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ドラクエ3
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仁菜は誰に中指を立てるべきだったのか――《ガールズバンドクライ》について Who Should Nina Have Raised the Middle Finger to? Text by noirse : Guest 1 1994年4月5日、カート・コバーンが自殺した。カートはNirvanaというバンドで1991年にメジャーデビュー、もともとマイナーなパンクやハードコアを好んでいたが、予想を超える成功と世界的な名声を得て、理想とのギャップに苦しみ、ショットガンを手にすることになる。 ロックはもともと反体制の音楽だった。1960年代後半、アメリカの学生やヒッピーは、メッセージ性の強いロックに後押しされながら政治運動に取り組んた。しかしニクソンが大統領選に勝利し、マンソン事件が起き、革命は幻想だったと誰もが悟った。その後ロックは商業主義に移行、ジョセフ・ヒースとアンドルー・ポターが論じた通
クセナキス『形式化された音楽』(筑摩書房)監訳者に聞く/メールインタビュー 第3回「自分にとってクセナキスとは?そしてクセナキス・ザ・ベスト」 text by 野々村禎彦 (Yoshihiko Nonomura)& 齋藤俊夫 (Toshio Saito) (齋藤) 2ヶ月間に渡って、20世紀前衛音楽が生んだ偉大な鬼っ子クセナキスについて野々村さんにお話を伺ってまいりましたが、最終回の今回ではまとめというか、書き手それぞれにとってのクセナキス像を語るような場にしたいと思います。 クセナキスとは西洋音楽史上どんな存在であるのか?一言では言い表せないと思いますが、あえて私の言葉でまとめますと、シェーンベルクが機能和声という西洋音楽の屋台骨を外し、そこでヴェーベルンからブーレーズ、シュトックハウゼンへのトータル・セリーで秩序がもたらされるはずだったのに、「それは秩序に至らない」と、しかも西洋的理論
クセナキス『形式化された音楽』(筑摩書房)監訳者に聞く/メールインタビュー 第2回「日本現代音楽における同時代人と後継者」 text by 野々村禎彦 (Yoshihiko Nonomura) & 齋藤俊夫 (Toshio Saito) (齋藤) 1962年の仏語版後書き部分の本書211頁では、「実際、形式化と公理化は、現代の思考にこそ相応しい手順上の道しるべなのだ。現代の思考があればこそ、ちょうど古代の偉大な文明の時代にそうであったように、音響芸術を星や数や人間の脳の豊かさと同じレベルに近づけることができる」とあります。 「星や数や人間の脳」というのは中世ボエティウスの音楽美学のムジカ・ムンダーナ(宇宙の音楽)とムジカ・フーマーナ(人間の音楽)を踏まえたものと思われますが、音楽を歴史的に遡ることで近代以降の音楽の「人間性のドグマ」を解体しようとする彼の姿勢を表しています。その人間性を超え
ミュージカル『INTO THE WOODS』 Musical Into the Woods Text by 田中里奈(Rina Tanaka) 日生劇場、2022年1月11日~31日(鑑賞日:1月15日) 【スタッフ】 作詞・作曲:スティーヴン・ソンドハイム 脚本:ジェームズ・ラパイン 演出:熊林弘高 翻訳・訳詞:早船歌江子 音楽監督・指揮:小林恵子 美術:杉浦充 照明:笠原俊幸 音響:山本浩一 衣裳:原まさみ ヘアメイク:鎌田直樹 ムーブメントディレクター:柳本雅寛 指揮:大河内雅彦 歌唱指導:やまぐちあきこ、横山達夫 演出助手:田丸一宏 舞台監督:藤崎遊 宣伝美術:三堀大介(SIREN Inc.) 宣伝写真:石黒淳二 宣伝衣装:藪内勢也 宣伝ヘアメイク:栢木進(su-su)、masato at B.I.G.S.(marr) 【キャスト】 赤ずきん(「赤ずきん」):羽野晶紀 シンデレラ(
コロナのなかのマイアベーア、そしてドイツの文化的底力 Mayerbeer beim Coronavirus und Kulturpotenzial von Deutschland Text by 長木誠司 (Seiji Choki) 新型コロナウィルスの蔓延を受けて、スイスでは2月28日以降、1000人以上集まる集会の開催が禁じられた。同じような措置はドイツ語圏でも続いて執られ、3月10日にウィーン国立歌劇場は3月いっぱいの公演を中止することを宣言した。そしてドイツ国内でも、3月11日から4月19日まで、歌劇場や演奏会場が閉鎖されることになった。ただし、連邦制をとるドイツ国内での対応は、州や街によってもいくぶん異なっているようだ。ベルリン市では評議会によって500人以上の集会が禁じられ、そのため3つの歌劇場は否応なく閉鎖、同日中にシャルロッテンブルクのドイッチェ・オーパーと東のコーミッシェ
平成、廃墟の時代(後編)――ヴェイパーウェイヴとロマン主義 text by noirse ※《ケムリクサ》の結末について触れている箇所があります 1 ヴェイパーウェイヴはネット上で広まった音楽で、アマチュアのプレイヤーが参入し、ミーム的に様々なサブジャンルへ派生していった。ヴェイパートラップ、フューチャーファンク、ヴェイパーゴス、ヴェイパーゲイズ……。ショッピングモールにこだわった、モールソフトというジャンルさえある。 そのひとつにヒットラーウェイヴというシロモノがある。ヴェイパーウェイヴのトラックにヒットラーの演説を重ねたという悪趣味な音楽だが、オルト・ライトや白人至上主義者にウケて、トランプウェイヴという種類まで誕生した。内容はお察しの通りのものだ。 トランプウェイヴ人気はノスタルジーゆえだと指摘されている。ヴェイパーウェイヴは、1980~90年代の好景気だった時代のサウンドやイメージ
平成、廃墟の時代(前編)――渋谷系とブックオフ文化 text by noirse 1 平成、疲れてた それはとても どこへも行けず止まれずに 昨年各音楽メディアで最も高い評価を受けたアルバムのひとつ、折坂悠太の《平成》(2018)の、タイトル曲からの一節だ。折坂は平成元年生まれで、自分が生きてきた時代を覆う諦念と、そんな中でも希望を見出そうという複雑な思いを綴っている。 平成。年号が変わった途端にバブルが崩壊、就職氷河期と長きに渡る不況に突入。1995年には阪神大震災とオウム事件が勃発し、2001年のNYテロ以降国際情勢は混迷を深めるばかり、東日本大震災の傷跡も未だ癒えたとは言えない。大卒の就職率は上昇傾向にあるとはいえ、出口は見えない。つい先日も、十代の自殺率の増加が報道されたばかりだ。「疲れていた」というフレーズを平成に重ねる気持ちはよく分かる。 疲れた時代。こういった形容は言った者勝
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