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大谷翔平
someyakaoru.hatenadiary.jp
いつの頃だったか、 私は、 自分がお母さんになる日が来るかも知れない ということを、とても不安に思う時期がありました。 私の言葉を聴き、私の傍で見る世界は、 どうしたって私の尺度に依るのでしょう。 そうして少なからぬ時間を私と過ごすであろう 我が子を思うと、自分にそれだけの用意があるかしらと まるきり自信をなくしてしまうのです。 母として振る舞うときにも、根底に在るのは、 やはりひとりの人間としての自分に違いありません。 今になって振り返ると、そのことを 無自覚ながらに感じていたようにも思われます。 ふとそんなことを考えていた折り、 『あたしおかあさんだから』という曲の歌詞が 一寸した話題となっていたことを知りました。 それは、あるひとりのお母さんが 出産前を振り返ることに始まり、 我が子と過ごす中で次第に自分よりも子ども優先に 生きるようになった日々を、喜びとして綴るものです。 眠いまま
いつどこで、誰のどんな会話を聴いたやら。 時折、ハルの言葉遣いが面白いことになっています。 先日は、久しぶりに行った公園の遊具に大興奮、 まるで往年の少女漫画を彷彿とさせるような言葉遣いで 素敵なお誘いをうけました。 「そうね、そうね、そうしましょう!」 思わずそんなふうに応えたくなるような、 不思議で愉しいハルのお喋りです。
帰宅後や食事前などの手洗いを、 なんやかんやと嫌がるハル。 もう一度相談してもらった結果、 なんとか綺麗になった 右手さんと左手さんでした。
今日は、ハルと私にとって、 少し、特別な日でした。 ハルが生まれたその日から、 二年半続けていた授乳を、 お仕舞いにする日だからです。 我が家で授乳と言えば「トントン」。 ハルが五ヶ月くらいの頃から、 私が自分の胸の辺りを軽くたたくような仕草で いわゆるベビーサインをしていたのですが、 そのときに無意識で口にしていた「トントン」という 言葉が、そのまま授乳を意味するようになりました。 この日のために、 カレンダーをつくり、 毎日一緒にシールを貼って、 お仕舞いの日を確認しました。 「もうすぐ、トントンはないないだね。 トントンはね、本当は赤ちゃんのときのものなんだ。 赤ちゃんは歯がないから、ごはんが食べられないの。 トントンが、ごはんの代わりなんだね。 ハルは、素敵な歯が沢山生えてきたでしょう。 ごはんも美味しいおいしいって、食べられるものね。 そうすると、じゃあもうトントンはなくても大丈
ハルが、自分の大好きなものを食べているときに、 それを半分こなどで分けてくれることがあります。 ちいさい子ども向けのお菓子はどうも割高ですし、 果物もなかなかによいお値段がするので、 本当はハル一人でどうぞという気持ちもあるのですが、 その優しさは、やはりとても嬉しいものです。 先日は、苺を分けてくれたハル。 相変わらずの躊躇のなさに色々と考えさせられつつ、 “そうだね。分け合って、分け合って、 手元に残るものはわずかでも、 皆で一緒に美味しく食べられたら嬉しいねえ。” …と、そんなことを思っていたら、 その後あっさりとおかわりを要求するハルなのでした。 someyakaoru.hatenadiary.jp
もう二週間程前のお話になりますが、我が家へも、 ハルの保育園入園申請についての通知が届きました。 結果からご報告しますと、有り難いことに、 ハルはなんとか認可保育園への 入園承諾をいただくことができました。 すでに保育園の入園手続き等を経験された方は ご存知かと思うのですが、この認可保育園というのは、 国の定めた認可基準のもと認可を受けた保育施設を指します。 一方いわゆる認可外保育園と呼ばれるのが、 先の基準を満たしていない無認可保育園のことです。 無認可という響きが、まるで無許可という言葉のそれに近いようで なにやら不安にもなるのですが、実際のところ認可保育園と ほとんど変わりない保育の質を確保していらっしゃる園もあり、 内情は様々です。 話を戻しますと、現在住んでいる自治体では、 来年度の四月入園に向けた一次申請者数は ここ五年で最も多く、およそ四人に一人が不承諾、 つまりは認可保育園
夜、眠る前、 隣で寝ているハルの手を、 時々こっそりと握ることがあります。 もう随分成長したと思っていたけれど、 その手はやっぱりちいさくて、柔らかくて、とても温かい。 二年と一寸前には、確かにこの子は私のお腹の中にいて、 もうほんの少し遡ると、この世界に存在すらしていなかっただなんて、 本当に不思議です。 目の前で寝息をたてているハルは、 そうか、私の子どもなのか、 私はお母さんになったのか、 などと、今更に驚いてしまいます。 齢九十を過ぎた父方の祖父に妊娠を伝えた時、 祖父が「なんだかもう、胸がいっぱいになっちゃうねえ。 奇跡、としか言い様がないんだなあ。」と、 その思いを話してくれたように、 今、ハルが此所にこうして生きているということは、まさに奇跡であって、 そう考えれば私は毎日奇跡を目の当たりにしているのだという 心持ちにもなります。 起きている時には、やれご飯は要らないからトマ
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