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大谷翔平
hontodeai.hatenablog.jp
▼前回の記事はこちらです 家畜 政治学習の集会や家庭訪問調査にやってくる人民公社の幹部たちとの接触を除けば、コンシャンダック沙漠で過ごした幼い頃の世界に登場する人々、祖父母とトゥグルグ・アイルに住む4つの家族だけだった。しかし、日々の生活はその何百倍もの数の家畜に囲まれており、私自身も人間より家畜とともに過ごす時間の方がよほど長かった*1。 私たちは家畜たちに食べさせる草を確保するため、夏と冬には家畜を連れて住処を移動する暮らしを送っていた。冬営地(ウブルジョー)と夏営地(ジョスラン)はいつもだいたい同じ場所に定められたが、水不足や大雪などが続いて草の育ちが悪いときには、状態のよい土地を探して春営地(ハブルジャー)ないし秋営地(ナマルジャー)を設けることもあった。そうした場合には、ヒツジの群れはアイル全体でひとまとめにしておき、それぞれの家族はウシの群れだけを連れて別々の場所に向かうなど、
そもそも、なぜ私は文盲だったのか。読者のみなさんにそれを理解してもらうには、私が幼少期を過ごした頃の中国がどのような時代にあったのか、そこからまずお話しなければならない。 その頃の中国では、1966年にはじまった“文化大革命”と呼ばれる政治運動がなお吹き荒れていた。政治運動とは言うものの、それは政治の舞台だけにとどまるものではなく、多くの人々の人生そのものを搔き乱し、後世に計り知れないほど大きな爪痕を残した狂気と暴力の動乱であった。10年もの長きにわたって、中国に暮らす8億人以上の人々から宗教が奪われ、歴史の記憶と遺産が破壊され、ようやく芽生えつつあった人権や民主主義の思想もまた蹂躙された。なかんずく少数民族に対する警戒と統制は激しく、伝統的な習慣や信仰の多くが圧殺されていった。そうしたなか、私の故郷である内モンゴル自治区では、政治や学問の世界で仕事をしていた数多くの人たちが“分裂主義者”
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