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「儒教とは何か」(加地伸行、中公新書)の第5章「経学の時代(下)」の紹介。後漢から隋唐時代までの儒教、仏教、道教の相互関係について、示唆に富む指摘が満載されている。 少し長くなるが、お付き合いのほどを。短くするために、正確な引用ではなく、要約しています。 儒教自身の宗教性は、各家族における祖先崇拝となり個別化したため、教団といったものができなかった。だから儀礼が慣習化され、キリスト教教会や仏教寺院が与えるような宗教性を意識しなかったのは、やむをえなかった。その結果、宗教を求める人々の意識は、仏教や道教に向かった。そして、後漢から隋唐時代までの間、儒教、仏教、道教は相争い、やがて融和していく。 この三つはどこが違うのか。 (人間社会を中心とする)儒教は政治理論においては仏教、道教より優位にあったが、宇宙論・形而上学では劣勢だった。 死生観では、仏教は輪廻転生、儒教は招魂再生、道教は不老長生を
これまで「つまみ読み」をしていた「国家の罠」(佐藤優、新潮文庫)を遅まきながら通読した。非常に面白かった。商業的記事の成立要素は、つきつめれば「役に立つ」、「面白い」の二つにしぼられる。「役に立つ」とは具体的情報に富んでいること、「面白い」とはストーリー展開、レトリック、視点に魅力があること。この本には、この2要素がかなりハイレベルで備わっている。 自分の体験談、しかも逮捕、拘留という強烈な体験であれば、自己陶酔に基づく感情過多の文章になるのが通例だ。しかし、この本は、当事者の聞き書きを元に、プロの書き手が当事者の一人称でつづったドキュメンタリーのようだ。デビュー作でこれほどの完成度は、確かにただものではない。 政府与党、外務省、検察庁…その動静は、マスコミを通じての間接情報で知らされているが、実名で楽屋裏の話をこれだけ詳細に読めるのは、非常に貴重だ。こういう場所にいる人たちの本音発言で、
映画「マイ・バック・ページ」の続き。 「ユリイカ」6月号が、この作品の監督である山下敦弘の特集を組んでいたので別の角度からの評価も紹介したい。(コンパクトにするため、正確な引用ではなく、要約した) 大澤 真幸 要するに、これは、若いジャーナリスト(妻夫木演じる記者・沢田)の無残な失敗の記録である。愚かな善人と狡猾な悪人(松山演じる学生運動家・梅山)という紋切り型に解消される。 しかし、このように解釈してしまえば、この作品の倫理的な核は完全に見失われる。この作品の倫理上の中心的問いは、沢田のセリフ「なんでおれ、あいつのことを信じちゃったんだろうな?」に要約される。 この問いは、沢田の逮捕・解雇の直後に日本人の全員が経験することの前哨戦だからである。それは連合赤軍事件だ。 当時、相当数の日本人が連合赤軍を信じていた。それだけに、「仲間殺し」を知った時、「裏切られた」と感じ、多くの日本人は「なん
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