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評論家の森卓也が作家の小林信彦を攻撃した(「映画論叢 59」)。 両者は50年以上のつき合いで、小林の最新エッセイ『日本橋に生まれて』(文藝春秋)にも森の名は登場する。筆者は双方の著作を読んできて、てっきり気の置けない間柄だと思っていたので困惑するしかない。 脚本家の山田太一はかつて森の著書を「過剰さがなんともいえない。大抵の文章がもっと書きたい、もっと読みたい、え、終り?というようになって終る。背後の語らない蘊蓄をぎっしり感じてしまう」(『誰かへの手紙のように』〈マガジンハウス〉)と好意的に評したけれども、今回は悪口が過剰に詰め込まれ、それこそ「え、終り?というようになって終る」。 映画論叢 59 国書刊行会 Amazon 森は小林の身勝手な態度や言動、間違いを指摘されると不機嫌になる理不尽さなどに立腹しているのだが、その悪例のひとつとして「週刊文春」の連載コラム「本音を申せば」を挙げる
テレビ『それでも、生きてゆく』(2011)や『最高の離婚』(2013)、『カルテット』(2017)などの秀作をコンスタントに発表している脚本家・坂元裕二。映画『歩いても、歩いても』(2008)や『海街diary』(2016)などのほかに論客としても知られる是枝裕和監督。 6月、坂元・是枝両氏のトークショーが早稲田大学演劇博物館にて行われた。場内は満員(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。 坂元「この1か月くらい、きょうのために是枝さんの作品をずっと見てきて、頭の中が是枝さんのことでいっぱい。是枝さんのことしか考えられなくなって、あかんなと『ファインディング・ドリー』(2016)とかも見て。『ドリー』の中にも是枝さん的な部分を見つけてしまって(一同笑)。ちょっとずらさなあかんと思って『テレクラキャノンボール』
(『リング2』〈1999〉の)ホンでは、プールがざわざわすると、由良よしこさんの看護婦がコードにつまづいて転んで、照明灯が揺らいで感電事故が起きる。それで水に触れてた人は終わり。これには都市伝説が当時あって、六本木アークヒルズのプールで写真撮影中に照明灯が倒れて、プールにいたモデルがみな感電したと。多分嘘だけど、それをやろうと。 何故かそこで中田(中田秀夫)監督と大喧嘩。どうして揉めたかは忘れたけど、中田さんは反対して現場で変更。映画では、小日向(小日向文世)さんが発狂してああなったと。自分で(プールに)入ってしまって。ぼくは、小日向さんは最後まで明晰な人と思っていたんです。だから狂ってないほうがよかったかな。 その後で井戸に飛ぶのは、田中陽造さんの『地獄』(1979)のような観念バトル。最近の映画だったら『ダークナイト・ライジング』(2012)みたいな縦穴を使った戦いで、あれは西洋的なイ
――ただ、それがリアルに描かれるので、無力な人間対ムチャクチャ抗い難い運命みたいなものが出てきて(「今回は大河ドラマの完結編みたいな意味合いがありましたね。人間が戦争や時代の流れに押し流されていくような。この映画の場合は怪獣という、あり得ないものによって押し流されていく運命」〈金子〉)、人間のドキュメントに近いものを感じましたね。ドキュメンタリーだと出てくるものに感情移入できないですから。なるようになるわけですからね。 金子 でも、やっぱり最終的にはガメラに感情移入していく作りなんだけど。そういうふうには見えない? ――最後ですね。最後、火炎のなか戦いに行くところがグッとくるんだけど。でも、彼、負けるよな。 金子 勝つんですよ(笑)。 ――本編班と特撮班の間に確執がある、というメーキング・ビデオ(庵野秀明監督『GAMERA1999』)も見てしまったんですが…。 金子 あの、やっぱりどんな映
『独立愚連隊』(1959)などの映画作品で知られ、2005年に世を去った岡本喜八監督。 11~12月には銀座シネパトスにて特集上映が行われ、岡本監督を信奉する庵野秀明、樋口真嗣両監督のトークショーもあった。この日の上映は『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971)と『ブルークリスマス』(1977)で、両氏はこの2作を愛好することで知られる。トークの模様はシネパトスのサイトにアップされていたのだが、今年3月の閉館とともにそのページもなくなってしまったのでレポを載せることにした(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや、整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。 この時点では庵野秀明監督の最新作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012)の公開から2週間後であった(今回のトークでは『Q』について一切触れられことはなかった)。樋口真嗣監督の新作『のぼうの城』(20
この数年来、『相棒』シリーズ(2000〜)の現場での主演・水谷豊の独裁ぶりが報じられてきた。そんな報道もあって、最近の水谷はすっかり『相棒』のイメージに染まってしまったけれども、以前にも映画『青春の殺人者』(1976)、テレビ『男たちの旅路』(1976〜1982)や『熱中時代』(1978〜1989)などの代表作がある。殊にいまだに人気のあるのが萩原健一主演の『傷だらけの天使』(1974)であり、水谷はその “相棒” 役を好演(水谷の起用は、萩原の希望によるものだったという)。 現在、『相棒』では天皇と呼ばれる水谷とは対照的に、2004年に恐喝事件を起こした萩原は活動の縮小に追い込まれている。水谷と萩原は、ひとりが脚光を浴びるとひとりは髀肉の嘆をかこうという関係にある…。 青春の殺人者 水谷豊 Amazon 『傷だらけの天使』以後、萩原はテレビ『前略おふくろ様』(1975)や黒澤明監督の映画
以下に引用するのは『ドラえもん』(小学館)などで知られる藤子・F・不二雄(藤本弘)先生が1996年に逝去された際に月刊誌「婦人公論」にて行われた鼎談で藤子不二雄A、大山のぶ代、石ノ森章太郎の三氏が参加しておられる(字数の関係上全文ではない)。 石ノ森章太郎先生は、藤子不二雄の両先生とは若いころからの友人で、この対談のしばらく後の1998年1月に60歳で逝去された。「去年、最後に会ったときにはお互い体調が悪かった」との発言が痛々しい。 ちなみに藤子不二雄の両先生と石ノ森先生、赤塚不二夫先生らは若き日に “新漫画党” というグループを組織していた。この記事には、何の説明もなく新漫画党と出てくるので「婦人公論」の読者は判るのかと思ってしまうのだが…。 藤子・F・不二雄の世界〔改訂新版〕: 〔完全作品リスト〕データ追補!! 作者:藤子 F不二雄 小学館 Amazon 大山 私は、藤本弘先生(藤子・
安孫子 大山さんは、最初はいつ彼と会ったんですか。 大山 初めてテレビの『ドラえもん』の声を入れたあとです。役者としてはまず「先生、あれでいいんでしょうか」って聞きますよね。実は内心、「あれしかないぞ」と思っていたんです(笑)。そうしたら、「ドラえもんって、ああいう声だったんですねぇ」っておっしゃったの。 安孫子 そんなことを言ってましたか。 大山 こんなにうれしい褒め言葉はなかったです。本当にうれしかった。藤本先生はときどきジョークも訥々とおっしゃるんです。だから一瞬間をおいてから、ああ、おかしなことをおっしゃったんだって感じること、何度もありました。 ぼく、ドラえもんでした。 (小学館文庫) 作者:大山 のぶ代 小学館 Amazon 安孫子 彼は生真面目そうだけど、ジョークが好きでね。トキワ荘の頃も、よく二人で悪戯をしてました。たいてい、彼が計画して僕が実行に移す。 石ノ森 そうそう。
安孫子 あのドラえもんの喋り方になるまで、研究もされたんですか。 大山 いろいろ考えました。当時、ロボットの役をやるときはたいがい、電子音的に「ボ・ク・ハ」みたいに喋っていたんですが、ドラえもんはとても人間チックで全然ロボットっていう感じを受けないでしょ。だから、私はあえて普通の男の子みたいな話し方にしたんです。それから、たとえば私たちでも外国語を習うときにはきれいな言葉から習いますよね。だから「こんにちは、ぼくドラえもんです」とか、いい日本語をインプットされている。ただしちょっとできが悪いロボットだから、頼りなげなところがあるとかね。毎週楽しんでやっているうちに、ほかの声優の仕事は全部お断りして、とうとう『ドラえもん』だけになってしまいました。 石ノ森 やはりドラえもんには、特別な思い入れがありますか。 大山 これをやったら、もうほかはやれないと思うほど強烈でしたね。 安孫子 見ている側
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