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教会暦と聖書の流れ 先週の福音の箇所はマタイ11章の結びでした。マタイ12章は主日のミサの朗読配分では省略されていますが、そこには、安息日に病人をいやし、悪霊を追い出すなどのイエスの活動と、それに対するさまざまな反応が伝えられています。イエスのメッセージが簡単には受け入れられなかったという現実の中で、それでも天の国(神の国)は力強く成長している、ということを語るのがきょうの13章のたとえ話集だと言えるかもしれません。 (1) 人がたとえ話を用いて話すのは、ふつうは話を理解しやすくするためでしょう。しかし、イザヤ6章9-10節を引用しながらたとえで語る理由を述べるマタイ13章11-17節は、イエスのたとえがたとえだけでは理解できず、その意味を理解するには特別な説明が必要であるということを前提にしているようです。そんなことがありえるのでしょうか。ヨアヒム・エレミアス(1900-1979)という
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