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買ってよかったもの
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旭屋書店の銀座店には,ひと月ほど前に行ったが,閉店するとは知らなかった。3008年4月25日に店を閉めた。 銀座の本屋では,近藤書店がなくなった時が一番ショックが大きかったが,旭屋書店も大学生の頃から,よく行っていた。近藤書店には,欲しい本がいつもあったが,同書店が閉店後は,その一部が,教文館と旭屋書店に受け継がれているような気がしていた。 旭屋書店の銀座店は1965年開店である。渋谷店は,その前後に出来たと思うが,既に閉店してしまった。大盛堂の前の店と旭屋書店渋谷店がなくなって,渋谷で立ち寄り先がなくなってしまった。さらに旭屋書店のオンライン書店は,昨年末で事業を終えている。 livedoorニュースでは,「任天堂栄えて本屋潰れる 旭屋書店閉店の衝撃度」などとして,「ゲームやケータイ、ネットばかりがもてはやされ、書店が消えていく。その先にはどんな事態が待ち受けているのか。知の荒廃でなけれ
先日,調べることがあり,国立国会図書館に出かけた。国立国会図書館では,2012年1月から新しいコンピュータシステムが導入された。これまでは,2004年に導入された利用者用システムが使われていた。これは,入館時に誌名,住所などを入力してICカードを取得,このカードで貸出や複写,端末利用をする仕組みとなっていた。最初は戸惑うが,慣れると合理的であることがよくわかった。 新しいシステムは,「今年3度目…国会図書館でシステムトラブル 蔵書貸し出しなど手作業で対応」(産経新聞.1月16日)と報じられているように,必ずしも順調な出足ではないらしい。 大きく変わったのは,入館時に配布されるICカードをやめ,国立国会図書館利用登録を必須とし,登録者に与える登録利用者カードで貸出や複写,端末利用などをするようにしたことと,これまで,蔵書検索,複写申込,電子情報源利用は,別々のパソコンを使っていたが,これが1
それでは,国立国会図書館東京本館の利用法である。 最初に理解しておかなければならないのは,国会図書館は他の図書館とは大きく違うということである。行ってみれば,おそらく,数々の戸惑いや怒りを感じるはずだが,それは,自分の無知のために起きることであり,違っているからけしからんということであるにすぎない。一方,国立だからといって,何ら怖れることはない。かつては一般の人々には,極力使わせたくなかったようだったが,現在は顧客第一に転換している。 また,具体的に見たい調べたい本があったほうがよい。現地で考えようとしてもよい結果とはならない。 極度に静かな空間であり,客はほとんどは一人で来ているので,二人以上で行って,大声で話していると嫌われる。心細くとも一人で行くべきである。 念のために,出かける前に国立国会図書館東京本館のページをみて,休館日を調べておいたほうがよい。2004年10月になって,休館
2007年 1月21日(日)の午後9時から~午後9時50分までNHK総合でNHKスペシャル「“グーグル革命”の衝撃~あなたの人生を“検索”が変える~」が放送された。 その内容は, 世界に例のない急成長を続けるIT企業・グーグル。グーグルが検索される回数は一日10億回ともいわれ、いまや世界中が情報をグーグルの検索に頼り、かつ頼らざるを得なくなりつつある。今、「検索」が世界をどう変え、われわれの暮らしをどう変えようとしているのか。番組では、これまでほとんど明かされてこなかった本社内部にもカメラが入り、グーグルが世界中に巻き起こしている「革命」の現場を追った。 というものだった。 この中でグーグルCEOのエリック・シュミット氏は, 「便利になるにはあなた方はグーグルに情報を与える必要があるのです」 「グーグルがあなたの情報を保有することであなた方はいつでもどこでも情報にアクセスできるようになるの
2006年11月末,京都の烏丸御池に「京都国際マンガミュジアム」が開館した。ここは,龍池小学校があった場所で,その古い校舎を使い,フローリングなどを施し,リニューアルした。 「京都国際マンガミュージアムについて」というぺージには,「京都国際マンガミュージアムは、京都市と京都精華大学の共同運営で、いまや世界から注目されているマンガの収集・保管・展示およびマンガ文化に関する調査研究及び事業を行うことを目的としています。このミュージアムは、博物館的機能と図書館的機能を併せ持った、新しい文化施設です」と書かれている。 烏丸通りから入ると,すぐに喫茶店があり,続いて入口がある。係が二人座っているカウンターがあるので,そこに行こうとすると,別の係が,脇にある自動販売機で入場券を購入するように促す。大学生以上の入場料は500円である。カウンター付近には,ミュージアムグッズ売場がある。 壁に書棚があり,
ロレンツォ・リカルツィ『きみがくれたぼくの星空』(Licalzi, Lorenzo,Che cosa ti aspetti da me?. 泉典子訳. 河出書房新社,2006)は,書名はまだしも,「ぼく」という一人称は困る。誇り高いこの人物が日本人であった場合,自分を「ぼく」あるいは「僕」と呼ぶことは,ほぼ全くない。この翻訳者は,多くの男が「ぼく」という言葉に抱いている感情を全く理解しないでいる。翻訳の調子にも軽薄なところがある。 主人公トンマーゾ・ベレツは,80歳すぎで,かつてはケンブリッジやローマの大学の核物理学者,天文学者だった。妻は既に亡く,老人ホームで半身不随であるが,頭はしっかりしている。前半は,身体が自由にならない苛立ちと,老人ホームの生活への愚痴である。活性化プログラムやボランティアが老人ホームにやってきて,「おじいちゃん」と呼ぶお節介を痛烈に批判する。ここまででうんざり
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