サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
globalizer-ja.hatenablog.com
GAFA脅威論の死角と蹉跌 https://note.mu/masanork/n/nc2c02783947 たしかに例の4つの企業がやっている営利活動は、IBMとかAT&Tとか、それらの企業の日本版の企業には全く思いつかないサービスだ。生活密着型のITビジネスとはよくいったものだと思う。しかしながら、ではこれらGAFAとか言われている連中のサービスがそんなにすばらしいものであるのかというと、全然だめとはいわないが正直大して素晴らしいものでもないと思う。このような認識がネットでは一向に見当たらないのは何でなのだろうと個人的には長年の謎なのだが、ともかく僕はこれらの連中が、世界を乗っ取る意欲と能力を持ち合わせているようにはとても見えない。単にしばらくは儲かるんだろうな、くらいにしか思わない。それらは、もっとマシなものに置き換えられるべき何かである。
なんで産業スパイなんかしないといけないのか分からない。だって、中国にはカネがあるのだから必要な技術を持っている人間をカネで引き抜けばいい。もっとも、技術が軍事がらみだとすると引き抜きが実質的に不可能なのかもしれないが、それでも技術を盗むというようなことをやっていると中国の科学技術の発展の妨げになるし、ただでさえ悪い中国のイメージがますます悪くなる。それでも産業スパイをつづけているのには何か理由があるのだろうか?アメリカは産業スパイをしていない(と思う)。
防弾なんとかというBoys Bandの反日が話題になっている。日本でもそれなりのセールスがあるはずなのになんでこのようなことをしたのかよく分からないが、それで思ったのは、やっぱり反日って面白いんだろうな、ということだ。端からみれば、地政学的な条件が不利すぎたのだから民族の歴史が惨めなものであるのは仕方がない、といえばそれで済む話だし、いくら日本人に謝罪させたところで民族の歴史が惨めなものであることには変わりがない。それでも反日を止められないのは、反日が面白すぎるからだろう。過去の歴史を持ち出せば、日本人は頭を下げる。欧米のネオリベメディアも、欧米諸国がしてきたことを棚に上げて韓国の味方をしてくれる。面白くないはずがない。一方の日本側でも、嫌韓がエンターテイメントとして定着して久しい。日韓関係で問題が持ち上がるごとに、日本人特有の残酷さをもって韓国人の愚行がこれでもか!というくらい徹底的に分
どうも最近、山月記関連のエントリーが読まれているようなのだが、その中にブッマークが200くらいのものがあって懐かしかった。 その頃、というか考えてみたらせいぜい1、2年前のことなのだが、はてなの大物ブロガーというのはとてもわかりやすかった。つまり、はてなの大物ブロガーというのははてなブックマークのホットエントリーにしょっちゅう上ってくるブロガーのことだったのである。ホットエントリーにのせれば大物ブロガーになれるのだから、有名になりたい人は(あるいは、有名になることでカネも儲けたい人は)こぞってブックマークをあつめ、エントリーをホットエントリーに載せるために少なからぬ時間と体力を使っていた。要するに互助会だ。 これにたいして、はてなの一部では互助会を厳しく取り締まるべき、という意見が強かった。個人が意図的にブックマークを集めてホットエントリーに入るなら何のためのキュレーションサイトなのか、と
一般論から言えば、今の時期になってハリルホジッチを解任したのは間違った判断であったといえるだろう。ワールドカップの監督がハリルホジッチでないならば、何がよくて何が悪かったのかを分析して今後に生かすことはできないし、日本代表を一時は無理なのではないかと噂されたワールドカップ出場に導いたハリルホジッチを直前になって切り捨てるのは気の毒に過ぎる、というのは全くもってもっともな議論だと思う。 しかしながら、政治家と同様、サッカーの代表監督は結果がすべてである。サッカーの代表監督がやっているのは政治そのものだからこれは当然のことで、代表監督は自分の好き嫌いではなくよい結果に繋がるような選択をしなければいけない。 その意味において、この時期での代表監督解任という結果にはハリルホジッチにも相当の責任がある。ハリルホジッチはハリルホジッチなりに一生懸命代表監督の仕事に取り組んだのだろうが、自分は正しいこと
報道によると、中学校の英語教師で英検準一級レベルの英語力をもつ教師は3割、高校教師だと6割ほどであるらしい。 もしこれが本当だとしたら、中学校で英語を教えている教師の7割、高校で教えている教師の4割は英検二級レベルかそれ以下だということだ。 英検二級というとちょうど高校卒業程度である。 高校卒業程度といっても東大の英語とか京大の英語だって高校卒業程度なので、英検二級がどれくらい難しいのか僕にはわからない。 しかし、世間でこれだけ英語教師の語学力の程度の低さが言われる一方、「いや、じつは英語教師は相当英語ができるよ」というような話はあまり聞こえないから、まあ英語教師の語学力の程度はある程度推測できる。 僕が不思議に思うのは、いったい中学なり高校なりに勤務している英語教師はふだん何を読んで、何を聞いているのかということだ。 もし英語教師の全員が毎日英語を読んだり聞いたりしているならば、英語教師
駒大苫小牧の選抜出場を受け、スポーツ情報番組で野球部の特集をやっていた。 なんだかおかしなことになっているなあ、という印象をもった。 おかしいところはいろいろあるが、たとえば佐々木監督が生徒に激を飛ばすときはこんな感じだ。 佐々木監督「楽しくエンジョイベースボール、ないってそんなの!楽しくやるのはいつだ?(生徒沈黙。語気を強め)いつだ!?」 生徒「甲子園です!」 佐々木監督「試合でやるんだろ?」 言わされてる感がハンパない。 番組では、駒大苫小牧野球部の挨拶の時に人差し指を顔の前で掲げる独特なジェスチャーを紹介していた。 これは ・常に一番を意識する ・チームが一つであることを意識する という意味があって、野球部の生徒は挨拶するごとにこれをやっているのだという。 あんまりいいことだとは思わない。 「一番」のジェスチャーというのは本当に特別な状況で使ってこそ意味を持つ。 ひっきりなしに使って
21世紀は中国が世界の中心になる、というような話は、今考えてもやはり時代遅れだと思う。 中国についてどうしても考えてしまうのは、開放政策以前の中国でなにか世界が驚くような目覚ましい達成があったのか?ということだ。 冷戦時代のソ連には、もちろんいろいろな問題があったのだが、文化であるとか学問に関していえばソ連の水準というのは西側諸国と比べてひけをとらないものだったと思う。 しかし、冷戦時代に中国で文化的、あるいは学問的になにが達成されたかを考えるとき、正直なにも思い浮かばない。 冷戦時代に中国でなにが起きていたのか僕は何も知らないのだが(そして、それはとても興味深いテーマだと思うが)、当時の中国はというと、ただただ人々の生活水準を向上させることで精一杯な国、という感じがする。 もちろん、冷戦下の中国はソ連のように搾取できる衛星国を持たなかったし、何百年前にも及ぶヨーロッパ文明の伝統があったわ
それなりに経済的に余裕がある家庭に育ち、それなりの「教育」を受けた人なら誰でも不思議に思うだろうことがある。 それは、なぜ経済的に恵まれない層で自己責任論が支持をされているのか、ということだ。 経済的に恵まれていないならば、それだけ社会福祉制度の恩恵にあずかることになる機会が多いはずである。 それなのに、なんで貧困層では社会福祉の拡充を主張する左翼的意見の人気がなく、貧困なのは自分のせい、という自己責任論が支持されるのか? 「まとも」な家庭に育った人はそのように首をかしげることになる。 これは一体なぜなのだろうか? なぜ貧困層で自己責任論が支持されるのかというと、貧困層では恩を仇で返すようなクズが大量にいるからだ。 普通の人が誰かから恩を受けたら、感謝をすることはもちろんのこと、できれば2割、3割増しで恩を返そうとするだろう。 ところが、貧困層のクズはそんなことは考えない。 逆に、これらの
時々なんで受験科目に古文なんてあるのかというような意見を目にすることがあるが、難関大学の受験科目に古典のような科目があるのは合理的だと思う。 まず、勉強というのはなにかというと、基本的には選抜である。 だから、受験科目に古典があることについて考えるには、古典の知識が今の社会で役に立つかどうかという観点ではなく、古典という教科によってどのような人間を選抜しようとしているのかを考えなければならない。 ここで重要なのは、古典を学ぶということは日本の伝統や文化、歴史をリスペクトするということだということだ。 いまの日本人がいまの日本人であるのはこれまでの日本の伝統があるからで、今に伝わる古文を学ぶことは日本の伝統を直接学ぶことである。 つまり、古文が受験科目に入っているということは、日本の教育制度が日本の伝統を尊重して積極的に学ぶ生徒を評価しているということだ。 これはそれなりに合理的だと思う。
正直言って驚いた。 何が驚いたかといって、羽生結弦のオリンピック連覇だ。 羽生がオリンピック三カ月前になって右足に大怪我をしたあと、強気の発言が伝わってくる度に、いくら何でも連覇は厳しいんではないか?と誰もが思ったと思う。 ところが、ショートプログラムは三カ月前に松葉杖をついていたのが信じられないような神懸かった滑りで、それまでの強気発言というのは単に客観的な事実だったのか、と始めてわかった。 そして、今日行われたフリーでは、ミスはあったもののやはり神懸かった滑りで、結局羽生は平昌でも金メダリストになったのだ。 僕は羽生が「絶対王者」といわれていることは知っていたが、いままで何で羽生が絶対王者といわれているのか知らなかった。 しかし、今回のオリンピックで他の選手の滑りとくらべて見ると、あらゆる面でスケーティングの精度がまるで違う。 ジャンプの正確さはもちろん、ステップなどもまったく無駄な動
オリンピックなどのビックイベントがあると、いつも、日本人選手は自分のためにプレーするべき!国のためにスポーツをしているのではない!みたいなことをいう連中が出てくる。 まるで、ヨーロッパやアメリカでは代表選手が自分のためだけにプレーしているような言い方だ。 しかし、オリンピックやサッカーワールドカップなどで国を代表して戦う選手で自分のためだけにスポーツをする選手なんて世界のどこを探しても存在しないだろう。 僕は英語を勉強していたとき(まあ今でも勉強しているけれども)、たまにiPlayerをつかってBBCのラジオ番組を聞いていた。 それで、いつのワールドカップだかが開催されたときも5Liveなどを聞いていたのだが、ワールドカップが終わった後ある番組で、街で代表選手をみたら何というか?と言うお題でリスナーからメッセージを募集しているのをたまたま聞いたことがある。 最優秀に採用されたメッセージは、
いま行われている教育の何が問題であるかというと、それがテストのための教育であるということだと思う。別の言い方をすれば、学習の結果がテストによって測定できるようなものばかりが教えられ、テストによって測定できないものは教えられない。 この教育の問題点は、教えられている内容のレベルが低くなることだ。このようなテスト中心の教育だと、教育の内容が学問上のアイディアを理解することよりも問題を解くための技術を習得することに重点が置かれるようになる。そして、技術というのはだれでも習得できなければならないわけなので、教えることができる内容は当然限定される。 高校の数学などはいい例だ。あれは要するに、この範囲内で問題を作ったら高校生が解けるはず、というような範囲で教えられる内容が決まっているのである。しかし、それでは高校数学の内容が全国の受験生が投じるエネルギーに見合うほどの価値があるかというと、そんな価値は
考えてみたら、情報源として僕が一番使っているのははてなブックマークのタイムラインだと思う。毎日のように新聞を読むようなもので、はてなブックマークのタイムラインに目を通さない日は1日もない。 もちろん、新聞と同じように、はてなブックマークに上ってくるものが今インターネットで流れている中で最も重要な情報だとは思わない。しかし、はてなブックマークのタイムラインというのは新聞と同じように不思議なバランスがある。 他のキュレーションサイトとはちがい、はてなブックマークには匿名ダイアリーのエントリーやはてなブログのエントリーも上がってくる。これがはてなブックマークのタイムラインのバランスに大きく影響していると思う。 ホットエントリーのタイムラインを見ていれば、世間でなにがおきているかもはてなで何が起こっているかもある程度はフォローできる。キュレーションサイトはいろいろあるが、なんだかんだいってはてなブ
以前、テレビを見ていたら体重が百キロほどもある引きこもりの女がでていた。 どんな番組だったかは思い出せない。多分、ダイエット企画かそんな感じの番組だったのだろう。その女がなんで引きこもったのかも、その番組の顛末がどうなったのかも忘れた。しかし、その体重100キロの女の菓子の食い方は憶えている。 その女は引きこもってひたすら菓子を食べる生活をした結果体重が百キロまで増加したのだということだったが、その女の菓子の食い方にはなるほどなあ、と思う工夫?があった。その工夫とはどのようなものかというと、菓子を食うときは甘い菓子と塩辛い菓子を交互に食うというものだ。甘い菓子にあきたら塩辛い菓子を、塩辛い菓子にあきたら甘い菓子を食うようにすれば、いつまでも飽きることなく菓子を食べ続ける事ができるというのだ。 この間スーパーに行ったとき、ふとこの話を思い出して、ためしに僕も同じ菓子の食い方をしてみようと思っ
僕は、基本的に今の社会保障はベーシックインカムに置き換えていくべきだと考えている。 人間というのはカネさえあれば生きていくことができるのだから、カネを国民全員に渡すのが最も効率がいい。 日本において、社会保障は腐敗や汚職の大きな原因になっているだが、カネを全員に渡してしまえば腐敗や汚職など起こりようもない。 しかしながら、当然のことながらベーシックインカムには根強い反対がある。 ベーシックインカムなんてない方が好都合な人が沢山いるのだから当然だ。 それで僕は思うのだが、ベーシックインカムはまず子供から始めればいいのではないかと思う。 小学校から高校まで、月に一万五千円程度のベーシックおこずかいを渡すのだ。 カネの価値というのは、もっている人間の年齢に反比例する。 子供がもつ一万円は、老人が持っている十万ほどの価値があるだろう。 カネというのは、子供に投下するのがもっともインパクトがあるとお
「お金2.0」という本に、SNSの百万人のフォロワーと一億円のどちらが価値があるか?という問題があるらしい。 これはなかなか答える人がどのような人間であるがが問われる質問だと思う。というのは、僕が思うに、世の中には一億円よりも百万人のフォロワーのほうが価値がある人と、百万人のフォロワーよりも一億円のほうが価値がある人がいるからだ。 模範的に答えれば、(特にこれからの世の中では)一億円なんかよりも百万人にフォロワーのほうが価値がある、と言うことになるだろう。 たとえば、なにか世の中ででかいことをやりたいならば、百万人のフォロワーのかわりに目先の一億円を取るなんて全くの論外である。百万人のフォロワーがいるのと一億円もっているのでは、どう考えてもフォロワーが百万人いたほうがでかいことができる。自分のメッセージや行動が小国の人口と同じだけの人数に伝わる。これはすごいことだ。 一億円あったからといっ
最近、はてなでカネ目当てのブロガーをあまり見かけなくなった。いや、いまでもはてなにはカネ目当てのブロガーなんていくらでもいるんだろうけれども、めっきり影が薄くなったと思う。ついこの間までPVがPVが、と大騒ぎしていたのが嘘のようだ。 そういうブロガーの多くはWordpressに移転してしまった。はてなはカスタマイズが云々、はてな民が云々などともっともらしいことをいうが、口実だろう。単にWordpressのほうがカネになりそうだからWordpressに移転しただけで、はてなでブログをやってもうかるならばはてなに留まっているだろう。 はてなのアクセスが落ちているということは至る所で聞く。コンテンツ的に検索に強いブログならば半減、検索をあまり考えていない普通の雑記ブログだとアクセスが十分の一になった、というような話を日常的に見かける。 検索エンジンの検索結果は相変わらずのひどさだから、いったい今
次のような匿名ダイアリーが話題になっている。 ■東京都の「不登校は中学に復帰するな」こんな指導をしなきゃいけない現状を知ってほしい。都民ファースト、公明党、都議会自民党などの皆さん 学校に行きたい中3生に「学校に行くな」と指導する辛さ 皆さんは、長期欠席からの復帰を望む中3生に「学校に行くな」と指導することができますか。 この辛さが分かりますか? 東京都のある公立中学3年生の話です。 温厚すぎる性格が災いしたのか、イジメが原因によって、一時期、学校にいけない状態に。だから、内申点は著しく低いものでした。 でもこの子、勉強がすごくできる。塾で受ける模試で、偏差値70オーバー。将来の夢は大きく科学者。 中学2年生の時、地元の難関校、都立国立高校の文化祭で見たクラス演劇に感動。 「地元で最難関の都立国立高校に進学したい。そこでもう一度、リセットして再出発をしたい。」 今までだったら、このような生
去年の年末から、ブログをスマートフォンを使って書いている。 SIMフリーのスマートフォンは2年前から持っていた。しかし、フリック入力が使えないとスマートフォンなど単なるWifiが使えるカメラのようなもので、ほとんど使っていなかった。はじめはQWERTY配列や手書き入力でスマートフォンを使おうと思ったが、当然使い物にならずにそのままになっていたのである。 そもそもにして、僕はスマートフォンを大して重要なものとも思っていなかった。キーボードからの入力に慣れている僕からするとフリック入力を使って文字を入力するなんてものすごい非効率に見えた。スマートフォンは画面も小さいし、こんな面倒なことをするくらいなら家でPCを使うからいいか、と思っていた。 しかし、思うところがあって今は文章は全てフリック入力で入力している。ブログもすべてスマートフォンで書くようになった。というか、スマートフォンを使う時間が増
それにしても、ブロガーとして生きるということはたいへんだ。 僕もこのブログをはじめて結構になるが、昔よりかは楽になったとはいえ、今でも大変だ。まず文章を書くのが大変だし、とにかく時間がかかる。文章を書くのは早い人は早いが、僕は文章を書くのが遅いので朝にブログのエントリーを一本書くと本当に半日が終わった気分になる。というか、だいたいブログのエントリーを一本書くと疲れて寝てしまうので、本当に半日が終ってしまう。ブログのエントリーというのはあっという間に読み終わるのでブログなんて簡単に書けると思うけれども、実際に自分でやってみるとかなりたいへんだ。 それでジャンジャンとアクセスが見込める一万文字くらいの長文エントリーができあがるかというとそんなことはない。せいぜい1,500文字とかそんな程度だ。しかも、僕のブログで具体的な情報ではなくアイディアとか思考を書いているので検索エンジンからの受けはとて
一部で評判の電気調理鍋だが、これは日本の食い物全体のレベルをかなり向上させる可能性があると思う。 なぜかというと、僕が思うに料理のレベルというのは料理を作る人間の舌のレベルとイコールだと思うのだ。つまり、まずいものをまずいと感じない人は料理が下手で、まずいものをまずいと感じる人は料理がうまくなると思う。 まずいものをまずいと感じる人は、失敗料理を作ってもどこで間違ったのがすぐに分かるし、そもそもまずい料理なんて食いたくないから料理の腕がある程度の水準を下回ることがない。 ところが、まずいものをまずいと感じない人は、どんなまずい料理を作っても何がまずいのか分からないのだから料理を改善しようがない。だから一生まずい物を作って周りに迷惑をかけることになる。 では、人の味覚がどのようにして決まるのかというと、それは子供の頃になにを食ったかで決まるとおもう。 子供の頃にまともな味のものを食べていれば
はてなブックマークのタイムラインを眺めていると、ときどき引きこもりの話題が上がってくる。ぜんぶ悲惨な感じの話である。 引きこもり関係の状況が悲惨なのは、社会の引きこもりに対する認識と対処法が根本的に間違っているからなのだが、引きこもりの話を聞くたびに勿体ないなあ、と思う。引きこもっているならば時間は死ぬほどあるのだから英語でも勉強すればいいと思うのだ。 もちろん、もしひきこもりが英語を勉強したとしても、確実に社会復帰ができるということにはならないだろう。ひきこもりというのは勉強するだけで終わってしまう、というのは事実だし、「英語というのは実務能力と組み合わせないと意味がないんだよ。今まで何をしてきたの?」と偉そうに説教されるのが関の山かもしれない。 それでも、僕はひきこもりは英語を勉強した方がいいと思っている。なぜかというと、英語の勉強は健康にいいからだ。 英語ができると、精神的に楽である
このブログを初めて一年以上になるが、どうも自分の状況をうまく説明できなくて困る。何が困るかというと、ひきこもりと無職の間をあらわす言葉がないから困る。つまり、無職よりは深刻だが引きこもりよりは深刻でない僕みたいな人は、自分を何と言えばいいのか分からない。これまで何で困っているのか自分でもよく分からなかったのだが、やっと分かった。 ひきこもりは無職の一種なので引きこもりを無職と言っても間違いはない。しかし、無職と言う言葉は普通、働けるのに働いていない人、というイメージで使われることが多い。軽犯罪などで逮捕されて、テレビで報道される無職というのはそういう意味で典型的な無職と言える。無職が本当に働けない理由がないならばとっくに働いているはずで、理由がないのに無職、というのは理不尽な言明だが、とりあえず昔ながらの無職のイメージというのはそのようなものだと思う。 しかし、すくなくとも僕はそのような無
新年ということで家電量販店の初売りを見物しに行った。 特に買いたいものがあるわけでもないし、買いたいものがあったところでカネがない。値段を見ても特に驚くような値段になっている商品があるわけでもなかった。 しかし、久々に家電量販店の店内をまじめに見て回ったこともあって、いろいろ勉強になったし、世の中の進歩を改めて感じた。ここで個人的に気になった商品を紹介したいと思う。 有機ELテレビ 初め有機ELテレビが販売されたときは、まあこういう高価なテレビを買う人もいるのだろうなあ、何だかんだでプライベートではテレビの前で過ごす時間が一番長い人が多いんだろうし、とまるで人ごとだったが、技術の進歩は有機ELテレビの世界も例外ではなかった。 ついこの間まで50万ぐらいだとおもっていたら、もう30万。まるで、あっという間に分裂する放射性物質の半減期のようである。パナのTH55EZ950が339,800円、東
今年の目標は、一言で言って「勉強する環境を作る」ということだ。 これまで自分がやってきたことを振り返ると、本当にびっくりするほど勉強していない。もちろん勉強をしないならしないなりに学ぶことがあるので今までやってきたことが無駄だったとは思わないが、世間が考えるような勉強はなにもやっていない。去年だけの話ではない。本当にまともな勉強はもう何年もやっていない。 引きこもりなのだから勉強する時間はいくらでもあるはずなのに何でこんなに勉強しないのかというと、まずそもそもにして勉強する環境がないことに原因がある。たとえばいま、僕の部屋には机がない。あるにはあるが、ノートパソコンを置いているのでノートパソコンを使った作業以外のことができない。そして、もう一つの机を置くにしても、そのために片付けをしなければいけない。そんなこんなで、はやく机を置かないといけないな、と思いながらもう何年も経っている。 プログ
才能というのは物事を続ける力である、ということはよく言われる。実際、めざましい成果を上げて世間から注目されている人は大抵、その成果を上げるまでに膨大な時間とエネルギーをつぎ込んだ人で、そういう人は普通の人ならせいぜい数日で投げ出すところを、一日も欠かさず10年、20年、あるいはそれ以上の年月「努力」を積み重ねてきているのだ。当然、その積み重ねというのはとんでもないものであり、その芸というのは普通の人には想像もつかないレベルにある。膨大な時間が芸のレベルに変換されているのだ。 しかし、才能というのは物事を続ける力、という言い方は、理屈では分かっていても、普段生活をする上で感じる実感とは少し異なっているようにも感じられる。では、なぜ先ほどの表現が現実から少しずれているように感じられるのかというと、それは先ほどの表現が間違っている訳ではないとしても、やや不正確なものであるからだと思う。それでは、
電通時代、元電通の岸勇希氏にかなり強烈なパワハラ・セクハラをされたことを告発して世間の注目を集めたはあちゅうだが、過去に弱者男性を馬鹿にするような発言を繰り返していたとして逆に非難を浴びる結果となってしまった。 どうも、はあちゅうは弱者男性は公然と馬鹿にしてもいい!というスタンスのようで、非難を浴びた後でも弱者男性を馬鹿にするという意図はなかった、と明言することはしていない。はあちゅうに弱者男性を馬鹿にするような性根があるのはまず間違いのないところだろう。 まあ、僕のような者から見ても、見ていてウンザリしてくるような弱者男性は少なくないので、これは分からないでもない。しかし、ここで興味深いのは、告発された岸氏というのはまさに、強者女性が「死ねばいいのに」と思っている弱者男性とは全く正反対の生き方をしている人物であるということだ。 カネも、社会的地位も、男としての意気地もない弱者男性とは違っ
プロ野球で2017年度のポストシーズンの話題は、なんといっても広島がCSで敗退したことだろう。 去年、日本シリーズで日本ハムファイターズ相手に二連勝したあと四連敗した広島だったが、今年は一勝したあと四連敗だったというのから去年よりもなお悪い。 まあ、去年は「大谷君」がメジャーに挑戦する前の有終の美、という意味合いもあって、やっぱりこれだけのスターは有終の美を飾ることになっているのかな、と感心する人も多かったと思うが、今年こそは!と意気込んでいた広島ファンにとってはまさに悲鳴を上げたくなる(Crymax)ポストシーズンだったのではないか。 さて、CSというのは当然リーグ優勝したチームが敗退する可能性もあるわけで、それが実際に起こったのが今年だったが、広島がDeNAに負けたことを受けて、やっぱりCSはおかしい!という意見が聞かれた。 せっかく10ゲーム差をつけて優勝したのに三位のチームが日本シ
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『グローバル引きこもり的ブログ』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く