2018年、「北海道の簡易軌道〜次世代に伝える開拓遺産としての鉄路〜」が北海道遺産の一つに選定された。戦前・戦中は「殖民軌道」ともよばれたこの小さな鉄路は、北海道、特に東部と北部の開拓にとってはとてつもなく大きな存在だった。半世紀前に姿を消した簡易軌道の功績に今、スポットが当たり始めた。 原野と暮らしを拓いて進んだレール 明治末から大正にかけての「北海道第一次拓殖計画」(1910〜1924年)、1923(大正12)年の関東大震災ではその罹災者救済として、北海道移住が積極的に推奨される。しかし、なかなか定着しない。入植地はあまりにも交通不便だったからだ。道東・道北の火山灰地、泥炭地では融雪期、道路は泥の海と化す。砂利も得にくい。人や物の行き来を数カ月間にわたり途絶させる。 その解決へ、内務省北海道庁は「殖民軌道」の敷設を計画する。軌間(レール間の幅)は762mmと国鉄(JR)在来線の1067