自殺事件」。二度目は同五十八年六月二十七日、俳優・沖雅也による「飛び降り自殺事件」である。そして三度目のニュースは、さる昭和六十一年四月八日の午前十一時五十分、彼の耳に飛び込んできた。 その第一報は警視庁記者クラブからで「歌手の岡田有希子が南青山の自室で手首を切り、ガス栓をひねって自殺未遂!」というものだった。 それを彼は日本テレビのスタジオで聞いた。しかし、この段階ではまだ梨元勝は平静だった。 それは「未遂」という二文字があったからという理由からではない。 「岡田有希子」というタレントについて、彼がさしたる認識を持っていなかったた