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大谷翔平
dreamy-policeman.hatenablog.com
冒頭から都会の中を走り回り、ホストと威嚇し合い、奔放に飲み、排泄する河井優実が映し出されていく。謎めいた人格と異常にリアリティのあるセリフ(「紙ストローか」のくだりからしてヤバかった)、観る者の注意を引きつけてやまない表情と声色、同世代の女性監督だからこそ撮れたであろう美しい四肢。 これだけの要素があれば、映画としては十分すぎるほど魅力的な序盤であるのだけど、何か違和感のようなものがある。俺はまだこの映画の中に入り込めていないのではないか、何か大きなものを見落としているのではないか、と。そんな風にソワソワしてきたところでスマホ越しに現れる、「ナミビアの砂漠」のライブカメラの映像。 ああやっと分かった。さっきまで私が見ていたのは、これと同じ映像だったのだ。部屋の中をうろつきながらハムを食い、アイスを食べていたカナは、定点カメラに捉えられた水飲み場に集まる野生動物そのもの。つまり、日本の大都会
ゴールデンウィークの初めに、石川県輪島市の震災支援ボランティアに参加した。被災したお宅から震災ゴミを運び出す作業。とても良質な労働力とは言えない非力な私が行ってもいいものか。そんな迷いが最後まで頭を離れなかったけど、私が住む街と石川県はNHKの放送エリア(東海・北陸)が同じで、お昼の地方ニュースで日々淡々と読み上げられる給水所や避難所のお知らせを聞くうちに、何か直接的に役に立つことがしたいという気持ちが強くなっていった。自分のルーツがある東日本大震災の時は子どもが小さくて身動きが取れなかったこともあるし、指先とスマホでしか自分の社会的意思を表明できない違和感をなんとかしたいという個人的な動機もあった。とにかくできる時にできる人ができることをやる、ということが大切だろうと思い、参加を申し込むことにした。 しかしこのボランティアの申込もなかなか大変だった。窓口が石川県災害対策ボランティア本部の
少し前に映画館で「アイの歌声を聴かせて」というアニメ映画の巨大なポスターを目にした。どこからどう見ても健全そうな雰囲気で、声優も名の知られた俳優が起用されていたので、かなり大きな資本が投じられた作品という印象を受けた。しかしそのポスターをよく見ると、主人公が着ている制服の短いスカートの裾の下から下着がちらっと見えている。全体的な雰囲気からこのイラストが、見る側の劣情を煽ろうという明確な意図があるわけではないことはわかる。おそらく「少女→制服→短いスカート」という半ば無意識のパターンの中で描かれたものなのだろう。しかしなぜこんなにスカートが短くなきゃいけないのか。そしてなぜ下着まで当たり前のように書かなきゃいけないのか。男子学生の下着は当然描かれていないのに。多くのスタッフが関わったであろうこの作品のポスターにおいて、その必然性を誰も考えないまま、性的イメージが慣習としてバラまかれているとこ
2021年の夏。 俺もおかしかったし、みんなもおかしかった。まだ何も決着がついたわけではないけど、10月13日にリリースされたサニーデイ・サービスの新曲「TOKYO SUNSET」は、この狂った夏を走り抜けたアーティストからの手紙のようなものだと思った。もう少し踏み込んで言うと、この夏に打ちのめされた俺たちの気持ちを代弁してくれた曲なんじゃないか、という気すらしている。 「パラリンピックが終わって空っぽの9月」という歌い出しが想起させるのは、逆にあまりにも空っぽじゃなさすぎた8月までのこと。制御不能の新型コロナウィルスの感染に怯える中で開催されたオリンピック・パラリンピックの果てしない混沌。一方で軒並み中止に追い込まれたロックフェスと、石を投げられながら厳戒態勢で開催されたフジロック。今はどれも無かったことになってしまっているけど。 続く「きみからのメール もう一度読んだ」「太陽はいつだっ
TURNの取材で曽我部恵一さんにインタビューさせてもらった時に言われた「今、25歳に戻してあげるって言われても嫌だな。あの頃はもっと無礼だった。今は昔より純情だし、もっとけがれなく世の中のことを見ている」という言葉が強く自分の中に残っている。初期の傑作を軽やかに生み出していった才気に満ちた日々よりも、おそらく色々な荷物を背負いながら戦っているであろう今の自分を選ぶ勇気と自信。とっくに40を超えても相変わらずどうしようもないことばかりやってる俺でも、明日はもっとマシな人間になれるんじゃないか、いつかこんな風に昨日より今日の方がいいと言える日が来るんじゃないか。『いいね!』を聴くたびに曽我部さんの言葉を思い出しては、励まされるような気持ちになっている。 映画『アメリカン・ユートピア』を観た時もそれに通じる気持ちを感じた。もちろん最初はデヴィッド・バーンとバンドメンバーの人間の限界を超えた肉体性
あいちトリエンナーレに端を発した大村愛知県知事の不正リコール問題。たぶん一般的には「うさんくさい医者と怪しげな政治家による度を超えた悪ふざけ」くらいの感覚なのかもしれない。 しかし私は、これは2000年代以降の日本社会に流れる三本の暗い濁流が混ざり合うことで起きた、象徴的な事件だと思っている。 一つ目の濁流は、本来は中立的な立場で住民サービスを提供するべき行政の長が党派性を剥き出しにして、国民や住民を二分する政治手法の蔓延である。小泉純一郎から橋下徹や安倍晋三、小池百合子や松井一郎へとより品性を下げつつ引き継がれてきたやり方が、愛知県に襲いかかってきたということなのだろう。実際、首謀者たる河村たかしは、この県民の分断を煽るリコール活動を「名古屋市長としての公務としてやっている」と公言していたし、「表現の不自由展」に最初にクレームをつけたのは大阪維新の会を率いる松井一郎と吉村洋文だった。 二
『サニーデイ・サービスの世界 追加公演 “1994”』に行った。 2018年5月に亡くなったドラマー・丸山晴茂の追悼ということで、メンバーは曽我部恵一と田中貴の二人きり。チケットにもわざわざ、「曽我部恵一(Vo/Gt)、田中貴(Ba)」と印刷してある。 とは言え、私の頭の中では、これから何が起きるのかまったく想像できず、そもそもこのライブにどう向き合えばいいのか、整理がつかないままその日を迎えてしまったような感じがあった。 開演時間ギリギリに渋谷クアトロに着いてまず目に入るのは、入口に設置された献花台。麗しい晴茂君の写真パネルの前に、たくさんの花が供えられていた。 そして、フロアに入りステージを見れば、そこにあるのは、数本のギターとベースのみ。ドラムセットがあるべき場所には、ぽっかりと暗い穴が開いていた。 晴茂君の不在というものを改めて実感する瞬間だった。 定刻を少し過ぎたところで、曽我
最近のサニーデイがやることなすことに興奮してしまうのは決して私が盲目的信者だからとかパブロフの犬だからというわけではなくて、ただただサニーデイのやることなすことがかっこいいという結果なのであって、当然のことながら、ごくまれにではあるけれども「あれ?」と思うこともある。 そんなひっかかりを感じたのは北沢夏音氏との共著作『青春狂走曲』の中に収められた『DANCE TO YOU』の制作にまつわるインタビュー。 曽我部恵一が小田島等と見に行ったSEALDsのデモを「もっとゲバった方がいい」「機動隊が出てきて大きな展開になればいいと思った」「世の中を変えるためには血を流さないとダメ」を評しているくだりを読んだ時である。 私を含めたふがいない大人になりかわり、民主主義を守るために立ち上がった若者に向かって血を流せなんて、なんかちょっと無責任な物言いなんじゃないかなぁとモヤモヤするところがあったのだ。(
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