サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
円安とは
blog.goo.ne.jp/mulligan3i
「満蒙開拓青少年義勇軍」を送出したトップは、長野県である。 どうして長野県がトップなのだろうか? これが、つぎの私の関心である。 「満蒙開拓青少年義勇軍」として満州に渡った人は10万人である。 出身都道府県別のトップは長野県で6千600人が渡っている。 全体の6.5%で、ダントツである。 2位広島県、3位山形県、4位新潟県、5位福島県が続く。 「長野県」が作成したポスターがある。 「満蒙開拓青少年義勇軍募集」。 「往け若人! 北満の沃野へ!!」、 「詳細は市町村役場へ」。 「満蒙開拓青少年義勇軍」とは、 15歳~19歳の青少年を募集し、 茨城県の内原訓練所で、3ヶ月訓練してから、 「北満」、つまり、ソ連国境の奥地へ送り込み、国境警備にあてた。 長野県が独自に製作したポスター、 「満蒙開拓青少年義勇軍募集」から、 長野県は「満蒙開拓青少年義勇軍」の募集に、 力を入れていたことがわかる。 しか
戦争の書類は焼却して、 戦争の証拠隠滅をしろ。 昭和20年(1945年)8月15日の終戦の前日、1945年8月14日に、 「国や自治体の機密文書の廃棄」を閣議決定した。 軍・政府は、戦争に関する一切の資料を焼却して、 戦争はなかったものにしよう、 戦争を歴史から消し去ろうとした。 占領軍GHQの調査が始まるまえに、機密文書の焼却を急いだ。 そして、軍関係、町村役場、学校、地域では、 数日をかけて機密書類を焼却、廃棄した。 軍と政府による戦争の証拠隠滅である。 犯罪者は証拠隠滅をする。 戦争の証拠隠滅が、本当にあったのだろうか? 「機密重要書類」を焼却せよ、という通達が見つかった。 長野県から各市町村長に宛てた通達、 「機密重要書類焼却の件」である。松本市文書館で。 「機密重要書類焼却の件」は、 昭和20年8月18日の発行である。 昭和20年8月15日の終戦の3日後で、 昭和20年9月2日の
昭和20年(1945年)8月15日に終戦、 昭和20年9月2日に無条件降伏をした。 「戦争ポスター」は焼却せよ、 と国の決定があって、「戦争ポスター」は焼却された。 焼却されたはずだった「戦争ポスター」が、 長野県の阿智村から135枚が、まとまって見つかった。 長野県立歴史館(千曲市)の企画展、 「戦争と宣伝 阿智村ポスターが語る」では、 阿智村で見つかった「戦争ポスター」135枚のうち、 72点が展示された。複製品ではなくオリジナルである。 2012年7月28日~9月2日開催。 「戦争と宣伝 阿智村ポスターが語る」のリーフレットから。 焼却命令がでたはずの「戦争ポスター」が、 どうして阿智村に残っていたのだろうか? 「戦争ポスター」が阿智村に残っていた謎は、 阿智村役場を訪れたとき(2012年6月)に、 課長が説明してくれた。ありがとうございます。 「阿智村の原 弘平 元村長が、 保存し
菅谷 昭(すげのや あきら)さんは、 経路汚染による「内部被曝」の怖さについて、 「チェルノブイリ診療記」晶文社、で書いている。 ベラルーシで、子どもの甲状腺がんは、 チェルノブイリ原発事故から5年たって、急増した。 小児の甲状腺がん患者は、事故当時0~9歳が97.6%を占める。 10歳以上はわずか2.4%であった。 幼少時代に、汚染された空気を吸い、水や牛乳を飲み、 いちごやキノコ、ジャガイモを食べて過ごした。 幼小児期の甲状腺は、放射性ヨードを多量に摂取し、 その影響を高度に受けやすいことがわかっている。 経路汚染による内部被曝から、 子どもや妊娠、授乳中の女性を守ることによって、 将来の子どもたちの命を守ることができる。 菅谷 昭さんは、2004年から松本市長をされている。 定例の市長記者会見で(2011年3月22日)、 ベラルーシの医療支援の経験から、 経路汚染による「内部被曝」の
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『blog.goo.ne.jp』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く