文化10年大坂の町医者の子として香川県に生まれる 月照上人は、文化10年1813年、大坂の町医者の息子として讃岐国(さぬきのくに)に生まれます。名前は、宗久(そうきゅう)、忍介(おしすけ)、忍鎧(にんがい)、久丸(ひさまる)等があります。14歳の頃、叔父で僧侶だった蔵海(ぞうかい)の伝手を頼って真言宗牛額寺に入って出家修行して1835年には、23歳で京都清水寺成就院の住職になります。そして、お寺の改革運動を始めますが挫折、北越の旅に出ました。 時代は激動の天保時代、天保の大飢饉などが発生一揆や打ち壊しが起きますが幕府は無策であり、大坂では幕府の与力である大塩平八郎(おおしおへいはちろう)の乱が起きます。与力(よりき)という上級武士から反乱者を出した幕府の動揺は大きなものでした。特に冷害が多くただでさえ凶作になりやすい北越の被害は大きいものです。それを見た月照の中で幕府の政治への疑問が芽生え