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(世界のダム) 古代都市社会が発展するためには、安定的な食料生産が前提であり、灌漑用の水源としてダム建設が必要でした。世界四大文明発祥の地では、強力な権力者が存在し、大規模に労働力を動員することができたため、ダムの建設が可能でした。 歴史上、文献に現れる世界最古のダムは、ヘロドトス著「歴史」に登場します。紀元前2900年代初期、第一エジプト王朝の創始者メネス王が首都を建設するために、堤高15mのダムを築造してナイルの流れを変えたとされています。しかしこれはダムではなく、堤防ではなかったのかといわれています。ダムと呼べるものとしては、カイロの南方で、エジプト・クフ王朝時代の紀元前2750年頃と推定されるサド・エル・カファラダムの遺跡があります。これを最古のダムとするのが現在の定説だといわています。このダムは、ピラミッド建設用石切場の労働者の飲料水を確保するために造られ、堤高11m、堤頂長10
洪水吐などのダムから水を放流するための設備に設置される、開閉や流量調節をするための装置です。 設置場所により、次のような種類があります。 ■クレストゲート ダムの堤頂部に設置されるゲートです。クレストとはダムの堤頂部のことです。一般に、異常洪水時にダム天端からの越流を防ぐための非常用ゲートとして使用されます。 ■コンジットゲート 放流管ゲートのこと。堤体中の下部に設置されます。洪水調節用の大容量の高圧放流設備として設けられるゲートを指すことが多いようです。クレストゲートとコンジットゲートの両方を備えたダムがよく見られ、それぞれ非常用洪水吐、常用洪水吐として使われます。 ■オリフィスゲート 比較的浅い位置(堤体の上下の中間)に設置されるゲート。堤体の下部にコンジットゲート、中段にオリフィスゲートといった組み合わせがよく見られます。
【ダムにいる鳥】国土交通省「河川水辺の国勢調査」(2000) カイツブリ、カワウ、ヨシゴイ、ミゾゴイ、ゴイサギ、ササゴイ、ダイサギ、チュウサギ、コサギ、アオサギ、オシドリ、マガモ、カルガモ、コガモ、トモエガモ、オカヨシガモ、ヒドリガモ、オナガガモ、アヒル、ミサゴ、トビ、ハイタカ、ノスリ、クマタカ、コジュケイ、キジ、ヤマドリ、イソシギ、ドバト、キジバト、アオバト、ジュウイチ、カッコウ、ツツドリ、ホトトギス、アオバズク、フクロウ、ヤマセミ、カワセミ、ブッポウソウ、アオゲラ、オオアカゲラ、コゲラ、ツバメ、コシアカツバメ、イワツバメ、キセキレイ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、ビンズイ、タヒバリ、サンショウクイ、ヒヨドリ、モズ、カワガラス、カヤクグリ、ルリビタキ、ジョウビタキ、トラツグミ、シロハラ、ツグミ、ガビチョウ、ヤブサメ、ウグイス、キクイタダキ、セッカ、オオルリ、コサメビタキ、エナガ、ヤマガラ
島谷幸宏(しまたにゆきひろ)先生は、現在、九州大学で学生の指導にあたっておられますが、鹿児島県の川内川の鶴田ダムや新川の西之谷ダムといったダム事業では、学生ともども地域住民も参加した合意形成のあり方を探り、その過程で大型の水理模型実験に取り組むなど、洪水リスクを減じながら自然環境を考えた川づくりを行うという観点で大きな成果をおさめられました。 今回は、自然を生かした川づくりとはどのようなコンセプトに基づく川づくりなのか?や、大型模型を活用しつつ、地域住民との話し合いを重ねて得られた合意形成の事例についてお話を伺います。 (インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池) 中野: 先生は、国交省に入られてまもなく土木研究所に行かれたそうですが、最初から川の研究をしようと思っておられたのですか? 島谷: 大学、大学院の時はずっと構造力学をやっていました。それで建設省に入るときに、川の仕事をやりたいと
1月上旬、所用のため北関東自動車道佐野田沼ICから県道66号線(主要地方道桐生田沼線)を通り桐生市方面に向かいました。途中、一級河川旗川(利根川支流)に架橋された羽室橋を通過します。この日、この橋の下には、水が流れていませんでした。 県道を桐生市方面に進むとやがて山間部に入ります。栃木・群馬県境付近で左折して林道に入ると松田川ダム、そのまま直進すると梅田湖(桐生川ダム)を渡る梅田大橋に至るという位置関係です。 1.ダムのある川 栃木県南西部や群馬県南東部にかけての両毛地区平野部には、大きなダムは建設されておりません。関東平野の北限であり、目前に迫った足尾山地の森林「緑のダム」が豊かな水資源をもたらしてくれるのかもしれません。松田川ダムと桐生川ダムはこのエリアでは数少ないダムの例です。
奈良県の大門ダムは『ダム便覧2011』において、同県唯一の位置未確認ダムとなっています。このダムは平成23年5月時点で未竣工のため位置未確認(位置未確定)とされているようです。ダムの建設において着工後、基礎岩盤に難点が発覚して設計とは異なる位置に計画が変更されることも稀ではないようです。このため、大門ダムについては、正式に位置が確定するまでにはもう少しだけ時間がかかりそうです。 大門ダム建設予定地の奈良県生駒郡三郷(さんごう)町立野付近には、とっくりダム(型式=G)と大門池(型式=E)という既設のダムがありました。 とっくりダムは、堤高28m、堤長95.5mの重力式コンクリートダムです。また、貯水池は三郷町民が水道水源として利用している利水ダムとなっています。ところが、ダムの目的に「砂防」が含まれているためか、今までのところ『ダム便覧』『ダム年鑑』ともに収録されていないようです。 一方、大
0時現在 貯水率 46.0% 9時から 第二次取水制限 カット率:徳島用水15.9%・香川用水35.0% 貯水率が低下し続け、45%程度になる見込みの22日から2次制限 水資源機構早明浦ダム高知分水管理所によると、このまま雨が降らなければ、94年より2週間ほど早い7月10日前後にも取水できる水が底をつく 高松地方気象台によると、今月中はまとまった雨は見込めないという ダム湖では75年の建設で水没した大川村の役場跡の3階部分が茶色い姿を見せた 6月に役場跡が現れるのは香川県が大渇水に見舞われ「高松砂漠」と言われた94年以来 6月の水位としては過去最低を記録 香川県知事は「各市町で香川用水がとまった時にどれぐらい持ちこたえられるか、最悪の事態を想定し、状況をきっちり把握してほしい」と呼びかける 香川県庁では、職員が本館、東館、北館の全フロアにある61か所の水道の蛇口をテープで固定し、使えなくす
ダムカレーについて店にあれこれ聞いてみた。以下はそのQアンドA。 ■ダムカレーはいつから提供しているのですか。 そのきっかけは。なぜ出すようにしたのですか。 販売は2007年2月頃から。きっかけは、日経流通新聞にダムカレーが取り上げられてからです。 それ以前も、自分のためにダムカレーを造っていました。 ■今までにどのくらい食べた人がいますか。 その中に有名人(?)がいたら教えてください。 2007年8月31日現在で、72基施工。(自分で食べた分を含まず) 「ダムマニア」の右フレーム内に表示している「ダムカレー施工数」がリアルタイム情報となっています。 薬丸裕英さん、立川談笑さん、ダムに関わる偉い人などが召し上がりました。 ■最近注文する人が増えていますか。 評判はどうですか。 2007年4月頃は爆発的に売れましたが、現在はぼちぼちって所です。 ダムを知っている人はアーチ式、あまり興味が無い
お知らせ 2024/01/16 NEW ダム日本 2024年1月号目次追加 2024/01/09 NEW ダム百選 第61回「スキー場が近くにあるダム」 2023/12/21 NEW ダム日本 2023年12月号目次追加 2023/12/12 NEW「第71回 水源地活性化講習会(2024/2/22)」開催のご案内 2023/12/05 NEW ダム日本 2023年11月号目次追加 2023/11/01 令和5年度 ダム工事技術者研修のご案内 2023/11/01 公 示 ダム工事総括管理技術者の登録 2023/10/24 東京都の環境施策に貢献する「東京グリーンボンド」の購入について 2023/10/20 ダム日本 2023年10月号目次追加 2023/10/18 ダム百選 第59回「夏に行きたいダム」投票結果 2023/10/18 令和5年度ダム建設功績者表彰式・ダム工事総括管理技術者
2011年8月14日、東京カルチャーカルチャーでトークショー・ダムナイト5が行われた。萩原雅紀さん(ダムサイト)が企画のダムナイトは、東京カルチャーカルチャーで第1回があったのが2008年4月19日、早いもので今回で5回目。回を重ねるごとに、熱気を帯び、ますます充実。特に今回は「ダムのデザイン、どうしてこうなった」というテーマを掲げ、出演者も絞ってこのテーマを掘り下げて議論しようと言うことのようだ。事前準備も、相当に力を入れたようで、萩原さんの並々ならぬ意欲が感じられた。 出演者は、萩原さんの他に、DamMapsやニコニコ生放送で知られるtakaneさん(ダム日和)がダムマニアとして参加。takaneさんはこれで5回すべてに出演。それに、ゲストとして、中村靖治さん(ダム工学会計画部会長)が参加。中村さんは、長くダム建設に携わってきたダム造りのプロ中のプロ。さらに特別ゲストとして、ダム好きの
これは、増山たづ子さんの写真集「故郷 ~私の徳山村写真日記」(株式会社じゃこめてい出版 1983年)をもとに、旧徳山村の様子を紹介するものです。 徳山村は、ダムの建設に伴って水没する466戸がすべてが移転し、1987年4月に藤橋村に編入されました。増山たづ子さん(旧徳山村戸入出身、大正6年生まれ)は、60歳を過ぎてから、ふるさと旧徳山村の写真を撮り続けてきました。その写真には、旧徳山村の人々の暮らしや自然が生き生きと描かれています。 使用した写真は、増山たづ子さんと株式会社じゃこめてい出版のご承諾をいただき、写真集から転載させていただきました。快くご承諾いただきましたことについて、ここに心から感謝の意を表します。
「理の塔、技の塔」 ~私説・戦後日本ダム建設の理論と実践~ (9) 《現地探訪》 大惨事から30年 ~アメリカ・ティートンダム崩壊~
2011.3.30 その日私は世紀のショーを見るために島根県東部、飯南町の志津見ダムサイトに来た。この日、志津見ダムで行われている試験湛水でダム湖の水が溢れそうだ(試験放流が始まる)というのを聞きつけて、馳せ参じたのだ。放流の期間は一般的に24時間程度と聞かされたことがあったが、念のため事務所に確認するとこちらでも計画では24時間程度だということだった。 ダムのてっぺんから水が流れ落ちてくる光景、それも85.5mの高さから、堤体下流面全体を使ってナメ滝のように静かに滑り落ちる光景を眺めることが出来るのはたった一日のチャンスなのだ。 さらに、運用が始まってしまえば、てっぺんから自然越流するのは150年に一度の確率と言われており、今後この光景を拝めるのは不可能に近い、まさに一日限りの世紀のショーなのだ。2009.9.10、堤体がほぼ完成していた志津見ダムサイトを訪れて以来、私は、是非ともこの場
福島第一原子力発電所の事故で、冷却水として坂下ダムの水を使っていると報道されているが、ダムから原発まで水はどう運ばれているのかが知りたくて、調べてみたら、ダムの現地の案内板の写真(2007年5月、池ちゃん撮影)があった。 これによると、坂下ダムの水は、原発まで導水管で導水され、利用されていたことがわかる。 今回おそらく、この導水管が利用されたのではないかと推測される。
虫明功臣先生(むしあけかつみ、東京大学名誉教授)は、本体着工寸前でストップしてしまった八ツ場ダムの建設問題では、これまで群馬県議会をはじめ、衆議院の委員会に招かれて意見を述べ、さまざまなデータを示してダム建設の有意性を説明して来られました。 先生は、東京大学工学部の学生時代には高橋裕ゼミに学び、全国の河川を調査し、治水や利水のあり方について研究してこられたとのことです。その後、数多くの業績を積み重ねて来られ、現在では水文学、水資源工学の分野において我が国を代表する学者の一人としてよく知られています。 今回は、その虫明先生に、学生時代からの河川研究について語って頂くとともに、ダムや河川が抱える問題ついて、また今注目されている八ツ場ダム問題も含め、幅広くお話を頂きました。 (インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池) 中野: まずどういうきっかけで河川研究の道に入られたのかから伺います。 川に
ダムインタビュー(26) 竹村公太郎さんに聞く 「未来を見通したインフラ整備が大事で、ダムの役目はまだまだ大きいですよ」 竹村公太郎さん(財団法人リバーフロント整備センター理事長)は、かつて旧建設省の河川局長時代に、新聞に掲載された記事に公開質問状を出し、その後のやりとりをインターネット上で全文公開、真実を公開の場で明らかにしようという果敢な行動は、当時の人々に大きなインパクトを与えました。 また、幅広い知見と活動はよく知られるところであり、最近では著書も多数、その議論はインフラから歴史、文明にも及びんでいます。 その竹村さんに、ダム造りの経験、マスコミとのやりとり、日本を支えるインフラのあり方など多方面の話題について、わかりやすくお話しをしていただきました。 (インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池) 中野: 学生時代は、土木工学科で修士まで勉強されてから入省されたと伺っていますが、当
高橋裕先生(たかはし ゆたか、国際連合大学上席学術顧問・東大名誉教授)は、ダム工学会・若手の会主催による「第4回語りべの会」(2010年1月18日)において「永田 年と佐久間ダム」というテーマでご講演されました。その中で、かつて土木学会で行われた作家・司馬遼太郎さんとの対談を引用されつつ、高度成長時代を支えたダム建設を通して、土木の役割について語られました。 今回は、こうしたご講演などを踏まえ、今現在、ダムや土木事業が直面しているさまざまな問題解決のためには、どういったアプローチが必要なのか、また、どういった方向性での解決に道が見えてくるのかについて、水問題や河川についての幅広い観点から、あらためてご教示いただければと思いインタビューさせていただくことにします。 (インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池) 中野: まず初めに「土木を取り巻く諸問題について」という事でお話しを伺いたいと思い
フォト・アーカイブスに、myREDTOP様、福角正美様、まるがりさん様、s_wind様、sagoH様、安部塁様、拾泉舎様、根住宙一郎様、からし様、sen様、mikoasia様、余地河川様、北島仁志様、なんなん様、Rico様提供の写真を追加
ダムインタビュー(23) 竹林征三さんに聞く 「ダムによらない治水と言うが、堤防を強化して首都圏の大都市を守れるのか」 今を遡ること7年前の2003年、そして2005年の二度にわたり、日刊建設工業新聞に連載された「ダム無用論を憂う(全24編)」「続・ダム無用論を憂う(全36編)」という、竹林征三先生(たけばやし せいぞう、富士常葉大学 環境防災学部教授)のコラムを読み返してみて、ものすごい衝撃を受けた。それは、ようやく本体工事にとりかかるという寸前に発せられた「八ツ場ダム建設中止」の声にも負けないくらいインパクトがあった。 コラムの始めに記されている、土木の「つもり違い」十か条の中から、いくつかをご紹介すると『余っていると思っていたが全く不足しているのが水資源』『“守れ自然河川”と言っていたが実は人工河川・長良川』『ダムの機能があると思っていたが全くないのが緑のダム』…まるで、つい最近のダ
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