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大谷翔平
bs221b.hatenadiary.jp
twitterの方でも先だって告知致しましたが、これまで著作権について書いたりしゃべったりしてきたことをようやく私家版(オンデマンド本&電子本)にまとめました。タイトルは『Think CxC』と言いまして、販売ページへのリンクは★こちら★からどうぞ。目次は以下になります。 第一部 創造の現場から ぼくとセカイのはじまるところ 〈場〉を生み出す豊穣の神々 モノと電子のあいだ――本を中心にして 第二部 文化の現場から 延ばされるもの――著作権保護期間の議論から 青空文庫とデジタルアーカイヴの可能性 デジタルアーカイヴ文化の目指すもの 第三部 ふたつの現場から 創造と共有、そして保障――新しい著作権のあり方に向けて どうぞよろしくお願い申し上げます!
あれっ、この髪型は、どこかで見たことがあるような……? 先日、本好きの女の子たちが繰り広げる四コママンガ「今日の早川さん」(COCOさん作)の第3巻がついに発売になりましたが、それを記念して、勝手に有志でコスプレ撮影など行ってみました! 最初はほとんど冗談に近い会話から始まったのですが、実際にその格好をしてきた知人の早川さんっぷりに盛り上がり、勢いでtwitterにちょこっと投稿してみたところ、その姿を見たいという人がいらっしゃいましたので、その一部をここに公開いたします! モデル&コーディネイトは高校演劇時代からの悪友あずさん、撮影は駆け出しカメラマンのいおんくん(twitter @Eu_ion)が協力してくれました!(企画・ディレクションは私。) もちろんあずさんは早川さんの大ファンであるのですが(「20代後半のSF女子としては共感せずにはいられない!」本人談)、その勇姿(?)はこの下
先日、このようなものを手に入れました。どうやら旧著作権法から現行著作権法へ改正されたとき(1970年)の資料のようで、ぺらぺらとめくりながら読んでいると、現時点でも気になる記述がいくつか見あたります。 ありていに言ってしまえば、この本のなかで、今の著作権保護期間問題におけるような著作者(著作権者)と利用者の対立と調整という議論は、すでに「第四章 著作権法全面改正の基本的課題 一 著作物をめぐる関係者の利害を調整するための基本的態度に関する問題」という項で触れられています。 育成高揚という観点からの著作権者の利益保護と、文化の活性化という観点からの利用者利益の保護、というのは私たちの聞き慣れた議論ですが、この本で注目すべきなのは、著作者の利益保護のためにdistributerである出版社・業者の利益保護が必要であることを認めながらも、distributerをまた「利用者」とおき、その中間利用
先日、このようなものを手に入れました。どうやら旧著作権法から現行著作権法へ改正されたとき(1970年)の資料のようで、ぺらぺらとめくりながら読んでいると、現時点でも気になる記述がいくつか見あたります。 ありていに言ってしまえば、この本のなかで、今の著作権保護期間問題におけるような著作者(著作権者)と利用者の対立と調整という議論は、すでに「第四章 著作権法全面改正の基本的課題 一 著作物をめぐる関係者の利害を調整するための基本的態度に関する問題」という項で触れられています。 続きを読む なるものが近頃登場して、何やらたいへんな人気らしいという話を小耳に挟みました(当該メーカの開発ブログ)。 同様の携帯向けサービスは色々あったのですが、これを「mixiのなかでやった」というのが勝因なのでしょうね。どう言ったらいいんでしょうか、今までは列車に乗って大きな町に行くと書店はあるけど、そこまでするのは
このエントリは、2008年9月3日に脱稿されたものをそのまま掲載しています。大元の企画がなくなってしまったため、日の目を見ませんでしたが、近々全面改稿するにあたって、旧稿を脱稿時のまま(事実誤認や必要以上のあおり等も含めて)公開しておきます。 2007年8月31日に発売されたDTMソフト「初音ミク」。YAMAHAの開発したVOCALOIDという合成音声システムを使用し、実際の歌手の代わりにヴァーチャルシンガーとして歌を唄うというコンピュータソフトである。先行して発売されていた商品と差別化するために、ライブラリに声優の藤田咲、商品イラストにKEIを起用して、ヴァーチャルアイドルのイメージを付加したところ、それがユーザの創造力や想像力を刺激することになり、その年後半のネットシーンを席巻することになった。 とりわけニコニコ動画をはじめとする動画サイトでの盛り上がりがすさまじく、音楽の制作だけでな
前エントリの予想以上の反響に正直びっくりしています。世間の著作権への意識が高いのか、それとも別の理由によるものなのかは、私にはわかりませんが、それはそれとして、前回の続きでも書いてみようかと思います。 先のエントリで触れたのはあくまでもフェアユースの話で、日本の現行著作権法とは関係がなく、トリビア風に書いてみただけなのですが、やはりアニメのキャプチャ引用やあらすじ紹介が現行法でどういう位置づけになるのかというのは、もちろんそれ以上に重要なことです。 本当は、日本動画協会のような業界団体がそのあたりのガイドラインを用意してくれているとありがたいのですが、残念ながらそういったものがありません。 そこで、現著作権法の範囲内で、どこまでが合法なのかを考えたメモを、ここに記しておこうかと思います。 A前エントリで、アニメのキャプチャ画像を使う際には、現行法では引用の基準による、というようなことを書き
先日のNHK「ザ☆ネットスター」で、フェアユースの話が出ましたね。フェアユースを簡単に説明しますと、 著作物を無断に利用しても、その利用が公正なものである場合、著作権の侵害にはならない ということで、番組の内容もとても興味深いものだったのですが、ちょっと批評にからめて大事なことが説明されていなかったので、個人的に補足をしてみたいと思います。 アニメに限らず著作物では、「違法コピー」や「海賊版」が著作権侵害であるとして問題にされますよね。しかし、なぜ「ダメ」なのかをぼんやりとしか考えていない人というのは意外と多くて、ときどき話が通じなくて私も困ることがあります。 そもそも著作権は、「ある著作物を複製して、それを独占的に販売し、利益を得る権利」であるという側面があります。単に「私的に」コピーするだけなら、NHKの番組でもあった通り、著作権侵害にはなりません。コピーした後、それを市場なり店頭なり
サイトを巡回していると、id:tukinohaさんのところで、翻訳とアニメに関して触れた記事を発見したので、翻訳研究の専門家として反応してみます(勝手にやっちゃって申し訳ございません、tukinohaさん。どうかご容赦を)。今回は当該エントリをご参照しつつお読み下さい。 まずはベンヤミン「翻訳者の課題」における「純粋言語」の話なのですが、厳密な話はとりあえず置いておいて(あと「純粋単語」というものが存在し得ないことを前提として)非常にざっくりと俗っぽく読んでしまうと、それは「ある原典にどれだけ翻訳を重ねても、その核になるようなものが残るんじゃないか」というようなことです。 たとえばAというオリジナルがあって、それがA→B→C→D→E→F→Gというように別の言語にどんどん訳されていった場合、それは伝言ゲームのように変質していって書かれた言葉も違えば表現も違い、雰囲気もニュアンスもまるで変わっ
今日NHKで再放送されたアニメ『川の光』ですが、監督の平川哲生さんがTwitterで放送中にリアルタイムでコメンタリをしてくださったので、ここにまとめて転記いたします。わかりやすいように、その発言に通し番号を振って、さらにアニメが始まって何分後のものかも書き加えました。あとから見る方も数字を見ながら追体験してみてください。(あとコメンタリに対する私のコメントがうざかったらごめんなさい。) 7月20日の総合テレビ、午前8時35分から、アニメ『川の光』の再放送があります。もし運良く私が起きていたら、twitterコメンタリとかやってみます。よろしくどうぞ。 幸か不幸か起きていますので、アニメ『川の光』再放送に合わせてtwitterコメンタリをやります。どこまで書いていいのやら、なにを書いたらいいのやら……。タイピング速度もあるので、ちょっと下準備をしておきます。 remove覚悟の上で連投しま
というわけで、全国に先駆けた上映会へ行ってまいりました。なので誰よりも早くレポいたします。 今日の滋賀県の天気は快晴で、お出かけ日和。会場は大津市生涯学習センターというで、いわゆる公民館です。普段はプラネタリウムとか科学館っぽいこととかやったりときどき子ども向けのアニメを上映していたりします。もしかしていつもの上映会の一環なのかな。高校時代にはここで色々やったので、行くのは10年ぶりくらいです。右は正面からの写真。ちなみにすぐ目の前が琵琶湖で、湖岸の公園があります。 さて、お昼からの上映に入ったのですが、周りはどこをどう見ても子ども連れ&お年寄り。若い人が誰もいなくて、ひとりで浮きまくりでした。たぶん幼稚園か就学前くらいのお子さんがいちばん多かった気がします。入場は75人限定でしたが、ほぼ全席埋まっていました。みんなどこから上映会の情報を聞きつけてきたんだろう? やっぱり幼稚園保育園あたり
まずはアニメと実写との違いについて考えよう。 実写は、あるいは実写に必要なカメラという撮影装置は、現実を過度に見てしまう性質のモノだ。普段見えていなかったものをも透徹せしめ、それを暴き、露わにしてしまう。現実世界の一部分を切り取ることによって、その部分を過度に露出させるのだ。 写真に撮って見たとき、あるいは映像に撮って見たとき、自分が普段見ている感覚よりも、「格好良く」見えたり、「美しく」見えたり、あるいは「醜く」見えたり、「さまになっている」ように見えたりすることがあるだろう。それはいずれも過度な露出のために感じることだ。 だが、そのとき、一種の違和感をも感じる。そうだ、カメラの弱点は、撮影することによって「日常のリアリティ」が失われるということだ。普段こんなに過度には見ていないものにもかかわらず、それを強烈に突きつけられてしまう。見ていないものすらも、見せられてしまうのだ。それゆえに、
観客の視聴意欲や購買意欲を殺いでしまうような著作権・知的財産権の主張は全くの本末転倒だと思うのです。 そんなに自分の作品が惜しいならTV放送もDVD販売もやめて美術館にでも陳列しておけっていう。 山本寛さんのような作り手からそうおっしゃっていただけると、非常に心強いところがあります。 私も知らぬ間に著作権分野の評論家となり、昨年はモノを書いたり他人様の前でお話しさせていただいたりするようになったわけなのですが、もともとは青空文庫というコンテンツを扱う団体の一員であり、さらにはコンテンツビジネスのなかで制作者として関わるプロの翻訳家でもあり、最近はコンテンツビジネスのアドバイザー的なこともしているので、昔のように単純視聴者でもなくなり非常に立場としては微妙になりつつあるのですが。 そんななか、直感的もしくは理性的に「著作権」の問題について理解していただける作り手がいらっしゃるというのは、評論
【お詫び】 季報『唯物論研究』104号「アニメ批評のエクソダス」、巻頭インタビューにおける「アニメライターの立場」についてのインタビュアーの発言に、事実誤認があるとのご指摘を受けました。不明を恥じるとともに、関係者のみなさまに多大なるご迷惑をおかけしたことを、心よりお詫び申し上げます。(2008/6/26) 修正 p.13 c.2 l.10 「アニメ雑誌」→「アニメ制作会社」(2008/8/1) どうもこんにちは。予約した人はもうそろそろ届いている頃でしょうか。季報「唯物論研究」お買いあげどうもありがとうございます。まだお買いになってない方、本日より正式に発売がはじまります(販売ページ)。よろしくお願い致します。 さて皆様、読んだ後の感想は色々あると思います。正直ヤマカンと更科以外イラネとか、金返せとか、とりあえず文章難しくて訳分かりませんとか、十河にえ浮きすぎとか、まあそれはそれとしまし
長々とお待たせしましたが、ついに刷り上がりました。以下は、刊行のプレスリリースです。PDF版はこちら。 ※なお、ネット販売開始日の23日(月)には、それぞれの内容について編集後記めいた解説をこのブログで付ける予定です。よろしければどうぞ。 プレスリリース2008年6月17日 季報『唯物論研究』刊行会 季報『唯物論研究』104号 特集「アニメ批評のエクソダス」 刊行のお知らせ 季報『唯物論研究』刊行会(所在地:大阪府豊中市、代表:山本晴義、編集長:田畑稔)は、2008年6月、季報『唯物論研究』104号、特集「アニメ批評のエクソダス」(責任編集:倉橋克禎+塩沢由典)を刊行いたしますので、以下にご報告いたします。 季報『唯物論研究』は昨年、刊行から27年を迎え、学術誌として100号を超えることができました。そこで、これまで以上に現代社会の課題に取り組むことを目標とし、今回、若い執筆陣を中心に、「
"Віють вітри" by Маруся Чурай (1625-1653) 風が吹いている 風がうなる 木々もしなる わたしの心は痛むのに もう涙も流れない えんえん嘆き悲しんできたけれど 終わりは見えない いっそ泣き叫んでも 気持ちが楽になるだけ 涙は幸せを取り戻してくれない 気休めになるだけのこと つかのま幸いだった人は 死ぬまでそれが忘れられない わたしのめぐりあわせを うらやむ人たちもいる 野に生える草がそれだけで 幸せだとでもいうの? しずくもなく陽にさらされて 野や土だけでどうなるというの? 愛するあなたがいないまま ふるさとにひとり生きるつらさ あなたはどこ 愛しい黒まゆさん どこにいるの 返事をして ここであわれに泣き暮れている わたしを どうか見つけ出して あなたのもとへ飛んでゆけたら でも わたしには翼がない あなた恋しさに枯れ果てそうな わたしに気づいてほしい
学術系雑誌のアニメ特集について、共同で企画・編集・執筆をやりました。 実作業としてはおよそ半年、構想や準備も含めると1年ほどかかりました。上の写真は、没原稿も含めた膨大な紙の山の一部です(結局あの絵コンテは生かされなかったなあ……)。 それはさておき、『唯物論研究』という由緒ある雑誌で「なぜアニメ批評をやるのか」という話をし始めると長くなるのですが、(1)おそらく現時点で一般紙媒体ではアニメの批評なるものは不可能になっている、(2)アニメ批評はどうやったらできるのかみんなよくわからない、のふたつにつきるのだと思います。そんな問題意識から生まれたこの号は、アニメ批評をするための「準備」の特集で、言ってみれば「こうですか?わかりません><」状態なのかもしれません。それでも、こういったものをアニメ界にぶち込む意味はあると思いますし、むしろ今だからこそ、それをやらなければならないのだと思います。
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