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アメリカ大統領選
isetan-intothefuture.jp
服を着るというのは、政治的なことである。あらゆる服には、社会における様々な立場が付帯している。そうした社会的な意味をファッションから消し去ることはできない。自分のために、誰かのために服を選ぶことは、何らかの(いくつかの)立場に与すること、(誰かを)与させることであり、この意味において政治的、ポリティカルなのである。だから、アイテムの組み合わせは、様々な立場が参集する「議会」に対応するのかもしれない。コーディネイトは、ネゴシエーション(折衝)である。政治性を着こなすこと。 この連載の第一回では、あらゆるドレスコードへの従属から解放されるという「革命」を、極端な挑発として、語ってみたのだった。これは、実質的には、ファッションの意味を「規範的に」担うのを止めようという誘いであった。現代文明は、徐々に、人の信頼性は外見で判断できないと考えるようになってきた(90年代末からの茶髪の一般化など)。この
ファッションのあれこれに気持ちを集中するとき、私たちは、色々に変化する「表面」のゲームに没頭している。衣服だけのことではない。化粧も、身体のトレーニングも、自分を再構成することである。ファッションの一部として自分の身体を捉えるならば、身体は、包まれている奥の「本体」ではなく、それも表面の存在でしかなくなる。この「でしかなくなる」ということを、身体がその本来の厚み、重さ、リアリティを「剥奪される」というふうに、ネガティヴに捉えるべきではない。どういうことか。 自分らしさは、固定されていない。社会学者はしばしば、いわゆる「自分探し」に悩んでも、本当の自分など見つからないと言う。その通りだ。しかし、このことを、自分の現状と折り合いをつけよう、妥協しようというメッセージとして受け取ってしまうならば、つまらない。もっとポジティヴに言えば、本当の自分などないということは、格好に関する、かっこよさに関す
ファッションの楽しみは、まともな=道徳的な「型」と逸脱した「尖り」とのあいだで、一線を越えない冒険「ごっこ」をすることなのだろうか。あるいは、何らかの「法」、ドレスコードに対するギリギリの裏切り「ごっこ」なのだろうか。エロティックな魅力というものは、ルールを破るか破らないかのきわどいところに表れると思われている。ギリギリで「アウト」にならないという美学。何らか「平均的」なライフスタイルへの同調圧力がひじょうに強い日本社会において、ファッションの遊びとは、かなりのところ、広い意味での「着くずし」のバランスの美学であったと思われる。 かつて1980〜90年代には、芸術的というか「芸術っぽい」(artyな)前衛のファッションが大いに活況を呈したが、それも日本においては、たちどころに「制服化」されてしまった(黒一色のカラス族、そして今日「モード系」と言うと、一種のそれっぽいタイプを指すことになって
ISETAN INTO THE FUTURE – INTO THE FUTUREは2013年3月にグランドオープンする伊勢丹新宿店の情報をはじめ、アーティストワーク、インタビュー、エッセイを通してリモデル後の伊勢丹を予感させる情報を発信します。INTO THE FUTUREは2013年3月にグランドオープンする伊勢丹新宿店の情報をはじめ、アーティストワーク、インタビュー、エッセイを通してリモデル後の伊勢丹を予感させる情報をお届けします。 毎号、注目を集める女性アーティストのアートワークをカバーイメージとしてフィーチャー。現在、過去、未来を通じてこれからのファッションと女性性(フェミニティ)を発信する、フリーペーパー&ウェブサイトです。 'INTO THE FUTURE': this website is published to announce the highlights of the
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