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shootingtokyo.hatenablog.com
全長400メートル、歩行者専用の吊り橋として日本で最も長い「三島スカイウォーク」からは駿河湾、そして富士山が一望できます。2014年に「伊豆縦貫自動車道」が開通すると三島市は通過するだけの街になる恐れがあったことから、人を呼び込むため、民間投資で建設されたそうです。地元の人によると、訪れた日は特に天気が良かったようで、ゆらゆら揺れる橋を渡りながら絶景を拝むことができました。 純粋に景色を楽しむための橋で、渡った先にはお土産物屋やアスレチック施設があるぐらいです。それでもここから眺める富士は大きく(広角で撮影したため小さく見える)、往復1000円を払う価値は十分にありました。 青く輝く駿河湾。 三島といえば鰻です。駅からすぐの「不二美」というお店でいただきました。言葉はありません、ただただ美味しかったです。 三島スカイウォークの入場チケットとセット販売されていた「韮山いちご狩りセンター」のい
都内にしては大雪の月曜日、帰宅途中に日比谷駅で足止めを食らったついでに、雪が積もった界隈をぶらりとしてみました。 日比谷公園の中を歩く人はさすがにほとんどおらず、足跡のない真っさらな雪景色を堪能できました。とても静かでした。 こちらも日比谷公園。木の枝が雪で覆われ、氷の華のようでした。 日比谷公園を日比谷花壇のある出入り口から出て、目の前に帝国ホテルと日生劇場を臨む。 左に目を転じると、日生劇場とその奥には今年3月にオープンする複合施設「東京ミッドタウン日比谷」。 右手は日比谷シャンテ、左手は東京宝塚劇場。午後6時過ぎにシャンテに入りましたが、ほとんどの店舗がまだ開いていました。とうぜん客はほぼゼロ。 コリドー街。 新橋駅から数寄屋橋交差点方面を臨む。右手前はリクルート本社ビル。 ※Sony RX100で撮影 にほんブログ村
樋口一葉や金田一京助が住んだ界隈を2年半ぶりに再訪しました。文京区という都心にありながら、山がちな地形と点在する古い木造建築、ところどころに生える雑草のせいで、郊外に来たような錯覚に陥ります。静かな住宅街は人やクルマの往来も少なく、歩いているだけで穏やかな気持ちになれました。 ありがとうございます、傘にマッチするピンク色の入った服装の女性が前方から歩いてきてくれました。歩きスマホをしていなければ、もっと絵になったと思うのですが。 「鐙坂(あぶみさか)」。坂名の由来は、乗った人が足を掛ける馬具・鐙の製作者の子孫が住んでいたからとか、坂の形が鐙に似ているからとか。かなり急な坂です。右手の石垣の上に建つのは、言語学者の金田一京助と春彦親子の旧居跡です。 菊坂沿いの古い木造住宅。一般のお宅のようなのですが、ひときわ目を引きます。 旅館の鳳明館の別館。向かいにある本館は明治30年代に建てられ、現在は
明治27年から35歳で亡くなるまでの8年間、正岡子規が暮らした家が鶯谷のラブホテル街にあります。故郷の松山から母親と妹を呼び寄せ、ここで結核と闘いながら俳人としての活動を続けたそうです。庭に出ると、生い茂る草木から夏の匂いがしました。 昭和20年に空襲で焼け、現在の庵はその後に復元されたものです。この机も複製だそうですが、傷や木目も復元されているとのことです。 客は私以外に2人しかいなかったので、机の前に座ってゆっくり庭を眺めることができました。 ヘチマの水は痰を切る効用があるとのことで、結核に苦しんだ子規は、亡くなる前日に詠んだ最後の歌の中にヘチマを登場させています。 正岡子規といえば、司馬遼太郎が書いた「坂の上の雲」の印象が強いです。子規は陸羯南が社主の「日本新聞」の記者でもあり、日清戦争では従軍して遼東半島に行っています。記者としての当初の月給は15円。他社が数百円を提示しても転職は
今年の花見シーズンのラストに、神田川を流れる桜の花びらを見てきました。この川沿いは江戸川橋付近の桜が綺麗だったと思い出し、有楽町線の江戸川橋駅で下車。上流へ遡り、山県有朋の旧宅として有名な椿山荘にも立ち寄りました。 記憶があやふやなのですが、たぶん江戸川橋の上から撮りました。花びらで川面が覆われていると期待していましたが、それほどでもありませんでした。 神田川に映る桜の木と、散った花びら。「もちもちの木」という絵本を思い出しました。 川沿いは細長い公園として整備されています。江戸川公園です。神田川のこの辺りは、かつて江戸川と呼ばれていたそうです。 上流に向けて歩いて行くと、左手に椿山荘があります。今はホテル・結婚式場ですが、明治、大正期は山県有朋の屋敷でした。広大な庭は無料で公開されています。 なんと滝まで、しかも本格的。山県有朋が所有するまでは、上総国久留里藩の黒田家屋敷だったそうです。
江戸時代に掘られた運河「大横川」沿いに、河津桜を鑑賞できる一角があります。横川橋から葛西通りまでの間、ちょうど木場公園南園の東側に沿って植えられています。50本くらいでしょうか、きちんと数えていませんが。 ソメイヨシノには酒がつきものですが、河津桜の下で宴会をしている場面に出くわしたことはありません。気温が低いからでしょうか、それとも河津桜には酒宴を誘うようなフェロモンを出していないのでしょうか。 たしかにソメイヨシノのような華やかさというか、あやうい刹那的な感じはありません。なんでしょう。上品すぎるのか。 とくに興味はなさそうだけど… 大横川沿いの河津桜を見るには、地下鉄東西線の木場駅が便利です。 大横川は東京スカイツリー近くの業平橋が起点。そこから木場まで南下し、今度は西に曲がって深川を抜け、隅田川に注ぎます。 JR錦糸町駅に向かって歩いていたら、2階にブロック塀がある珍しいお宅を見つ
絶景の湘南の海を眺めながら、世界一と評判の朝食をいただきました。うーむ、スクランブルエッグの風味がちがう、パンケーキが口の中でとろける。世界一かどうかはわかりませんが、確かに美味い。腹が一杯になったところで、七里ヶ浜の住宅街を抜けた山中にある寺へ新年詣で。マイナーすぎて参拝客が誰もいませんでした。 オーストラリアから上陸した「bills」というカフェの「フルオージーブレックファースト」。2000円、飲み物は別、高っ! でもスクランブルエッグを口に入れるとバターの香りが広がって、幸せな気持ちに。パンもとても美味しかった。 こちらは「リコッタパンケーキ」。1400円、やはり飲み物別。生焼けというわけではないのに、中がとろとろでした。 カフェの目の前は七里ヶ浜。こんな景色をみながら、世界一の朝食を堪能できます。この写真は浜に下りて撮影しました。 江ノ電の七里ヶ浜駅から山の方へ10分ほど歩いたとこ
中井は20数年前、夜中に大学の先輩のアパートを訪れて以来です。あの時は車で、しかも暗かったので意識していませんでしたが、とても坂が多い街なんですね。平行して走る8つの坂に、1から8まで番号が振られていました。「四の坂」に作家の林芙美子が住んでいた大きな古民家が建っており、紅葉したもみじとの組み合わせに見入ってきました。(これまた3週間ほど前に撮影したものです) 自伝的小説「放浪記」で有名な(読んだことありませんが)林芙美子が、1951年に亡くなるまでの10年間暮らしていた家です。広い庭に、大きな木造の家屋が2つ建っています。 棚に食器が置いておいてあり、今も生活しているような感じで保存してありました。新宿区立が管理し、一般に開放している施設なので仕方ありませんが、写真右のほうに見える消防施設が残念。 紅葉が見事というほかありませんでした。日が当たる部屋の畳に寝そべり、庭を眺めてみたかったの
江戸時代は武家屋敷、明治の終わりから大正にかけては見世物小屋や寄席、料理屋が立ち並ぶ東京の一大歓楽街だったそうです。旧町名の竹町や御徒町は、「台東区台東」という無味乾燥な住所に区画整理されていますが、古い木造住宅がひしめく味のある街です。 路地をふと覗いたら、両側が長屋という珍しい景色に出くわしました。この辺りは何度も通っていますが、カメラを持ってぶらぶら歩いてようやく気づきました。 路地の中は日が当たらずジメッとした湿気がありました。建物は古いですが、綺麗に維持されていました。 上野や秋葉原といった繁華街に隣接していますが、長屋以外にも古い造りの家がかなり残っています。 こちらも。リサイクルショップとして利用されていました。 破れたままの日よけ。錆びた骨は曲がり、廃墟感が漂っていました。 コーラの看板も古そうです。遠方に見えるのは、佐竹商店街のアーケード。 日本で2番目に古い商店街と主張
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