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最近ちょっと気になることがあるので、今回はそのことを書いてみたい。そのひとつは歌人の名前である。 角川『短歌』の短歌年鑑平成17年度版に、小池光が「名前について」という文章を寄稿している。小池によれば、かつて歌人の名前はたとえ前衛歌人であっても、「岡井隆」とか「塚本邦雄」とか「寺山修司」のようにごく普通の名前であり、健康保険証や定期券に書いてあってもおかしくないものだった。ところが最近見るのは「謎彦」「ひぐらしひなつ」「イソカツミ」「斉藤斎藤」のように、健康保険証や定期券上ではあり得ない名前である。かといってペンネームとも微妙にちがう。ペンネームは実生活とは異なる芸術創作の主体を示すものである。しかし上に挙げたような名前は統合される主体を回避しようとするものであり、ほんとうは名前など付けたくないのだが、それでは区別するのに不便なのでやむなく付けた感がある。小池はこのように書いている。 その
書肆侃侃房から続々と刊行されている新鋭短歌シリーズの一巻として今年 (2022年) 2月に出たばかりの歌集である。ペンネームが変わっている。はてトロンとは、坂村健が作ったコンピュータOSか、ラドンの放射性同位体か、はたまた1982年に公開されたアメリカのSF映画か。ごていねいに最後にアスタリスクまで付いている。いぶかしみながら読み始めると、ぐいぐい引き込まれて最後まで一気に読んでしまった。素晴らしい第一歌集である。こんな歌集でデビューする歌人は幸福だ。通読して思ったのは、この世には詩心のある人とない人がいるということである。作者はもちろん詩心に溢れている人なのだ。 短いプロフィールによると、作者はTwitterで短歌と出会い、「うたの日」や『小説 野性時代』の歌壇欄などに投稿するようになる。2021年の第32回歌壇賞で「犬の目線」が候補作品に選ばれている(ただしそのことはプロフィールには書
不思議な歌である。場面は高速道路。下句の「サービスエリアがあるたび止まる」はわかる。不思議なのは上句である。高速道路は早く目的地に着くために走るものだ。普通の道路を走ったら6時間かかるところを2時間で目的地に着いたら、4時間得をしたと考えるのがふつうだ。しかし作者は高速道路を走ると時間を失うと感じているのだ。 こういう風に考えてみるとわかるかもしれない。私たちの寿命が70年に決まっていると仮定してみよう。これは目的地までの距離に当たる。生き方に2コースあるとする。ふつうの時間で生きて課長まで昇進する生き方と、3倍のスピードで生きて取締役まで出世する生き方だ。後者は確かに到達する職階は上だが、速度を上げて生きたため実際には70年の3分の1、つまり23.33年しか生きていない。46.67年の時間を失っているのである。だから掲出歌ではサービスエリアがあるために止まって、そこで高速で移動したために
川野芽生かわのめぐみが今年度の歌壇賞を受賞した。発表は『歌壇』2月号で行われたのですでに旧聞に属する話題をなぜ今頃取り上げるかというと、恥ずかしながら今まで知らなかったのである。私が定期購読しているのは『短歌研究』だけで、他の短歌総合誌は書店で見かけると買ったりしている程度なのだ。『短歌研究』7月号の作品季評で川野芽生の「ラビスラズリ」が取り上げられていて、荻原裕幸が「川野さんは歌壇賞の受賞者で」と講評を始めているのを読んで知ったというお粗末である。新聞の受賞短報記事は注意して見ているのだが見落としたようだ。 川野芽生は1991年神奈川県生まれで、東京大学の駒場教養学部にある超域文化科学専攻比較文学比較文化コースという長い名前の学科で学んでいる現役の大学院生である。長い名前だが伝統的な言い方をすれば文学部の比較文学科に当たる。プロフィールから計算してたぶん博士課程の1年生だろう。本郷短歌会
辞書によれば天涯花てんがいばなとは曼珠沙華または向日葵の異称だそうだ。だからどちらの可能性もあるのだが、一首の中に放ったときの美しさを較べれば曼珠沙華に軍配が上がる。曼珠沙華は彼岸花の別称で秋の季語であり、その名から「彼岸」という宗教的感情を喚起する。曼珠沙華は仏教で言う「四華」の一つで、法華経が説かれる時に天から降る花だという。四華とは白蓮花、大白蓮花、紅蓮花、大紅蓮花で、曼珠沙華は紅蓮花に当たる。だから赤い彼岸花である。 その曼珠沙華が〈私〉の胸に流れて来るという。花を放ったのは天だろう。つまりそれは天啓ということだ。「あなた」が言葉に詰まるとある。なぜ言葉に詰まったのかは明かされていない。そこにあるのは緊張を孕んだ〈私〉と「あなた」の関係性と、ふいに訪れる天啓の瞬間だけである。大きな謎を残す歌だがとても美しく、読者の想像力を刺激する。結句の助詞「を」も効果的だ。初句六音、四句八音の増
● 気がつかないうちにお問い合わせ欄が働かなくなっていました。サイトのITアドバイザーの尽力によって修復されました。今までとはちょっとちがうフォームですが、ご連絡やご質問がありましたらお使いください。 ●「橄欖追放」は東郷雄二のウェブサイトです。かつて桑原武夫がその存在を否定した純粋読者として、短歌・俳句などの短詩型文学をこよなく愛好し、批評を書いています。本業は言語学・フランス語学の研究者です。 ● 関西学院大学大学院で行なった昨年度の講義「フランス語指示詞の諸問題」と「フランス語における同格の諸問題」を掲載しました。「講義録公開」のページからお入りください。 ●「橄欖追放」の短歌批評は原則として第一月曜と第三月曜に更新しています。2007年までの記事は「今週の短歌のバックナンバー」でご覧になれます。 最近の投稿 第379回 第67回短歌研究新人賞雑感2024年7月1日 第378回 金田
第57回短歌研究新人賞を受賞した石井僚一の父親が生きていたことが話題になり、しばらくぶりの短歌論争の感を呈しているので、今回はこの話題を取り上げてみたい。事の起こりと時系列に沿う展開は次のとおりである。 平成26年7月6日、選考委員の加藤治郎、米川千嘉子、栗木京子、穂村弘による選考会が行われ、石井僚一の「父親のような雨に打たれて」が新人賞に選ばれた。 受賞は編集長からただちに本人に電話で連絡している。短歌研究編集部は翌日の7日にTwitterでこの結果をつぶやいており、マスコミ各社にも同時に連絡が行ったであろう。これを受けて地元の北海道新聞が7月10日付けの朝刊で本人のインタビューを掲載した。その中で石井は父親が生きていることを記者に明かし、「死のまぎわの祖父をみとる父の姿と、自分自身の父への思いを重ねた」と語る。ただし、北海道新聞は地方紙であるため、この情報はこの時点ではわずかな人が知る
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