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大谷翔平
isaoand.hatenablog.com
僕は世界に数百人しかいない。もちろん、希少価値は高い。 世の中には、君は世界に一人しかいない、という人がいる。 世界の人口はもうすぐ100億人になる。100億分の1の確率で僕が存在するほどの存在ではない。僕はこの世にいる数百人の僕に出会うことはできないだけ。 もしも会いたいというなら、2個方法があるらしい。 重さを失うか、光よりもずっと早く走るか。 1980年に僕は3人くらい生まれた。1981年には6人、1982年は105人になり、1983年には、138人が生まれ、3人死んだ。 1980年5月に僕の知る僕はイアン・カーティスが死んだ世界で泣いていた。僕は赤ん坊で、泣くことしか知らなかったから、泣いていた。 その年、ジョン・レノンも死んだ。その頃になると、僕は泣き止むことを覚えていた。 イアン・カーティスの死で世界は泣かなかった。ジョン・レノンが死んだ時、世界は泣いた。 僕はイアンの時に泣き
池袋駅から川口駅に向かう途中、ふと昔一緒に働いていた子のことを思い出した。 彼女と知り合ったのは10年前だった。この10年で世界は変わった。インターネットは得体の知れないものになり、メメックスやWWWに興奮していたことさえ忘れてしまっている。 僕は、彼女の名前とグーグルさえあれば、思い出を具体化できるようになった。 手のひらで光る、スマートフォンの画面を、親指で操り、彼女の名前を検索してみる。 昔、彼女はダンスを踊っていた。彼女は、ダンサーだった。 愚かで無知な僕は、彼女のダンスについて、どうしようもないメールを送ったことがある。 僕はら彼女のダンスが好きだったんだ。こんなんでも、こんなんなりに、 好きだった。 それ以来、彼女からダンスのお誘いはあんまり来なくなった。今では連絡が途絶えた。 一緒に企画していたファンジンの話も宙ぶらりんになって絶えた。 10年。 世界が絶望するのに容易い時間
美術手帖の編集部へお邪魔してきました。 今年の2月くらいだっただろうか。民事再生を申請して、驚いたのは。すぐにスポーサーも見つかり、安心したのだけど、手を挙げたのがCCCだったこともあり、また驚いた。 新しい住所のオフィスはちょっと小さくなったのだろうか。以前を知らないからなんとも言えない。入口にはずらりと美術出版社の歴史が並んでいた。 なんで行ったかというと、最近うちの会社で出版した本の営業に。 『モノクロ絵の世界』 色んな方の目について欲しい素敵な本なのだが、なにせPRが弱いので、他社さまのお力を貸してもらう。 モノクロ絵の世界 -A Journey Through Monochrome Illustrations 作者: BNN編集部出版社/メーカー: ビー・エヌ・エヌ新社発売日: 2015/08/18メディア: 単行本(ソフトカバー)この商品を含むブログを見る それにしても、上京し
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