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災害への備え
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505シリーズの第2世代の Z505 (1999) から、本体に Memory Stick Slot と iLink 端子が標準装備されるようになった。これにより、Sonyの Cybershot や Camcorder と静止画・動画をやりとりして新しい楽しみを提供する、という当初の VAIO の AV IT Integration が初めて商品として具現化され始めた。 4Mbyte の初代 Memory Stick (1998) これはまた、市場 Shareの高い Camcorder のユーザーを 新ブランドのVAIO購入に動機づけるという役割もはたして、カメラとPCの両方の部門にとって効果の高い戦略となった。 Memory Stickに静止画記録できるDigital Handycam (1999) このカメラとの融合を一歩進めた商品が 1998年に発売された カメラ内蔵型の超小型PC
PowerBook 100のプロジェクトでソニー役員とAppleの John Sculley会長との関係ができ、それは別のプロジェクトを生んだ。 General Magic Project である。 1990年に General Magic Inc. という小さな会社が シリコンバレーの Mountain Viewに設立された。 Marc Porat という人物が社長であった。 Marc Poratはスタンフォード大学で “Information Economy”という本を書き、 Aspen Instituteというシンクタンクで研究し、その後起業家となった人物である。彼はきわめて弁舌滑らかに将来のビジョンを語る人物であった。 1990年秋に、AppleのJohn Sculleyの紹介で Marc Poratがソニー 本社を訪れ、“Personal Intelligent Communi
もう書くことがないと思っていたら、’90年代後半の社内IT事情について書いていなかった。(’90年代前半の話の続き) 私は、1994年から米国勤務だったので、当時の米国ソニー (Sony Electronics Inc,… 続きを読む →
NEWSの最後のモデルは1995年のNWS-7000 である。これは最強最後のモデルともいうべき64 bit の MIPS R10000 (200MHz) を4個搭載した、対称型マルチプロセッサ構成のハイエンドのワークステーションである。消費電力を抑えるために当時としては画期的な3.3V電源で駆動するCPU R1000 であったが、4個動かすとCPUだけで108Wも発熱してしまい、巨大なヒートシンクが4個屹立するという偉容を誇っていたらしい。また、UnixをマルチCPUで効率よく動作させるのにも苦労があったと思われる。 NEWSがなぜこのモデルで最後になったかは諸説あるが、一番の要因は経営(者)方針ではないかと思われる。 1995年6月にソニーの社長が大賀典夫から出井伸之に交代した。このときに出井社長はパソコンへの再参入を決め、VAIOの開発が始まった。同時にNEWSの組織(スーパーマイク
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