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大谷翔平
amnjrn.hatenablog.com
人を傷つけるようなことを言って,虚を衝いてやったぞと得意気になっている人たちや,その指摘が間違ってはいないとして「それを言うことで私にどう思わせたいのか」と思う人たちは,少なくなかった。 ただ,それによって私がどんなに嫌な思いをしたとしても,たとえ今でも根に持っていたとしても,誰一人私からお茶を取り上げることはできなかった。*1 だから今は,何を言ってくる人がいても,彼らは私にお茶を辞めさせられない程度の影響力しかないと分かる。私の人生から消えたのは,お茶ではなく彼らの方だ。 言われた言葉を忘れにくい性質で,その人自身に関する記憶からまず薄れていく。そして抜け殻になった言葉だけ,いつまでも勝手に覚えている。 その言葉そのものより,その後自分の中で解釈されていった結果しか,頭には残っていない。 生身の心で言葉を聞いてみた場合 ガバーッと開いたむき出しみたいな心で,これまで人間に会い続けてきた
茶人100人載ってた1日発売の某雑誌,読みながら本屋で泣いてしまった。買ってから読めばよかった。 流派も茶道歴も関係ないって言うなら,なんで全員の名前の横に流派と茶歴を書く必要があるのか。 そして弊修論の研究対象の皆さんが,見事に流派を載せてなかったことに救われてまた泣いた。— 矢島 愛子|Teaist (@amnjrn) 2018年9月1日 1日の過ごし方を考えることは,1日のどこにお茶の時間を設けるかを考えることであり,プライベートで会う人も全てお茶きっかけの人々だが,別にお茶が大好きですと話したことはない。少なくとも自分からそのようなポジション取りをしたことはない。 だから「大好き」から始まるコミュニケーションや,「熱中できるもの」というカテゴライズとは縁が遠い。好きだという自覚がなくとも熱中できたり,考え続けることができたり,気分が最悪な日もお茶を点て続けたりできる。 もう「好き」
本当の願いは,一人でも多くの親友や相談相手(メンター)を作ることだった。 親友や相談相手というのは,「縁を切られる,こんな自分だと嫌われる」みたいなことを考えずに付き合える人のことだと思っている。つまり従来型の恋人のように「別れる/別れない」「関係を断つ/絶たない」といった,不毛な駆け引きで相手を掌握しなくていい関係性のことだ。 別れると言い出す側,言われた側,そんなしょうもない力関係が発生し,マウントを取ろうとするだけの争いは多々ある。主導権を握ろうと働きかけなきゃいけない時点で,なんで一緒にいるのか分からない。イニシアチブの取り合いが必要な人間関係など,疲れるだけだ。 今まで私がしていた人付き合いは,押入れに荷物を突っ込んで綺麗になった気でいる掃除みたいなもので,視界に入ったものをただ処理しているだけだった。 でも人間関係という庭は,草取りだけでは綺麗にならない。 出逢って花を植えたら
2017 - 02 - 27 大事なものと「人」を比べるということ。 人間との関係 生きる心構え 「お茶より大事じゃない」が常套句になっていた。 つまるところ,どの恋人も大事にしてこなかった。 そんな自分がある人に出逢って,先日ビデオ通話をしていたときのこと。 彼は今海外に住んでいて,数ヶ月後に日本に来るけど,今のままではその後また帰国しないといけないという状況。どこでどう働くのか,という話をしていて。 「10年後に,たとえ君の隣で目が冷めても,自分の仕事に満足していなければ,そのときの自分に満足していなければ,幸せじゃないと思うんだ」 彼の一言一句に,いたく納得した。 私がこれまでに,もっとひどい言い方で,人に投げつけてきた言葉だったからだ。 自分を好いてくれる人とどれだけ一緒にいても,私は幸せだと思えていなかった。その人たちがお茶より大事じゃないなどと言って,いつも自分の幸せが第一だっ
趣味を研究対象にすることについて話してたときに,自分の口からLove is different from interestと衝いて出てきた。じゃあloveかinterestどっちなのかと訊かれ,答えに窮することになる。後の会話でbecause you love teaと言われることへの違和感は残りつつ,否定もしなかったけど。 その夜に,そういえば研究対象の人達がする茶会の日程とか全然把握してないぞ,と調べてたら他にも色んな茶人が見つかって,すごいな〜だけど方向性が違う人の後追いをしても仕方ないな,とか研究に関係ないことを思いながら,日程を把握し切らないまま寝て起きたら,目覚めがいつもと違う。 あれ,お茶のこと,どうでもよくなってないか と。 私が毎日お茶を点てているのを見た人に「よっぽど好きじゃないとできないよ」と解釈されることが多いけれど,ただ好きなだけではここまで続けてこれなかった。何
いまだにお茶を大好きだと言えない。好きと言った瞬間に言いたかったことと違うものになる,というのも懸念材料である。 先日パリ在住のブルガリア人女性からインタビューという形で質問をもらった。私の解答が英語からフランス語に翻訳されて,彼女のサイトに載るようである。「あなたにとって茶道とは?」っていう質問に,ちょうどフランス繫がりだし,サン=テグジュペリの「人間の土地」から引用して答えた。 「サン=テグジュペリは,“人間であるとは,(中略)手にした石を据えることで,自分が世界の構築に携わっていると感じることである”と言いました。私にとってお茶は,この文脈でいうところの“石”です。」 分かりにくいですね。イメージ画像(実物)としてはこんな感じで,小さい石(茶碗)を据えています。 お茶菓子を買って道具組みを考えるとき,お茶を点てるとき,野点するとき,お茶の写真を撮るとき,加工するとき,後から省みるとき
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