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大谷翔平
kamomenosuke.hateblo.jp
木橋を渡って登り坂となった虎口の先には、本丸入口となる東門。 門を抜けて、こちらの料金所で入館料250円(博物館とセットだと400円)を支払ったのちスタンプをお借りし、自身東北エリアで最初の100名城をゲットです。 ここで改めて根城を居城とした南部家ついて。 浅学の自分は「南部は“三日月の丸くなるまで南部領”といわれるほど領地が広かった」程度しか知らなかったのですが、今回訪れたことでちゃんと調べると、そう呼ばれたのは根城を築城した南部師行の時代から約200年後の1570年頃の話しで、当主が南部晴政の時代でした。また同じ南部でも師行は「根城南部氏」、晴政は「三戸南部氏」になります。 ここら辺を少しだけ説明すると、平安末期から鎌倉前期の有力な鎌倉御家人であった南部家始祖の南部光行は、源頼朝に与して戦功を挙げて甲斐国(現在の山梨県南部町・身延町)を与えられた際に南部姓を称しました。のちの戦で今度
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