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円安とは
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公開シンポジウム「史学科の比較史:草創期から1945年」 日時:2017年3月10日(金)13:00-18:30 11日(土)10:00-18:00 場所:立教大学池袋キャンパス11号館A301教室 主催:立教大学文学部史学科 共催:立教SFR「グローバルヒストリーのなかの近代歴史学」 本シンポジウムでは、明治初期から1945年に至るまでの、近代日本における史学科(含歴史研究機関)の歴史をたどり、比較史的アプローチにより、近代社会における史学科の役割に注目する。対象となるのは、はじまりの組織である東京帝国大学並びに史料編纂所、後続する帝国大学(京都帝国大学、東北帝国大学、京城帝国大学)、それぞれ設立の目的・理念を異にする官立・私立の大学(東京商科大学、東京専門学校、慶應義塾大学、皇典講究所(・國學院大學)、立教大学)である。いずれの大学史学科も、独自の教育課程をもつ史学科(もしくはそれに類
第2部:「歴史」の創造 馬部隆弘 偽文書「椿井文書」が受容される理由 椿井文書とは、山城国相楽郡椿井村(現京都府木津川市)出身の椿井政隆(1770~1837年)が、依頼者の求めに応じて偽作したもので、中世の年号が記された文書を江戸時代に写したという体裁をとることが多い。そのため、見た目には新しいが内容は中世のものだと信じ込まれてしまうようである。彼の存在は研究者の間でもあまり認知されていないため、正しい中世史料として世に出回っているものも少なくない。 椿井文書は、近畿一円に数百点もの数が分布しているというだけでなく、現在進行形で活用されているという点で他に類をみない存在といえる。本報告では、まず椿井文書の作成手法や伝播の仕方を紹介することで、いかがわしいにもかかわらず受け入れられてしまう理由を明らかにする。そのうえで、椿井文書の内容がさも史実かの如く定着していく過程や、そこへの歴史学の関与
第1部:神代史という伏流 三ツ松誠 神代文字と平田国学 漢学隆盛の江戸時代後期に在って、日本の古典をこよなく愛した本居宣長は、我が国の古代を精神面で回帰すべき理想境として位置付け、それが中国的要素によって堕落せしめられたのだと説いた。「道」、暦、そして文字、いずれも現在用いられているものは中国から流入したものなのであり、宣長はそれらがなかった時代の日本を評価する。そんなものが無かろうと日本はそれで充足していたのだ、というのが宣長の立場である。 平田篤胤は宣長の没後門人を自称したが、かかる宣長説に満足できなかった。彼は海外の古伝説をも読み込んで我が国こそが全世界の文化の発祥地であると唱え、漢字渡来以前の日本固有の文字、神代文字の実在をも訴え、それなりの追随者を生み出す。しかしその神代文字の姿は、篤胤の主張とは逆に、ハングルからの剽窃を疑われるものであった。 宣長が時に近代国語学・国文学の祖と
11月7日(土)8日(日)に下記のシンポジウムが開催されます。ご関心のある方は足をお運びください。 立教大学日本学研究所公開シンポジウム 近代日本の偽史言説 その生成・機能・受容 日時:2015年11月7日(土)・8日(日) 場所:立教大学池袋キャンパス5号館1階第1・第2会議室(変更しました) 主催:立教大学日本学研究所 共催:立教SFR「グローバルヒストリーのなかの近代歴史学」 過去の世界は歴史家によって記述される。アカデミックな訓練を受けた歴史家が記述し、歴史家集団から一定の承認を受けるがゆえに、歴史は多くの人がみとめる基準としての歴史たりうる。しかし、わたしたちが生きる世界で生み出される歴史は、そのような歴史家による歴史記述ばかりではない。偽史というジャンルも、そのひとつである。 「チンギスハンは源義経である」、「アトランティス大陸は実在する」、「ひらがなより古い日本独自の文字が使
日時:2015年2月4日(水)17:00- 場所:立教大学池袋キャンパス太刀川記念館第1・第2会議室 報告者と報告タイトル: 1.中野弘喜(東京大学出版会)「史学の「理論」と「概論」-明治期歴史叙述方法論の振幅」(仮) 2.太田智己(東京藝術大学)「1930~50年代の美術史学-文献史学への接近」(仮) 本報告は、先だって史学会大会で設けられたシンポジウム「近代日本のヒストリオグラフィー」(http://historiographyinglobalhistory.hateblo.jp/entry/2014/09/02/082059)の継続となります。 参考文献 重野安繹と久米邦武―「正史」を夢みた歴史家 (日本史リブレット人) 作者: 松沢裕作 出版社/メーカー: 山川出版社 発売日: 2012/03 メディア: 単行本 クリック: 2回 この商品を含むブログを見る 社会とつながる美術史学
日時:2014年10月30日(木)18:30- 場所:立教大学池袋キャンパス12号館地下第1会議室 報告者:小澤実(立教大学文学部) 報告タイトル:平泉澄と西洋学知 『中世に於ける社寺と社會との関係』におけるアジール論の検討 本報告では、史学史上皇国史観の唱道者として知られる平泉澄(1895-1984)の著作『中世に於ける社寺と社會との関係』(1926)に見られるアジール論を検討し、1920年代日本における西洋学知の受容の一部を明かとする。 参考文献: 若井敏明『平泉澄 み国のために我つくさなむ』(ミネルヴァ書房、2006年) 植村和秀『丸山眞男と平泉澄 昭和期日本の政治主義』(柏書房、2004) 平泉澄―み国のために我つくさなむ (ミネルヴァ日本評伝選) 作者: 若井敏明 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房 発売日: 2006/04 メディア: 単行本 クリック: 2回 この商品を含むブ
『明治が歴史になったとき:史学史としての大久保利謙』合評会 開催日:6月5日(土)14時~16時半(最大17時まで)、オンライン(Zoom)開催 主 催:科学研究費補助金 基盤研究(C)「近代日本の大学における歴史研究・教育体制と学術行政」(研究代表者:奈須恵子) 共催:「グローバルヒストリーのなかの近代歴史学」第15回研究会 近年の人文社会系の諸研究では学問史への関心が高まっている。歴史学においても史学史が一種のブーム的状況をみせ、歴史学のもつ時代被拘束性や問題系を明らかにする役割を果たしている。そうした状況のもと、佐藤雄基編『明治が歴史になったとき:史学史としての大久保利謙』(勉誠出版 2020年)が刊行された。歴史家が「明治時代」を新たに学問の対象としたとき、そこではどのような営為がおこなわれていたのか。近代の政治家、官僚、軍人などの個人文書を収集・公開する国立国会図書館憲政資料室
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