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薄暗い濁流の川の中を、溺れていたみたいだった。 とても辛かった。 身体は今も辛いが、強い毒素が抜けていくにつれ、精神的なものは徐々にマシになっていった。 が、体が強烈な痛みに支配されているここ何週間かは、とてもじゃないが前向きにはなれなかった。 手術もかなり痛かった。 胸が無い今もまだ、感覚が戻らない。むしろ浮腫によって悪化している。おそらく浮腫が取れない限り、この感覚は戻らない。そして今は動かせない。 手術よりはるかにしんどいのが、抗がん剤。 比べ物にならない。 手術の痛みは、想像ができる。 それまでに手を切ったり、怪我をしたりしているから、その延長線上のことはなんとなく想像できる。それでも痛かった。 しかし抗がん剤は、想像できない。 あの身の置き所の無いしんどさ、痛みは、言葉では到底説明できない。 いや、はじめのうちはまだ耐えられた。 FECのうちは吐き気と眩暈、食欲の減退で済んだ。(
ツイッターなり、前回の告知やこのブログで断片的に話していたけど、もう一度まとめてきちんとかいておこうと思う。 勉強会に参加される方は、私の考えなり思いを読んでいただけるととてもうれしい。 私がガンになる2〜3ヶ月前から、ガン闘病の末無くなった方のブログを読んでいた。 辛かった。 とても辛かった。 涙なくしては読めなかったし、震えてた。 このブログを読んで、もし私がこういう立場になったとき、何が出来るのかな、と漠然と考えていた。 私がガンになって、自分を晒す勇気があるのか、と。 病気を公表して、毎日の泣き笑いを記すことはとても勇気が必要だと思った。 どうしてか。 コメントに心無い人の言葉がみつかったりするから。 時折、管理人が見えなくしているコメント欄を見て、とても残念な気持ちになった。 同時に、たくさんの応援のメッセージに自分の気持ちを重ねていた。 出来れば生きているその人に会いたかった。
ふと、思い出した。 4ヶ月前の告知前後の事を。 暗かったな・・・当たり前かもしれないけど。 今日九州の親戚も来阪していたので、一緒に食事をした。 その前に新しく、そしてうれしい出会いもあった。 この2組の出会い(再会)で、過去どんな私だったかを思い出した。 このブログを立ち上げようと思ったのは、実はあるがん患者のブログを閲覧していたことがきっかけだった。 ガンだと思っていなかった数ヶ月前から。 すごい偶然だ。 ガンを告知されて、その人のことがすぐ頭に思い浮かび、 ガンと告知されてからもう一度、すでに亡くなっている人のそのブログを読んだ。 「書かなきゃ・・・」 すぐブログを立ち上げようと思ったけど、とても迷っていた。 ガンであることが悲しすぎて、毎日泣いていた。 ガンになったことを恨んだ。自分のやってきた生活を。生活のパートナーを。捨てられたと思っていた人々を。 そのとき目の前の人に、それを
九州に旅行に行ってきた。親戚と一緒に。 当初免疫低下もあって、疲れることに対してすごく恐怖感があった。 が、ペースをかなり落とし無理せず行動することで、随分気分転換になった。 以前旅行したときと比べて、随分自分が変わってしまったことに気づいた。 なんというか・・・まったく別人の自分がいる。全てではないけど。 焦ったり、イライラしたり、そういうことが格段に減った。 こんなに風景が違って見えるのか。 前は博多の町は好きではなかったのに、今はこんなに近く感じる。 今回は漢方を営む親戚に会いに行った。 そこでより詳しい病状を説明したのと、がん治療の現状や今後の治療方針について聞いた。 ここに今から書くことは、全て誰かにとっての真実であるが、あなたにとっての真実とは限らない。 しかしこれが今日のテーマである。 事実とは何か。今日のがん治療に事実のがあるのか。 そして、事実が見えないとき、事実を知って
覚悟を決めてから、感情面で揺れることはなくなったと思う。 だけど、恐怖心はまだなくならない。 楽しい時間かどうかと言うよりも、私自身が「忘れる」時がある。逆にすごくナイーブと言うか、落ち込むときがあってそういう時は何をしてもだめだ。 ここのところ、実は寝れていない。 夜になると恐怖が押し寄せてくる。 前はこの恐怖心に感情がくっついていた。泣いて泣いて泣きまくって、そして余計につらくなってどうしようもない感情を抱えていた。 今は感情面での波は去った。 でも恐怖は残っている。 恐怖とは、死ぬ恐怖。 選択肢を失敗する恐怖。 誰かを信用していないとかではない。しかし恐れている。 今の私はひどい顔をしている。やつれて、青白い。目は疑いの目をしている。 今日は正直すごく疲れた。今日のことではなく、今日までのことが疲れた。 髪を切った。 主治医に「もっと髪を切ったほうがいい」といわれたのもあるし、やっぱ
今日は朝から落ち着いていた。多分ネイルのせいかな? 手術に向けた最終診断を仰ぐことになった。 実は先生には、月曜に予定外で会いに行っている。そのときにネイルの許可も得たのだが。(多分先生は気づいていないwww) 非常に厳しい診断結果だった。 主治医によると、乳ガンは抗がん剤がキーポイントらしい。腫瘍を取り除くのと同じくらい大事らしく、どうも転移しやすいのかもしれない。 乳がんの仕組みについては、以下の記事が詳しいと思われる。記事が古いので参照程度に。 大きく変わる乳がんのホルモン療法・アロマターゼ阻害剤という新しい概念の薬剤が乳がん治療の主役になる日 ここで注目してほしいのは、「乳ガンは全身病といわれる」という言葉。多分転移しても見つけにくいのであろう・・・乳管というリンパに沿って、小さなガンが転移していく。 そして、ホルモンタイプか免疫抗体かにタイプわけされるらしい。 エストロゲン・レセ
Seasons of Love - Rent http://www.youtube.com/watch?v=hj7LRuusFqo この歌をツイッターで教えてもらってから、ずっと頭の中で回っている。 修論で悩んだり、仕事で迷ったり、色々不安に思いながらも、 なんとかここまでこれたのは、本当に周囲で応援してくれてた人たちのおかげなんだと思う。 私が癌になったときから、特別な数字は全て闘病に係る事だった。 20100129、20102018、20100303 告知され、手術し、抗癌剤が始まった日だった。 自分にとっての特別な数字を、緊張を持って数える。 「これだけ過ごせた」「あとどれくらい?」 ぐるぐると二つの問を行ったり来たりする。 2年半が過ぎ、自分の「将来」について落ち着いて考えられる精神状態になってきた。 未来を諦めない為に大学院に行ったものの、心の奥底ではいつも不安に苛まれていた。
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