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大谷翔平
yokohoriuchi.hatenadiary.org
テレビアニメのシリーズが切り替わる時期に、次の放映予定アニメを一覧したウェブサイトをチェックすることがある。Gigazineとか。一望すると、いま製作されているアニメの傾向がわかるのでおもしろい。いつのシーズンだったか忘れたが、空から女の子が降ってくるという設定ばかりがずらりと並んだときがあって、苦笑してしまった。斎藤曰く「同居系」、異少女が平凡な日常生活に闖入してくるストーリーのことで、元祖は「うる星やつら」、最近だと…たくさんありすぎるのだが…「To LOVEる」。「To LOVEる」は女性の身体のデフォルメ表現が、解剖学的にかなりナチュラルで巧いので好感を持っているのだが(そうは言っても1話見るのがやっと)、他のかなり多くのアニメについては、もうイメージ表現についていけないという自覚がある。同じく女性の身体のデフォルメでも、ボール2つを胸部にはりつけてセクシーさを意味させるというのは
Claude Lévi-Strauss「Tristes Tropiques」 「私は旅や探検家が嫌いだ。……」 この手記の筆者が冒険も旅行も好きではなく、世界中のあちこちで外交的に振る舞うということが性に合わない人間だ、というのは読んでいれば誰もが理解するところだ。彼に似合うのは、ひとつの場所にとどまり、静かに思索を重ね、知性ある友人と語らい、本を読み、孤独に研究を積み重ねること。それなのに彼は、見知らぬ世界へ旅立つことをいとわなかった。自分の思考様式が、常に未知のものを摂取することによって発展していく性質であることを見極めて、それまではさほど興味もなかった人類学の実地調査へと身を投じた。哲学をおさめ法学部に在籍し、いろいろな探求対象への俊巡を経ているうちに、早々と成果をおさめつつあったのにも関わらず。「悲しき熱帯」は、知的探求そのものの性質や意義に思い迷いながらも20世紀を生きた、あるひ
Claude Lévi-Strauss「The Savage Mind」 フランス語の原題は「La pensée sauvage」、penséeは草花のパンジーと思惟思考の両方を意味するのだそうだ。この本がはじめて出版された1962年当時はまだ、オーストラリアやアメリカの先住民族に対する視線には偏見が多く、彼らは「野蛮な思考」しか持ち合わせていないと思われていた。しかしレヴィ=ストロースは、まだ品種改良を受けずにいて園芸品種となる前の「野生のパンジー」のようなもの、西欧文明的な「栽培の思考/La pensée cultivée」ではなく「野生の思考」を彼らは持っていると考えた。そして彼は、栽培種が野生種を駆逐してしまうことを恐れていた。 本書では、主にオーストラリア先住民族に見られる慣習や儀式が題材に選ばれている。自然と人間のそれぞれの図式の相関性を明らかにして、それを根拠にすれば、一見風
この冬ではじめての雪が降っている。夜が明けたら、降り止んだ雪のまぶしさで、窓の外が白んでいたらいい。 幼い頃、夜から雪が降り続いていた翌朝、雪の降りつもった明け方は、すべてのものの距離が消え失せていた。あまりの静かさは不気味すぎて、いったん目が覚めたら再び眠ることなんてできない。布団にくるまってじっとしていると、いつもなら聞こえない音も聞こえてくる。家から少し離れたところにある駅に、電車が近付いてきたらしい、プラットホームに近付くときに鳴らす警笛が、細く長く聞こえる。それから、外の庭木からばさばさと鳥が飛び立つ音、その鳥が啼く声は、発生点を移動させながら消えていく。降り積んだやわらかな雪は、あたかも余分な音をわざわざ選んで打ち消してしまっているかのようで、わたしの耳には、近さと遠さがうまく聞き取れなくなる。 小学校へと通う道は、田園地帯を一直線に抜けていく。アスファルトで舗装された一本道も
Marthe Robert「As Lonely As Franz Kafka」 カフカ論。 チェコ在住のユダヤ人が、ドイツ語で小説をかく。フランツ・カフカはチェコ人ではなかったから、近隣各国に蹂躙されていた当時のチェコに対する思いは、チェコ人たちほどには彼の心を占めない。また、彼はドイツに在住したのではないから、ドイツ語の言語構造に身を委ねることもない。しかも、ユダヤ人の同朋たちのシオニズムに同調することもできずにいて、終には彼の地に足を踏み入れることもない。どの集団へも帰属することができずにいて、彼を捉え、律してくれる法はどこにもない。 「……<かのように>(あたかもユダヤ人でないかのように生きる、あるいは、あたかもドイツ人であり、キリスト教徒であるかのように生きる。)というそのころの彼の暗黙の生活信条のゆえに、カフカは、実際あらゆる方面で羞恥心と罪の意識をいだく。キリスト教徒に対して、
Michel Foucault「Madness and Civilization」 ヨーロッパに於ける中世以降フロイト以前の、狂気と人間社会との関係について論じた大著。フーコー入魂の一冊です!600ページ超の鈍器!各監禁施設の収容人員から当時の医師の所見、治療法に至るまで、史実を綿密に調査して丁寧に分析を重ねていて、論考に圧倒的な説得力がある。新しい思想をなんとか世に認めさせようという気持ち、サイード「オリエンタリズム」を読んだときにも感じたあの必死さがここにも存在してて、何だかすごく勇気づけられる。 フーコー後の哲学者たちは逃れるすべもなく彼の影響をこうむっているから、わたしも彼らを通してフーコーを受容してきていて、彼の思想や論理の筋道にはとても親近感をおぼえながら読んでた。でも読み進むにつれ、あまりにも論拠が膨大で、なおかつ彼の到達点はあまりに遠く、彼は近くにいたようだったけれど既に彼
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