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体力トレーニング
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先日、鈴木大拙の「禅八講」を読んでいたら、禅と心理学の章の中で”心理学が分析と手を切らない限り、「自己」は到達できないであろう(=悟りには到達できないであろう)”という文章に当たりました。 この本は、もともと英語で書かれたもので、原書では「自己」はSが大文字のthe Selfとなっています。なのでここでの「自己」は、自己満足みたいな日常で使われる自分といった意味ではなく、本質の自分、つまり空の意識、気づきの意識のことを指します。 さて、心理学はそもそも悟りを目指すものではないので、ある意味ジャンル違いです。ですが、楽になる、苦しみから解放されることを目指した場合、悟りの方向に進む方が圧倒的に良いと思うのです。 分析と手を切らないといけない理由は、大拙の言葉をまた引用すると、「分析ではなく、あるがままに掴まなければいけない、自己が分裂すると、自己であることをやめる。見るものと見られるものがで
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