『西郷隆盛(さいごうたかもり)の征韓論とはどんなもの?』では征韓論の概要と対立し、下野に至るまでの経緯について取り上げました。征韓論とは李(り)氏朝鮮の鎖国を武力で打破し、国交を開かせることで勢力を伸ばそうとする考え方です。当時、明治政府は議会や憲法のない政府で、欧米の視察から帰国した岩倉(いわくら)使節団が国内政治を整えることを優先します。征韓論と岩倉使節団の対立につながり、1873年の明治六年の政変で西郷隆盛ら征韓論者が明治政府を去りました。 江華島事件は明治六年の政変後の1875年に起こりました。江華島事件の講和条約によって朝鮮が開国しました。今回は江華島事件の概要と講和条約となる日朝修好条規について取り上げます。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史ま