天誅組の変(天誅組事変)は、幕末の文久3年8月17日(1863年9月29日)に起きた尊皇攘夷派志士の挙兵事件です。この事件では天誅組と呼ばれた土佐の脱藩浪士吉村虎太郎をはじめとする尊皇攘夷派浪士の一団が公卿中山忠光を主将として大和国(現在の奈良県)で蜂起し幕府軍の討伐を受けて僅か40日で壊滅した事件で、大和義挙、大和の乱などとも呼ばれる事もあります。今回はマイナーながら明治維新の先駆者ともされる天誅組の変について解説します。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソ