1846年に仁孝天皇の第八皇女として生まれる 和宮は、1846年120代天皇の仁孝天皇(にんこうてんのう)の8番目の皇女(こうじょ)として誕生しました。母は側室の橋本経子(はしもとつねこ)で兄の孝明天皇(こうめいてんのう)とは異母兄弟(いぼきょうだい)になります。生まれた時には、すでに父、仁孝天皇はなく誕生してからは勅命(ちょくめい)で、生母経子の実家、橋本家で養育される事になります。1851年、5歳の時に孝明天皇の命令で有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)と婚約します。このまま、何事もなければ和宮は歴史の表舞台に出る事もなかったでしょう。 井伊直弼公武合体の途中で桜田門外の変に倒れる 1853年、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリー提督が来航します。鎖国を解いて通商を求めるペリーに幕府は困惑してしまい、老中首座の阿部正弘(あべまさひろ)が異例の意見聴取を大名や庶民に求めます