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衆院選
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イタリア出身で、その後イギリスで長く研究生活を送ったピエロ・スラッファは、不思議な魅力のある経済学者である。彼はケインズに才能を見出されてケンブリッジ大学へ招聘されることになるが、その時点で経済理論に関する論文といえば、「生産費用と生産量の関係について」(1925年)と「競争的条件の下での収穫の法則」(1926年)のイタリア出身で、その後イギリスで長く研究生活を送ったピエロ・スラッファは、不思議な魅力のある経済学者である。彼はケインズに才能を見出されてケンブリッジ大学へ招聘されることになるが、その時点で経済理論に関する論文といえば、「生産費用と生産量の関係について」(1925年)と「競争的条件の下での収穫の法則」(1926年)の二つしかなかった[1]。だが、イギリスで圧倒的な権威をもっていたマーシャル経済学の欠陥を突いた二つの論文は、リチャード・カーンやジョーン・ロビンソンのようなケイン
日本ではほとんど全く報道されないが、経済学部ランキングでは、つねにケンブリッジやオックスフォードと並ぶか、ときに凌駕するほどのLSE(London School of Economics and Political日本ではほとんど全く報道されないが、経済学部ランキングでは、つねにケンブリッジやオックスフォードと並ぶか、ときに凌駕するほどのLSE(London School of Economics and Political Science)の中央管理室が、3月17日、学生たちに占拠された。私は主要紙では『ガーディアン』紙(電子版)の記事で知った[1]。彼らは、“profit-driven and bureaucratic business model of higher education”、つまり高等教育が利潤動機で官僚的なビジネス・モデルによってなされることに異議を唱え、「ロンドン
ロイ・ハロッドは、ケインズの最初の伝記を書いた愛弟子で、経済学の分野での業績では何よりも経済動学の開拓者として有名である。だが、同じ愛弟子でも、ケンブリッジ内部のジョーン・ロビンソンやリチャード・カーンなどとは違っている。ハロッドは、もともとオックスフォード大学ニュー・カレッジで歴史を学んだが、紹介状をもってケインズロイ・ハロッドは、ケインズの最初の伝記を書いた愛弟子で、経済学の分野での業績では何よりも経済動学の開拓者として有名である。だが、同じ愛弟子でも、ケンブリッジ内部のジョーン・ロビンソンやリチャード・カーンなどとは違っている。ハロッドは、もともとオックスフォード大学ニュー・カレッジで歴史を学んだが、紹介状をもってケインズに会ったのは、二年間の大陸留学が許されたので、ケインズに留学先の相談をするためだった。ところが、ケインズは、ハロッドに対して、大陸に渡るよりは、自分のところで経済
第二次世界大戦後、経済学の中心はアメリカに移り、前回取り上げたようなサムエルソンに代表される新古典派総合の経済学が長いあいだ支配的だったが、そのサムエルソンを批判し続けたのが、イギリスのケンブリッジ大学でケインズの教えを受けた女性経済学者ジョーン・ロビンソンである。彼女は何度もノーベル経済学賞の候補になったが、あまり第二次世界大戦後、経済学の中心はアメリカに移り、前回取り上げたようなサムエルソンに代表される新古典派総合の経済学が長いあいだ支配的だったが、そのサムエルソンを批判し続けたのが、イギリスのケンブリッジ大学でケインズの教えを受けた女性経済学者ジョーン・ロビンソンである。彼女は何度もノーベル経済学賞の候補になったが、あまりに左派的な言動が災いしてその栄冠に輝くことはなかった。しかし、みずから「左派ケインジアン」を名乗り、ノーベル賞級の学者たちを相手に進んで論争を挑んだ彼女にとって、
経済学の世界でジョン・ヒックスといえば、名著『価値と資本』(初版は1939年)で有名なイギリスの経済学者だが、インターネットが普及するようになって彼の名前で検索してみると、アメリカ人で同姓同名のジャズ・ピアニストがしばしばヒットすることに気づいた。経済学辞典をめくっている限りは決して辿り着かない偶然の一致である。経済学の世界でジョン・ヒックスといえば、名著『価値と資本』(初版は1939年)で有名なイギリスの経済学者だが、インターネットが普及するようになって彼の名前で検索してみると、アメリカ人で同姓同名のジャズ・ピアニストがしばしばヒットすることに気づいた。経済学辞典をめくっている限りは決して辿り着かない偶然の一致である。 もっとも、ヒックスの初期の著作は、John Richard Hicksという名前で登場しているので、正確には同じではない。だが、のちにも触れるが、ヒックスは、ある段階か
レオン・ワルラスは、シュンペーターが「経済理論」に関する限り「最も偉大である」(the greatest)と絶賛したフランスの経済学者である[1]。欧米語では最大級を使うときも、”one of theレオン・ワルラスは、シュンペーターが「経済理論」に関する限り「最も偉大である」(the greatest)と絶賛したフランスの経済学者である[1]。欧米語では最大級を使うときも、”one of the greatest”という場合が多いが、シュンペーターの表現は例外に近い。『経済発展の理論』の日本語版への序文には、「ワルラスに対して、われわれは、経済体系の概念と、われわれの学問の歴史において初めて経済諸量間の相互依存の純粋論理を有効に包含する理論的装置を負うている」という文章が見られるが[2]、シュンペーターの経済学史観では、誤解を恐れずに言えば、ワルラスの一般均衡理論という高みにどれほど近
ポール・デイヴィッドソン『ケインズ』小谷野利夫訳 (一灯舎、2014年) 著者はアメリカを代表する「ポスト・ケインジアン」のひとりだが、「ポスト・ケインジアン」という言葉は少し注釈を必要とする。第二次世界大戦後、「ポスト・ケインジアン」とは、文字通り「ケインズ以後の」というくらいの意味で使われていポール・デイヴィッドソン『ケインズ』小谷野利夫訳 (一灯舎、2014年) 著者はアメリカを代表する「ポスト・ケインジアン」のひとりだが、「ポスト・ケインジアン」という言葉は少し注釈を必要とする。第二次世界大戦後、「ポスト・ケインジアン」とは、文字通り「ケインズ以後の」というくらいの意味で使われていた。この用語法では、ロイ・ハロッドもポール・サムエルソンもジョーン・ロビンソンも皆「ポスト・ケインジアン」だが、現在、「ポスト・ケインジアン」は違う意味で使われている。 戦後長い間アメリカで主流派の
アダム・スミスといえば『国富論』(1776年)と反射的に出てくるほど、「経済学の父」としてのスミスの名声は絶大である。だが、有名であればあるほど、彼の思想が誤解を招きやすいキーワードで受験勉強のように「記憶」されるのは残念なことである。彼は巷の解説書では市場メカニズムによる「予定調和」を説いた「自由放任主義者」となっアダム・スミスといえば『国富論』(1776年)と反射的に出てくるほど、「経済学の父」としてのスミスの名声は絶大である。だが、有名であればあるほど、彼の思想が誤解を招きやすいキーワードで受験勉強のように「記憶」されるのは残念なことである。彼は巷の解説書では市場メカニズムによる「予定調和」を説いた「自由放任主義者」となっているが、その際に出てくるキーワードが「見えざる手(invisible hand)である。しかし、「見えざる手」が『国富論』のどのような文脈で登場するのかを正確に
昨年11月イスラエルを訪れた。東京からは直行便がないので、アジア、中東、ヨーロッパの空港を1つ経由せねばならない。10数年前はパリ経由で行ったが、今回は成田からイスタンブールへ12時間かけて飛び、そこで乗り換え、さらに2時間の飛行でテルアビブに着いた。 夜10時半に成田を出発。ぐっすり眠っているうちに、トルコ航空の飛行機はシベリアから中央アジアの広大な大地をよこぎる。眠りから覚めて気がつくと、どう […]
デイヴィッド・リカードは、若き日のマーシャルが自らの「英雄」として尊敬していた経済理論家だが、リカードの『経済学および課税の原理』(初版は1817年)が古典派経済学のなかで最も体系的な構造をもっていたことは確かである。リカードは、たまたま避暑地で読んだアダム・スミスの『国富論』(1776年)がきっかけで「経済学」というデイヴィッド・リカードは、若き日のマーシャルが自らの「英雄」として尊敬していた経済理論家だが、リカードの『経済学および課税の原理』(初版は1817年)が古典派経済学のなかで最も体系的な構造をもっていたことは確かである。 リカードは、たまたま避暑地で読んだアダム・スミスの『国富論』(1776年)がきっかけで「経済学」という新興の学問に関心をもったのだが、スミスがときに歴史などに脱線しているのに対して、リカードはあくまで理詰めで押していく頭脳の持ち主だった。天才というのがふさわし
マクロ経済学や開発経済学の分野で実績のあるアメリカの経済学者ジェフリー・サックス(コロンビア大学教授)のエッセイ「新しいマクロ経済的戦略」を読んだ。最近のサックスは、どちらかといえば、開発問題や貧困問題への取り組みのほうが目立っていたが、久しぶりにマクロ経済学の現状を論じている。というよりも、マクロ経済学の現状への不満マクロ経済学や開発経済学の分野で実績のあるアメリカの経済学者ジェフリー・サックス(コロンビア大学教授)のエッセイ「新しいマクロ経済的戦略」を読んだ。[1]最近のサックスは、どちらかといえば、開発問題や貧困問題への取り組みのほうが目立っていたが、久しぶりにマクロ経済学の現状を論じている。というよりも、マクロ経済学の現状への不満を吐露したというべきか。 サックス氏によれば、現代のマクロ経済学は、「ネオ・ケインジアン」と「サプライ・サイダー」の二つに分けられる(この区分が適切かどう
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