少し三国志に詳しくなると、特に蜀ファンの間で「馬謖の山登り」が非難されている声を耳にする事が多くなると思います。馬謖(ばしょく)が街亭で山上に布陣しなければ、、あいつのせいで北伐は失敗した等です。しかし、それを聴くと同時に、こんな風にも考えるでしょう。 「馬謖には失敗しかないのか?だとしたら孔明はどうして重く使ったのだろう?」 そうです、そういうのが大事なのです!もし、何の手柄もなしに、諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)が馬謖を重く扱うようならそれはエコヒイキであって、信賞必罰の方針に反する行為ですよね?実は、馬謖には孔明が信頼するに足る隠れた手柄があったのです! 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。