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ドラクエ3
goisan.hatenablog.com
先日実家を訪れた時、母の肩たたきをした。何十年ぶりだろう。小学校に入った頃だろうか。記憶に残っているのは。母の日とか母の誕生日だったか、プレゼントの代わりに肩たたきをしたという思い出がある。それと母に肩たたきをしてあげるといくらかのお小遣いがもらえた。それを手にしてコロッケを買って食べたことや、紙芝居を見に行ったことを思い出す。 その日はテニスが終わっての帰り道だった。テニス仲間のY原さんに今日は実家に行くんだと言ったら、「肩もみぐらいしてあげなよ」と言われた。その時は今更なんて思ってさらっと聞き流した。母の家で何時間かを過ごし帰る段になって父にお線香をあげていた時にふとその言葉を思い出した。 振り向くとテレビを見ている母の背中が見える。ずいぶんと小さな背中だ。赤ん坊の時の自分は夜泣きをよくして、その度に母は自分をおんぶして外を歩いたという。この小さな背中に自分は背負われていたのか。そんな
友よ、友よ、友よ、 もう寝てしまったか、友よ。 友よ、友よ、友よ、 ありがたいぞ、友よ。
今シーズンは4時間が切れればいいという考え方で走っているから、気分的にはだいぶ楽に感じる。最初から飛ばしてできるだけいいタイムを出そうという考えはない。今の自分は10キロほど走ってみないとなんともその日の状態が分からないのだ。20キロまでの様子を見て4時間が切れそうと判断できれば少し頑張ってみるかといった具合。 スタートしてしばらくは大集団。少しゆっくり目のペースで沿道の人たちとハイタッチを交わしながら進んでいく。最初の折り返し地点の5キロまでは下り基調でその折り返しから10キロ過ぎまでは上り坂となる。ともあれ大勢の中に紛れるように走ると上り坂もそれほど苦にならない。最初の10キロは54分21秒で通過。若干遅れ気味。 沿道からは胸に書かれているごいさんという名前を呼んでくれる声がけっこうある。もちろんみんな知らない人なのだがすごい安心感を与えてくれる。その一声でまた自分に元気が戻る。15キ
自分にとって4度目となる奈良マラソンは思い出に残る楽しい大会となった。沿道の人とのハイタッチや声の掛け合いはもちろんだけれど、何と言ってもはてブロランナーのマルさんと一緒に走るという一年越しの思いが叶ったからだ。昨年のエントリー競争で破れごいさんが一人で走ることになったことへの責任を感じてこの一年間を悶々として過ごしていたマルさんもこれでようやくその呪縛から解放された…ね。 マルさんは3週間前に神戸マラソンを走ったのだが風邪を引いた直後ということでかなり無理をしたようだ。そのためこの奈良マラソンへの参加も一時は諦めかけたというのだが、今回ばかりはどうしても参加しなければいけないという強い気持ちで乗り越えたという。マルさんとは前日のランナー受け付けで会い、それから喫茶店で上述したようなこの一年間の彼の思いを聞いた。 さてごいさんはというと、奈良マラソンも今回が4度目でそしてマルさんと一緒に走
京都からS井君がやってきた。一昨日東京の大学に招かれて、そこの大学院生に対して講義をしてきたという。彼の専門は脳科学。今も大学教授としてバリバリに働いている。彼が京都に行ってから40年以上の歳月が流れ、こちらに住んでいたご両親も数年前に亡くなり、横浜も彼にはずいぶんと遠くになった。今ではすっかり京都の人だ。 ごいさんと同じ大学を卒業した後、大学院を京都で過ごし、それから広島、富山の大学で講師や准教授として働きそして数年後に京都の大学に戻ってきて教授となった。高校や大学で一緒に彼と遊び回っていた頃は彼が教授になるとは考えもしなかった。もっともそれはお互い様らしいけれど。彼はとにかく頭の回転が速い。彼のポンポンと飛び出してくる面白い言葉にどれだけ笑わせられたことだろう。 ランチを取りながら話そうということで、横浜駅地下街の沖縄料理のお店に入る。沖縄の料理に詳しい彼のお勧めで沖縄そば付きのゴーヤ
頂上に着いたのはちょうど4時くらい。ネムネムさんに案内されてご来光がよく見えるという場所を確保。どっかと腰を降ろして遠くに目をやる。いつもは下から見上げているだけでてっぺんのことなどまるで考えたこともないのに、今は自分が実際にここにいて地上を見下ろしている。まるで自分自身が富士山そのものにでもなったかのような不思議な感情だ。この何とも言えない満足した気持ちはずっと覚えておきたい、そう思った。 空が少しずつ赤みを帯びてくる。大勢の人の目が一方向に集中して今や遅しとその時を待っている。そうして待つこと40分余り。いよいよ太陽がその姿を現した。遠く水平線の上に出るものばかりと思っていたらその下にある雲の中からポッカリ湧き上がってきた。こういう日の出は初めてだ。密かに感動。しっかりと目に焼き付け、そしてカメラに収めた。 それから火口を一周するというお鉢巡りをして、最高峰の剣ケ峰にも行ってきた。そし
先週の土曜日に、はてブロランナー繋がりで、Macさん、バンビさん、naoさん、ネムネムさん、青豆さんと一緒に、湘南海岸を走ってきた。Macさんから連絡をもらった時は、膝のことがあって一応悩んだけれど、Macさんやバンビさんとこんなふうにご一緒できる機会もそうそうはないだろうということで混ぜていただくことにした。後から、naoさんやネムネムさん、青豆さんたちも参戦すると聞いてかなりの緊張が走る。 小田急線鵠沼海岸駅から歩いて10分ほどで湘南海岸公園にあるランステーションに到着。着替えて出た所でちょうど雨が落ちてきた。それでも適度な降りで走るにはちょうどいいくらい。そしてバンビさんを先頭にのんびりとスタート。その後きっちりキロ6分のペースを刻んでいく。もちろんみんなは楽しくおしゃべりをしながらの余裕のランニングだ。それを聞いているのがまた楽しい。 相模川の河口の柳島で折り返す。晴れていれば富士
申し込んだ時はそこそこの気合いもあったのだけど。大会の日が近づいてきてどうしようか迷っていた時に、ブロ友&ラン友のMacさんから多摩湖月例マラソンとその後のアフターのお誘いがあって、ジョッギング程度でもいいから走ろうかという気になった。しかし前日に膝から少しばかり水を抜かれて、無理はできないと断念。同じ大会の10キロに出るブロ友さんの青豆さんの応援に専念することにした。 その彼女がなんと2位入賞。応援した甲斐がありました。その後に立川駅前のお店で、Macさん、バンビさん、よーじさんと合流。よーじさんとは初顔合わせだったけどMacさんや他のランナーさんの記事でもよく見かける名前だったので親近感を覚える。時間はあっという間に過ぎてお開きの時間に。ただただ皆さんのやる気に圧倒されっぱなし。テンションが落ち込んでいた自分ももう少し頑張ってみようかなんていう気持ちに。 6月8日に梅雨入りしてから暑い
ぎふ清流マラソンを走れなくてちょっと落ち込んだ状態で名古屋の宿に戻ってきた。この宿は、ブログ仲間のrecocaさんが予約してくれたものだ。岐阜でマラソンを走るということを話したら、名古屋に良い宿があると言う。彼は名古屋出身なのだ。ついでに名古屋の街を案内してくれると言う。そのために彼はわざわざ東京から一日遅れでやってくるのだった。10歳以上も大先輩の彼がわざわざ東京からやってくる。言葉では上手く表せないけれど、何ともありがたいことだ。 夕方6時ぐらいに彼の部屋から内線があった。去年の暮れのクリスマスパーティ以来、久しぶりの再会。だけどそういう感じは全くしない。彼は、ブログの記事そのままに実直な人だ。彼のような人が戦後の日本を立ち直らせてきたのだというのがよく分かる。そして今もまだ彼はいろんなことに挑戦しては進化を続けている。なんとも魅力的な人なのだ。 部屋でひとしきり話した後、夕食を食べに
一昨日に行われたぎふ清流マラソンに行ってきた。でも走れなかった。 前日の夕方6時頃、受付会場の岐阜メモリアルセンターに向かう。さすがにこの時間になると受付に来るランナーも少ない。露店も片づけを終えて帰らんとしている。で愛ドームに案内され、ゼッケンを受け取る。ブロックはA、だいぶプレッシャーを感じる。それでもボランティアの皆さんから頑張ってくださいと声をかけられ、気持ちは前向きに。 名古屋のホテルで、コース図を見ながらレースプランを考える。橋の位置と距離関係を確認しながらだいたいのペースを設定する。今の状態から1時間50分を切れればいいかと妥協点を見つけたところで早々と床に就く。朝は目覚ましの鳴る前に目が覚める。軽く体を動かして朝食を取り、6時20分、ホテルを出発。この時はやる気も十分、そしてQちゃんとのハイタッチに期待を膨らませていた。 なのに、走れなかった。駅に行く道を少し間違えて途中か
自分がニューヨークに行く前日の朝、母は頭に強い痛みを感じてしばらく横たわっていたという。夕方になっても一向に痛みが引かないので妹に連絡して、妹の家に泊まることになった。一晩休んだら、多少痛みが和らいだようで自宅に戻ったという。妹からのメールでそれを知ったのは、ニューヨークにちょうど着いた時だった。母はもう大丈夫だから楽しんできていいよとも添えてあった。 ところが実際はその後も痛みは続いていて、病院に行ってCTを撮ってもらったりしたのだが何の異常も見つからなかったという。処方された痛み止めを飲むが、痛みは治まらない。ニューヨークから帰った自分に、母がもう一軒だけ病院に連れて行ってくれと頼む。すでにCTでも異常がなかったんだから気のせいだと本気にせずにあしらう自分。それでも母の勢いに負けて、脳外科の病院に連れて行った。 専門のドクターは母の顔色やCTの話などから特に問題はないようだと語ったが、
メトロポリタン美術館を出て、バスでミッドタウンに向かう。バスは真っ直ぐに走るだけだし、開放感のある窓からは外の景色が見えるから、降りる場所も分かりやすい。乗り降りの仕方は基本的には日本と同じ。7日間フリーパスは地下鉄もバスも乗り放題という優れもの。だから気軽に利用できる。ただ道路の方は常に渋滞気味なので、時間がない時や遠くへ行く時はやはり地下鉄利用。 ミッドタウンでお土産を買っていつものデリでお茶して、セントラルパークの中を歩いてホテルまで戻る。ニューヨークは夏時間が始まっていて、6時になってもまだまだ明るい。平日だけど相変わらず多くの人が走っている。ずっと想像の世界だったセントラルパークを、今こうして自分が実際に歩いているのが不思議だ。一生、外国なんか行かないだろうなんて思っていたのに。 でもまだ夢が叶ったというのではない。もっといろんな人とたくさんの話ができるようになりたい。こうしてセ
この前の日曜日にかすみがうらマラソンを走ってきた。結果は惨敗。2年前に同じこの大会で出したワースト記録を更新する4時間21分18秒でフィニッシュ。天候はそれほど暑くもなくむしろ涼しい風が吹いていたぐらい。それでも2年前のトラウマから脱することはできなかった。もっとも3月3日の三浦マラソン以来、ほとんど走っていないのだから当然と言えば当然の結果だ。 3月は三浦マラソンの後は体を休ませるためにしばらくランオフしようと決めていた。その間にニューヨークに行き4月から練習を再開する予定だったのだが、母が病気をしたこともあってそれを口実に走ることをしなかった。いよいよかすみがうらマラソンが近づいてきて、とても参加できるような状況ではなかったけれど、それだけの理由では棄権するわけにはいかなかった。 そこで調整を兼ねて参加したのがかすみがうらの一週間前に行われた月例湘南マラソン20キロの部だった。これも初
ニューヨーク5日目は、メトロポリタン美術館 (The Metropolitan Museum of Art 通称メット(The Met)) とグッゲンハイム美術館の見学。美術のことは丸っきり分からないごいさんだから、当然ガイドさんに引率してもらうことにした。それでなくてもメトロポリタン美術館は一日では回り切れないという話だしね。 さて今回の記事は写真が主。ごいさんが実際に目にしたのはみな本物だったけど、写真に収めた段階でもはや本物ではなくなってしまう。それによく知られているものばかりだから皆さんには味気なく思われるだろうけれど、自分の記録としてここに残すことにする。 まずはメトロポリタン美術館の正面入り口。 エジプトから寄贈されたというデンドゥール神殿。 美しいティファニーのステンドグラス。 ドミニク・アングルの『ド・ブロイ公爵夫人』 ルノワール『ピアノに向かう2人の少女』 同じくルノア
今回はニューヨーク4日目のハーレム地区のご案内。この日はハーレムにある教会でゴスペルが聴けるというツアーに参加してみた。集合場所はミッドタウンにあるホテルで、7Avenue駅から地下鉄D線に乗り125street駅で下車。ガイドさんの話を聞きながら、ハーレムの街をのんびりと歩く。トランプさんになってから少しばかり雰囲気が悪くなったというけれど、街も綺麗で落ち着いた感じがする。 今、ここには白人は住んでいないという。時々、白人の集団が見えたがみんなヨーロッパから来た観光客だそうだ。ここに住む黒人の女性は稼いだお金の多くを髪の毛に使うという。今はストレートにするのが流行りだとか。男の子たちはシューズ命だそうだ。そんな話を聞くのも新鮮で面白い。 日曜日に教会に行く時はみんなとっておきのおしゃれをするのだそうだ。奴隷制の頃からの名残とのこと。毎日働かされて、日曜だけ解放される。その日は、久しぶりに
ニューヨーク3日目はブルックリンを歩く。ホテルを出て地下鉄1線に乗り72streetで地下鉄2線に乗り換えてフルトン駅まで行き、そこからブルックリンブリッジに向かって歩く。まず目に飛び込んできたのがこのニューヨーク旧市庁舎。シティホールと呼ばれ200年の歴史があるという。 市庁舎を過ぎて少し行くとブルックリンブリッジだ。この日は土曜日ということもあって多くのランナーが走っていた。他の国から来ているという感じの観光ランナーもけっこう多かったような。自分も一度は走ってみたい。 ダンボ地区の絶好の撮影ポイントだそう。向こうに見えるのはマンハッタン橋。そしてその橋の下にエンパイアステートビルが見える。ダンボ地区を歩いてみたがまだ時間が早かったせいか、人も少なくお店もあまり開いていなかった。ちょっとした計算違い、残念。 ダンボ地区にあるエンパイア・フルトン・フェリー州立公園から写したブルックリンブリ
ニューヨークの2日目は、ニューヨーク市内半日コースの見学ツアーに参加した。限られた時間をできる限り有効に活用するには、ガイドさんからニューヨークの見どころを直接聞くのがよいと考えた。実際、ガイドブックでおぼろげだった部分が鮮明になり、またガイドブックには書かれていないこともたくさん知ることができた。 参加者は10名ちょっと。大きなバスでまずはあの「自由の女神」を目指す。前回はフェリーから見ただけだったが今回はリバティー島に上陸してそばまで行ってみる。遠くで見る姿も美しいが、近くに寄るとそれに威厳が加わった感じだ。右手でたいまつを掲げ、左手に独立宣言書を持って遠くを見つめる姿は桂浜の龍馬の像と重なる。 次に向かった場所は2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロの標的の一つとなったワールドトレードセンター跡地、いわゆるグラウンド・ゼロだ。もう17年も過ぎるのにあのシーンは未だに鮮明だ
3月14日から20日までの5泊7日で、再びニューヨークに行ってきた。前回は2年前の11月、ニューヨークシティマラソンに参加するためのツアー旅行だった。今回は自分で計画を立てる。いろんな意味で不安で一杯。思いついたのは今年の1月中旬だった。単純に、ESTAの有効期限が切れる前にもう一度行っておこうと考えた。それと、前回から1年と半年、どれくらい英語が上達したかの度胸試しもしてみたい。 そんな強い気持ちで決意したのに、出発の日が近づくにつれ、マラソン大会の時と同じように止めておけばよかったという後悔の念がこみ上げてくる。とにかく今回は添乗員さんも仲間もいない。分からなければ自ら尋ねるしかない。背水の陣…なんて、ちょっと大げさかな。まだ上手く話せる自信はないが、やってみなければ分からない、進歩もないだろう。ともあれ、一週間後に無事に戻ってこれたら、一定の成果だと考えることにした。 では、ごいさん
先月の17日に熊本城マラソンを走ってきた。記事にするにはずいぶんと過ぎてしまったが、記録として書き残しておこうと思う。 大会前日、熊本空港から会場に向かい受付を済ませて、早速に熊本城へと向かう。今回の大きな目的だ。高校2年生の時に修学旅行で訪れて以来ちょうど50年ぶりとなる。大きなクレーンを使って懸命に修復作業が続いているようだが、どれくらいかかるだろう。石垣の崩れたありようは戦国の戦に敗れた後のそんな感じだった。熊本城の後はこれまた懐かしい水前寺公園に向かう。当時に撮った写真の通りの変わらない姿だった。 さて大会の方だが、相変わらずの不安だらけの状態だ。それでも前回の勝田でフルを走り切ったという気持ちがあるから多少はゆとりを持てた感じだった。ごいさんはBブロックからのスタート。今はこのゼッケンがどうにもプレッシャーに感じる。ラストのフィニッシュ地点の熊本城まで駆け上がることを考えると気が
昨日は母の89歳の誕生日だった。昼から、ま~るいケーキを買って訪ねて行った。丸いケーキはここのところのお決まりになっている。「なんでこんな高いもん買って来る?」と母は言うけど、にこにこしていて嬉しそうだ。そうだよね、ごいさんが子供の頃は本当に貧乏だった。それでもクリスマスの日だけは丸いケーキを買ってくれた。あのバタークリームのケーキの美味しかったことは今でも忘れてないよ。 今こうして自分も妹も幸せに生きていられるのは母さんのおかげだと思っている。こんなケーキなんて何個でも買える、そんな生活ができるなんて小さい頃は夢のまた夢の世界だった。でも今はそれが現実だ。小学生の時に将来に役立つからと家計をやりくりしてそろばん塾に行かせてくれた。おかげで算数が得意になった。勉強が好きだからと高校や大学にも行かせてくれた。 母さんはずいぶんと僕のわがままを聞いてくれた。妹は高校を出てすぐに働き出して家には
1月27日に勝田マラソンのフル、そして昨日は神奈川マラソンのハーフを走ってきた。昨年の12月9日の奈良マラソンの後に3週間ほど完全休養して、今年の元旦から少しずつ走り始めたものの、足の方は相変わらずの状態。さほどに痛むわけではないが、今一つ力が入らないといった感じ。このまま半年や一年ほど休めば治るのだろうか。でもそしたらきっと走らなくなる。正直それもありかと考えたけれど、まだ諦め切れない自分がいる。本当に走れなくなって諦めざるを得ない時が来る、それならその方がいいと考えた。 日々の練習は一日おきぐらいに10~15キロをキロ5分30秒ほどで走る程度。ほんの2~3年前にがむしゃらに走っていた時と比べると段違いの量とスピードだ。そんなことでとても42キロという距離をペースを落とさずに走り切るなんてことは考えられない。勝田も練習量からいって、サブ4も厳しいだろうと考えた。どこでリタイアしようかとも
今年の年明けもいつものように近くのお寺への初詣で始まった。初日の出は雲の切れ間からわずかに見えた。そして父の墓までランニングでの墓参りも例年通りに行った。往復でちょうど30キロ。昨年の奈良マラソン以来、約3週間ぶりに走った。まだ足の調子は今一つだから、比較的のんびりと。天気も暖かくてちょうど良かった。 2日は恒例の実家を訪ねる日だ。母の作った煮物と煮豆は味もよくしみ込んでいてほどよい甘さで美味しい。それにごいさんの大好物のポテトサラダ。また実家で飲む熱燗はひときわ旨い。妹の旦那さんと二人で一升近くも飲んでしまった。最後はビールで口直し。どこまで呑兵衛なんだろうと自分で呆れる。それでも昔に比べるとずいぶんと飲めなくなった。「まだあるよ」と母が言うが、もう飲めない。 3日は箱根駅伝をやはり最後まで見てしまった。絶対と言われた青山も勝てず、早稲田もシード落ち。勝負はやってみないと分からないね。夕
今日は大晦日。まもなく新しい年を迎えようとしているところで、ではこの一年間どれくらいのことができたか、ちょっと考えてみる。点数をつけたら60点に達するか達しないかぐらい。自分としてはもう一歩といった感が強い。ブログの記事は書こうと思った半分ほどしか書けなかった。マラソンの方も怪我や故障に悩まされて、練習も中途半端、当然大会の結果も納得できるものではなかった。 英会話の学習は本格的に始めて来年の4月で2年目を終える。学校のスパンで考えれば3年ぐらいが目安だから来年は最後の一年になる。少しは力はついてきていると思うのだけれど、実際の経験がないから不安ばかりが先行する。まだまだ先の見通しが暗い感じだ。 とまあこんなことで一年間の振り返りを書き始めると、不満だらけ、愚痴だらけになりそうだから、ここで止めることにする。 で、今年最後に書いておきたいこと。それは子供から贈られた誕生日プレゼントのことだ
ごいさんには珍しく今月は3つの音楽会に出かけて行った。その一つは前回の記事に書いた通りブログ友だちのrecocaさんのオカリナ演奏と彼の娘さんの歌の共演だ。小さな音楽会だったけど素晴らしい音色と歌声だった。短い時間ではあったが、目の前で聴けたというのもあって十分過ぎるくらいに堪能できた。 他の二つはというと、まずは15日の土曜日に行われた相模原市民吹奏楽団のクリスマスコンサートだ。前の職場の同僚のN川さんがこのメンバーの一員として活動している。初めて来てからもう10年近く、今ではごいさんにとって毎年暮れの恒例行事となっている。この楽団は全国大会では何度も金賞を受賞するなどのなかなかの実力派集団なのだ。 演奏会の第一部はクラッシックやコンクールの課題曲を中心としたもので、聞きごたえがある。第二部になると一転して子供たちも一緒に楽しめるようなアニメや映画音楽などの身近な曲になる。団員の皆さんも
京都に住む友だちと会う約束がキャンセルになったところで、前から気になっていた京都の紅葉狩りを遅ればせながらだけどしてみようと思い立った。ならばどの辺だろうとネットで調べてみると、嵐山、北野天満宮、東山地区などなどいくつかの候補があがった。そして思いついたのが哲学の道。そう言えば法然院や永観堂もあるはず。南禅寺から祇園、丸山公園を抜けて帰ってくれば十分に楽しめそう。(実際には南禅寺まで行ったところで時間が無くなってしまった) 哲学の道を初めて歩いたのはもう40年以上も前になる。百万遍に下宿していた友のところに毎夏一週間ほど泊まり込んでは京の街を歩き回っていた頃だ。その時はいかにも自分が西田幾太郎にでもなったようないっぱしの哲学者を気取って歩いたものだ。その頃は哲学という言葉を口にするだけで自分があたかも高尚な人物になったような気になっていた。デカンショ節とはよく言ったものだけど、分からないま
神戸マラソンが当たったこともあってその翌週のつくばマラソンは走らないつもりでいた。だからエントリー開始の当日は高みの見物と言ったところだった。案の定、Rネットは待ち表示が続きほどなくして受付終了となった。しばらくしてからSエントリーの方はどうかと覗いてみたらなんとまだエントリー受付中。さてここで考えてしまった。これはやっぱり縁なのかと。 実はこのつくばマラソンは一昨年は岡山マラソンの一週間後に、その前の年は金沢マラソンの一週間後にと2週続けてフルマラソンを走っているのだ。そしてどちらもつくばの方がタイムが良いと来ている。もちろん今の状態を考えれば、今までのようにいくはずもない。でももしこれが縁ならば、練習の一環として走ってもいいかと考えて申し込むことにしたのだった。 そんな突然のエントリーということで今回は単独での参加。始発の電車に乗り、エクスプレスの終点つくば駅から歩いて、8時少し前に会
9時ちょうどに号砲が鳴る。半年ぶりのフルマラソンだ。気楽に構えていた自分にも弥が上にも緊張感が走る。何度走っても42.195キロは長い道のりだ。そして走り出してみないとその日の調子が分からないという不安感。ただ今回ばかりは怪我をしていて無理はしない方針と決めているからいつもほどには緊張しない。いつもならスタート直後から混雑の中を縫うように走っていくのだがそれも抑えて全体の流れに身を任せていく感じだ。 最初の1キロは5分49秒で入る。次の1キロは下り坂の勢いもあって5分19秒とペースが上がる。5キロを過ぎて鉄人28号を見ながら長田地区を走る。たくさんの人が応援してくれている。時折「ごいさん、頑張れ」という声も聞こえてくる。「いいねぇ」と思いながら、大きく手を振って応える自分。こうして最初の10キロを53分33秒で通過。概ね予定通りだ。 19キロ地点で折り返して明石大橋付近まで戻った辺りが20
この前の日曜日(18日)に神戸マラソンを走ってきた。9月ぐらいに膝に違和感を覚え思うような練習ができないままに過ぎて、たまたま10月上旬のアップルマラソンは台風の関係で中止になったものの、その後も膝への不安は消えない。中旬にあったアクアラインマラソンは直前まで迷った末に棄権することにした。大事をとって1ヶ月後の神戸マラソンにかけることにしたのだ。 神戸マラソンの2週間前にあった足利尊氏公ハーフマラソンを神戸マラソンの最終テストと位置づけて、その状況に応じて神戸マラソンでの走り方を決めようと考えた。幸いにまずまずのタイムで膝の方もあまり違和感がなく走れたことで多少の自信が回復した。なんとか30キロぐらいまでは行けそうだ。それと4時間前後での完走も一応視野に入ってきた。 もちろんハーフが走れたからフルが完走できるというものでもない。ただ自分にとって神戸マラソンの位置づけはエキジビションみたいな
昨日、栃木県の足利市で行われた足利尊氏公マラソンを走ってきた。距離はハーフだが今回で41回目というだいぶ歴史のある大会のようだ。膝の調子は多少良くなってはいるもののまだ多少の痛みと違和感がある。18日の神戸マラソンにはぜひとも参加したいのだが、この2ヶ月はまともに走れていない。いきなりの神戸マラソンではリスクも高いだろう。もちろんこの足利のレースでも無理はできないが、神戸に向けた試験的な意味合いで参加することにした。 2時間程度のタイムで走り終えてもう10キロぐらい走れるだろうという感覚があれば神戸ではサブ4ぐらいは狙って行こうか。そんな余裕がなければファンランで応援の人たちと楽しみながら走ろうか。そんなことを考えた。本当に今回ばかりは走るだけで精一杯。左ひざをかばいながら走っているせいか、必要以上に疲れを感じる。 さてそんなことを言いながらも観光だけは外さない。今回のお目当ては足利学校と
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