サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
akarinomori.hatenablog.com
こどもと遊ぶのであれば、やはり、こども以上に賢くなくてはならない、とつくづく思い知ります。こどもだましという言葉がありますが、こどもは底抜けに純粋なだけで、馬鹿なわけではありません。むしろ、大人などよりはるかに賢いのです。 こどもは、どんな相手でも一列にして眺めます。肩書があろうがなかろうが、その人にハンデがあろうがなかろうが、お金を持っていようが持ってなかろうが、あっちの人に「おはよう」を言って、こっちの人には「おはよう」を言わないという小賢しい事は考えません。この人に「おはよう」を言った方がいいのかな、とこどもが思ってしまっているのだとしたら、それは、彼の近くの大人が、必ず、人によって態度を変えるような仕草を彼に見せているのだと思います。近しい人の行動や言い方を、教えられる事なく模倣してしまえる才覚がこども全部には標準装備で生まれながらに備わっているのです。 こどもはすぐに相手を「見破
我が家では柔軟剤を使いません。理由は幾つかあるのですが、主に綿製のバスタオルの劣化を招くのでそれを避けたいからというのが1つです。それから、量販店で販売されている柔軟剤にはむせ返るような香料が多く含まれているというのが1つです。妊娠でつわりを経験してから、強すぎる匂いが苦手になりました。 それ以来、今に至るまでこれと言って意識はしないでいましたら、使わない生活が当たり前になってしまいました。衣類の肌触りという点では確かにふんわりした心地よさからは遠ざかったように思います。ただ、化繊はともかく綿や麻は柔軟剤を使用しない方が、パリッとした風合いを楽しめるような気もするのです。 それと、我が家では入浴時に洗剤を余り使いません。風呂の中で念入りに体をこすったり、シャワーでしっかり頭髪を洗い流すだけです。洗顔もそう、洗顔料無しで肌表面をゆるゆる水で流すという感覚です。入浴そのものは毎日ですが、こんな
「あるがまま」を受け入れ、現状へ自分の感情を馴染ませるのに、随分時間がかかりました。まだ不安定で、核の部分も落ち着かず、出来たての小惑星のように私は今でもグツグツと揺らぎ動いています。 二人の幼子を連れて、家を出る決意をしたのが去年の十月でした。独り親になる覚悟が出来ていたのではなく、その時点ではただただやり場のない想いを解き放ちたくてカッとなっていただけでした。混乱する自分の気持ちをなだめる為、何をすれば良いか、全く想像もつきませんでした。ともすれば堪らない焦燥感に引きずられ、叫び出しそうになる心をどうすればいなす事が出来るのか、分からずに泣いていました。ひたすら親に従うしか選択肢がなかった息子達は、情緒不安定に怒ったり涙したりする私を見上げて、さぞ悲しかった事だったろうと申し訳なく思っています。 主人とは、やはり住む世界が違ったのでした。子を成し、一時でも同じ暮らしの中で一つの道を手を
一人で決断して どこかへ向かって歩いて行くのは 寂しくもあり不安でもある。 孤独になりたくなくて 大勢の輪の中にたたずんで 両隣の人に満遍なく笑いかけ、 タイミングを見計らって相槌を打ち、 適度な質問で話題を広げる等する。 一人ではない自分に安心し 同時に一人で何でもこなせる人へ嫉妬する。 本当の私はここにはいないんだ。 呪文のようにそんな事を唱えながら それでもやっぱり「大勢の中の私」を やめられないでいる。 ここで話題を途絶えさせたらいけない、 この表情は相手の気に障らないかしら、 張り詰めた自分が どうしたらそれらしく自然に見えるのか。 だけれども、 憧れるのは 一人で軽やかにくしゃみをしたり 咳払いをしたり 帽子をかぶり直したり 窓を開けたりする「孤独な自分」なんだよね。 怖くない事に確信を持っている自分。 一人でいる事に安心している自分。 なれるものならなりたい。 だけれど、 成
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『あかりの森's blog』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く