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衆院選
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つくば県立近代美術館にて開催中のケーテ・コルヴィッツ展に行きました。コルヴィッツは前回ご紹介したバルラハとは反戦の同志であり、また芸術家としてのよきライバルでもあり、互いの作風に深い影響を与え合ったと聞きます。私はこの展覧会にバルラハの面影を求めて向かったに過ぎませんでした。しかし、これが、とんでもない代物だったのです。 ケーテの作品は、作品を「理解しよう」などという私の臆病な理性を吹き飛ばし、魂を直に揺さぶるような霊的な力を持っています。その力は個人の好みで好きか嫌いかという次元を通り越した場所にあります。それはもちろん天才だけが達し得る境地です。しかしケーテの場合、特別な一人に賦与された才能によってではなく、また作家自信の数奇な運命や強烈な個性によってでもなく、ありきたりな絶望によってそこへ辿りつきました。彼女はそれをありのままに描いただけです。 ケーテ・コルヴィッツを万人におすすめす
youkiさんからメールにて言及頂いたこともあって、もういちどダーガーの部屋に転がっていた紐について調べました。ひもについての記述をいくつものサイトからまとめます。 1、ひもは麻製で、二重のコヨリで一本になっているもの。このタイプのひもは荷造りに使われる。 2、玉の大きさはベースボール大。部屋に散らばっていた玉の数は数百とか千などと書かれているので、「たくさんある」程度では済まない。至る所玉、玉、玉で埋め尽くされていたものと思われます。 3、homemade balls of stringと記述があることから、ダーガーはボールを緩くまとめたのではなく、ボールとして使えるほどきつく固くヒモを巻いていたようです。 そして謎解き。以下はダーガーが76歳の時の日記の一頁。 Over cords falling down, temper spell with some blasphemies. Al
ロリコンポルノ漫画家町田ひらくについて書いてみたいと思います。私はロリコンではないし娘もいるので三次元のロリコンは全滅希望ですが、それをひとまず差し置いて読むべき物語と表現が町田ひらく作品にはあります。見渡す限り失望しかない世界観と冷たく醒めきった語り口。巧妙な話作り。痛いほど苦い毒薬の中に一粒の砂糖を探すような味わいが癖になります。 今作は前作の発売から2年待ちました。あとがきにあるように、漫画家を辞めようと思ったりといろいろな苦悩があったようです。町田ひらく氏が苦悩するのはこの方の常態であるようにも思えますが、確かにシリーズ「たんぽぽの卵」は以前よりはるかに増して絶望の色に満ちています。 このシリーズを書くにあたり、町田氏は完全に和姦を諦めたようです。完全加害者と完全被害者しか出て来ません。今までの作品の傾向は、なんとかして幼女との和姦が成立しないかと模索するような内容も多くありました
ベトナム料理がもっと上手くなりたいと思って、蛇の道は蛇。銀座の某フレンチベトナミーズレストランの厨房に短時間バイトととして入れてもらうようになり三ヶ月目。ここではフランス人とベトナム人と日本人が働いている。仕事自体はスムーズだが、人間関係はそうもいかない。衛生観念の違いが一番大きな原因である。 ベトナム料理を見てみると、作った直後に食べる料理しか無いと言っても過言ではない。ベトナムは日本より暑い。食中毒の心配ゆえ、料理ができたらその瞬間に食べ始めなければならないのだ。 料理にはその国の気候を含めたあらゆるものが反映される。気候が違い、食材が違い、調味料が違い、調理法が違うのなら、繁殖しやすい雑菌の種類も違う。衛生上気をつけなければならない点も違って当然といえば当然。しかし、基本的な部分はどこの国でも一緒のはずだと思うだろう。それが間違いである。 ベトナム人が、おろしたてのまな板の片面に熱い
ファイナルファンタジー、Ⅲ〜Ⅴは全モンスターのステータスを暗記するほどハマりました。Ⅵで情熱が失せて引退したのですが、XIIは店頭で見たデモの映像に圧倒されて買わずにいられませんでした。ゲームを買うのは実に4年ぶりです。 (4年前に買ったのはトルネコ3です。このゲームで私は100年遊べるので他のを買う気になりませんでした。チュンソフトさんに頂いたハイスコアプレートは宝物です) さてFF12を2時間ほどプレイ。ポリゴンではなくドット職人の手によるという3Dの美しさに感動したものの、やっぱりもう昔のようには夢中でプレイできないと感じ、切なくなってしまいました。なぜ夢中になれないのか、理由を考えて箇条書きにしたら5つ。 1、同じ画面に向かうなら、ネットの方が面白い(私の場合) 2、仕事があるので徹夜できない、子供がいるから集中できない(時間が無い) 3、ゲームの攻略自体が簡単過ぎる(ターゲット層
倫理的に正しい自殺があるなど、思いもしなかった。 自殺は矛盾の骨頂であり、いつでも非難されるべき悪行だと信じていた。 また、死はすべて悲しく、喜ぶべき死などどこにも無いと信じていた。 でも、彼が死んだと聞いて、私を含む多くの人間が喜びと解放に泣いて叫んだのだった。 彼の自殺に限っては、結果として、自殺そのものが善行だった。 私と私の家族はここ数年間、ある凶悪な犯罪者と戦っていた。それが今日終わったのだ。3年間たち込めていた暗雲がやっと晴れた。やっと自由になった。もう怯えることは無い。全て終わった。 明日、新聞に載るかもしれない。一人の容疑者が4日未明、拘置所内で自殺したと。 犯行は明白だったにもかかわらず、被告は上訴を続けた。嘘しか語ることができない男だった。たとえ真実でもそいつの口から語られると嘘になる、詐欺と暴力の愉快犯。筋肉隆々のレクター博士。拘置所から手紙を出して被害者たちをさらに
ディズニーの古い時代の短編アニメが好きで、よくヤフオク等で探して集めています。 大きいお兄さんお姉さん向けの視線を受けて子供向けのアニメが絶滅してしまい、自分の子供に見せたいと思えるアニメは古いものしかありません。特に女の子は、幼いうちからアニメのキャラのように可愛く鑑賞される存在として飾り立てなくてはならないという(男性本位の)現実へと追い立てるのは残酷です。だからプリキュアはとても残酷だと思います。 まんが日本昔ばなしの復活はとても嬉しいです。NHKすら一部番組でアイドル教育を受けさせられた子供を映すようになってしまった今、純粋な子供向けの番組は本当に貴重でありがたいと思います。 ディズニーの昔のアニメは大人の即物的な欲望に染められていないので(そのように配慮されて作られています)幼児にも見せたいと思えます。「くまのプーさん」にしても、60年代に作られた3部作と90年代以降に作られたも
消費税が上がるそうで。 で、8%では足らないなんて言っている。 社会保障制度維持のためだという免罪を高々くアピールしているがどうして一律8%なのか、不思議すぎる。 8%はヨーロッパの消費税に比べれば安いと思ってしまいそうだけれど、食料品の消費税としては類を見ない異常な高さ。 右ならえは得意のはずが、諸外国に習って食品・薬・衣料品・本・日用品は無税か低税にし、嗜好品・車・不動産・毛皮・宝石類・美術品の税率を上げることができないのが日本の政治家。理想なんか持っていたら政治家になれない。 金持ちが金持ちのままでいるために、貧乏人は貧乏人のままでい続けろ。 序列が乱されることの無いように。権益は権益のまま動かぬように。 和をもって尊しとすべし。「治安」を乱すなかれとな。 新陳代謝しないから、腐っちゃった。 ホリエモンでもミッキーでもドナルドでもいいから新陳代謝して欲しい。 社会保障制度維持なんて無
http://www.1101.com/ghibli/index.html 宮崎駿のいやらしさを象徴するような逸話だと思う。 私は宮崎駿は大好きで、大嫌いだ。 ナウシカ、トトロ、ラピュタ、各作品の記憶を遺伝子に持たないアニメには興味が無いと言っていい。しかし。 氏が作品中で可とする人間像は非常に限られていて、特に女性にはつっこみどころが多い。 彼の世界で、なぜ女性は純粋無垢であり続けないければならないのだろう? 私が見る宮崎駿の女性観は、「こうあってほしい」という願望でもなければ、「こうだったらよかったな」という悲願でもないし、「こんなんだったりして」というオタク的恥じらいもなく、「こうあるべきだ」という理屈もない。「こうだ」という排他的背景でしかない。本人が意識しているかどうかにかかわらず。 しかし、作品中の世界には、女性を無垢たらしめる環境が整備されていないのだ。 この人の作品の舞台っ
郵政民営化法案が可決された。私の今の仕事は午後からがメインなので、午前中は体を動かすという目的もあり、郵便配達のアルバイトを辞めずに続けている。(それに、実は肉体労働が好きなのだ)とはいっても週三日の四時間だけだが。それでもそれなりに思うところは色々とある。 局内の雰囲気はきわめてのんびりとしている。システム自体は能率的だが、人為的な部分に関しては能率化が進んでいるとはお世辞にも言えない。ユルい。信じられないほど頭の悪い上司、イレギュラーな伝達事項は口頭では伝わらない。口頭で3度言ってその後で書類を提出してやっと伝わる。私が採用された時は面接の結果が出るのに二週間かかり、さらに採用の電話が入るのに二日待った。入局ニヶ月目である私にはまだ制服が渡されていない。(私服でいる方が好きなのでいいのだが。)そして何より、個人差がある仕事の量とペースを、全体的に遅い人に合わせて進める。 この職場に慣れ
「マイクロテロ」など、状況を適確に把握した概念を多く生むid:umeten氏。先日のエントリの「カリスマ扇動者」もブログの現状をよく捉えた言葉だと思いました。http://d.hatena.ne.jp/umeten/20050625 しかし扇動者にもいろいろなタイプがいて、人を集めて集団となし一つの方向へと導くような目的を持ったタイプには興味を持ちますが、集団の囲い込みに徹するようになると後には信者だけが残ってしまい、無惨なものです。目的にも話題にも賞味期限があります。それを過ぎた扇動者たちの引き際にこそカリスマの素顔があらわれるものであり、面白い。 近頃気になるのは町山ブログの動向です。イラク戦争反対というテーマの後には世界平和という普遍的な話題へと上手く切り替えていくかと思われましたが、熱狂的な信者による論客リンチという見せ物の方がスタンスとしては強く残ったのだと、ここ数日のエントリで
『人間は神々についての真実、森羅万象についての真実を知らない。また、永遠に知ることもない。なぜなら、たとえ真実が偶然人の口をついて出てきたとしても。それが真実であると確かめる術を我々は持たないからだ』クセノパネス(B.C.6) それを云っちゃあおしめェよ。わははははは。ああ悲しい。こんなに簡単に言ってくれるなんて。もう立ち直れない。でもなんだか気持ちいい。こんな言葉大好き。 今地球上に存在する言語の数は3万だとも言うし60万とも言われている。こんなにも曖昧なのは言語の定義からして定めようが無いからだ。言語を他の言語と区別するのは、言葉の構造や体系ではなくて、社会的・歴史的・地理的背景。例えばドイツ語とオランダ語の構造の差は、九州弁と東北弁の差よりもはるかに小さい。言語の数なんて、まさに数えようがない。 でも3万説者も60万説者も共通して言っていることがある。これからの五十年で言語の数は一か
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