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blog.goo.ne.jp/donatuo211
印刷機の謎、国字活字鋳造の謎、キリシタン版に関する謎を数え上げれば、キリがありません。 さらに、もっと根本的な疑問もあります。それは、キリシタン版印刷ががなぜ、わずか20年、なんと短命であったかということです。 ヴァリニャーノ時代は秀吉の側近でもあった高山右近だとか、小西行長のような知将に権力側の情報を得ていたからつい、つい、早め、早めに印刷所の場所を移転させ安全策に出たことは理解できます。 そうかといって、印刷所が直接、秀吉軍や家康の幕府に叩かれたという記録はありません。短命だった理由の第一は人材不足にあったと思われます。印刷従事者がキリシタンだったために、本格的なキリシタン締め付けが始まった時期を境にキリシタン版の印刷が途絶えたと考えるのが自然です。 したがって、キリシタン版の書物そのものも、秀吉や家康が目の仇にしたのではなく、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の類で、実際にキリシタン版を焼
キリシタン版の印刷には謎が多すぎます。 その一つが、この「国字」、つまり、日本文字の活字の出現の早さです。ドラードたちは、1590年に活版印刷機を加津佐に陸揚げして、翌年の91年に『サントスのご作業の内抜書き』を印刷しました。この『サントス』に使った活字はリスボン仕込のローマン活字で用が足りましたが、翌年に、はやくも国字本第1号の『どちりな・きりしたん』を印刷しております。 AからZまで26文字のローマ字と違って、日本文字を印刷するための活字の数は膨大です。しかも漢字あり、仮名ありです。そして、木を彫る「木活字」と違って硬い鋼鉄に父型を彫り、母型を起こし、活字をつくる難工程があります。私は、いったい、この短時間の間に、だれが手がけたのか不思議に思います。 サポートしてくれたイタリア人の技師たちでは、逆立ちしても国字の彫刻には手が貸せなかったはずです。ドラードたち日本人の印刷人にも荷が重い作
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