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買ってよかったもの
gedokunosusume.wordpress.com
「絵画療法」のところでわかったことのひとつ、「人といると疲れてしまう」のは、気の休まる暇がないからだ。常に、相手がどう思っているかどうしたいかを考えて、「正解」を出し続けなければならない。「不正解」を出してしまうと、自己嫌悪でものすごく落ち込んでしまうからだ。 では、どういうときに不正解を出して「やってしまった」と凹むのか。 海外に引っ越してしまった友人Aちゃんが、数日イギリスに帰ってきたので、友人数人で集まった。Aちゃんは、前回来英時に会えなかったBちゃんにも会いたかったのだけれど、Bちゃんの電話番号がわからなくなってしまっていて電話ができず、とりあえずメールをしてみたものの連絡がつかなかったとのこと。私はBちゃんの番号がわかるから、ダメ元でこの場で連絡してみようかと申し出た。 Bちゃんに電話をかけて、「今集まっているんだけど、もし来れたらと思って」と伝えた。でもなにせ急だし、難しいだろ
毒親のもとに育った人たちは、きっと気づかずに「アダルトチルドレン」になっていることが多いと思う。私はこの単語を以前から知ってはいたけど、自分のことじゃないだろうと、見てみようとは思わなかった。でも、見てみたらドンピシャだった。 アダルトチルドレンとは、「人間としての基礎を身につけられることなく体だけ育ってしまった人」というような感じだと私は思っている。 子供は、周りから理解されるという「無条件のサポート」によって、自己肯定を創りあげながら育っていく。そうすると、だんだんとサポートがなくても大丈夫になってきて、大人になると、他人から理解されなかったり、批判されたとしても大丈夫になり、その逆境を乗り越えていけるようになる。左下の木のように、根がよく伸びていて、強い風が吹いても倒れることがない。 この自己肯定が育たないと、自分がなく、人の評価に過剰に敏感になり、少しの逆境でも大きな壁となってしま
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